
元旦。
除夜の鐘を聞きそびれつつ作業。モーリーさんのラジオとか聞きながら夜が明ける寸前に寝る (もうすぐチベット行くんだね)。初日の出の眩しい日差しで起こされ、、年賀状とかも作りつつまた作業。「晩飯までには帰ってこい」 という母親の脅しに根負けして新幹線で実家に。二階建てMAXの二階席はリクライニングしないことが前々からの不満点だ。
2日。
レンダリングの結果が気になっていたので、オヤジのオデッセイを借りてオフィスに。6時間で実家〜都内を一往復 (何やってんだオレ?)。しかしなんですな、クルマというのはやっぱりいいね。今年はクルマを持てる身分に戻りたいものである。
正月の都内は本当に快適。銀座のデパートの前では福袋目当ての行列ができてた。平和な国であります。80キロも走れば、閑散とした商店街だらけだっていうのにね。。帰り道、佐野藤岡の出口がが激烈混んでいて (おそらく厄除大師渋滞。ちなみに 「効かない」 よ>佐野厄除大師)、出口の3キロ前から大渋滞。仕方なく栃木ICまで行って降りる。
久々に栃木市内をぐるぐると回ってみた。やっぱり風情があっていい街である。街の中心部を流れる川と、その沿道がいいかんじなのだ。昔、テレビで見たモノクロ映画で、ハナ肇が主人公で、親に勘当された息子が温泉を掘り当てて事業に成功する、って映画があったんだけど (若かりし頃の堺正章も出てたな。オープンカーを乗り回す不良役だった。掘り当てた温泉はサマーランドが舞台になってた。誰か詳細知ってたら教えてください。また見てみたい) その映画のロケ地が栃木市内だったんじゃないかと勝手に思っているのだが、どうだろう?
で、クルマを止めて川沿いを歩いてみた。本当はオレ、この街にある県立の男子校を受験するはずだったんだなあなんてことを思い出した。出願の前日に変えたのです、ちょっと無理そうだったから。こっちの高校に来てたら人生変わってたかな? なんてことを考えつつ川の流れを眺める。
予備校時代にこのへん出身の友達がいて、市内にある 「ホワイト餃子」 という餃子の店 (メニューは餃子のみ) を教えてもらった。それこそ今日の 「宇都宮名物の餃子」 のハシリみたいな店だったのだが、その店に一度連れてきてもらった記憶があるのだけど、まるでどこにあったか思い出せなかった。(コマル君、知ってたら教えてください!)
で、その晩卒業したほうの高校の同窓会が下館 (今は筑西市) であった。久しぶりに会う友達の顔を見ながら、「そうか、あの晩、出願先を変えてなかったら、こいつらと会うこともなかったんだなあ」 と思うと不思議な気持ちになった。
だが、酌して回ろうなんてガラにもないこと思っちゃったもんだから、ちょっと飛ばしすぎ、前日の寝不足もあって同窓会は早々にダウン。半分ぐらい寝てました (笑)。久しぶりに会って話したかったやつとも話せず、気がつけばお開きの時刻。猛〜烈に後悔、楽しみにしてたんだけどな。出だしから失敗づくめの年明けでございます。(みなさん、また来年! T西君、かなり面白かったよ、寝ぼけてたけど話はちゃんと覚えてる。)
しかし、なんですな、正月のテレビはNHKに限ります。この正月で1年分見た。今年あと362日? ある中であと10時間も見ないでしょうね>テレビ。(ボクにとってテレビは、すでに過去の媒体です)
とはいえ、2日夜の 「青海チベット鉄道〜世界の屋根2000キロをゆく」 面白かった。モーリー氏はこれに乗ってラサまで行くんだな。行ってみたいな、ラサ。
数ヶ月前に実家に出現した巨大液晶テレビ (WOOO)、すごいですね、ハイビジョン。やっぱ綺麗ですね。もうこれだけデカいテレビが普及しちゃったらハイビジョンじゃないとダメなんですなぁ……と実感してしまった正月でした。デカいテレビで見ると普通の (今までの) 映像見れません、汚くて、不鮮明で。昨年会社で買ってしまったPD170、どうしたもんだか??
3日。
午前中は駅伝でコーフンしている父親を横目にコタツでまどろむ。雑煮食って、お代わりして、また寝る。ステキな時間。夕方になって、いちおう初詣てきました。小山の須賀神社というところ。あるのは知ってたけど、生まれて初めて行った。なかなかステキな神社でした。一応お約束で 「おみくじ」 引いてみたのだが 「女難に気をつけよ」 と。これまたどうしたもんだか?(小吉だったけど、おみくじはくくりつけてきた)
明日、東京に戻り、友達からわざわざチケットもらって行ってなかったビル・ヴィオラ (@森美) 見て正月休み終わり。通常営業に戻ります。そういやぁ、「はつゆめ」 見てないなぁ。
なんか普通の日記デシタ。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。

ずっとサボっていたので、久しぶりに走ってみた。いつのまにか季節が移り変わっていて、多摩川土手は夕方になっても霜柱の痕跡があった。夕日をバックにした富士山の北側には雲がかかっていた。北日本は雪なんだろうな。どうりで手もかじかむわけだ。
「仕事の大掃除」 が終わらない。来年に持ち越してもいいんだが、でもどうしても今年中に、というものをやっていたのだが、ダメだ。終わらない……。青山は本当に静か。ワールドカップ中継の夜以来の静けさだ。もうすぐ除夜の鐘。ボクの干支の年に変わる。
なかなか悪くない年だったと思う。稼ぎもよくないし、「結果」 が出てるとも言えないけど、でも2年先、3年先に向けての方向性が見えた気がする。今まで先がモヤモヤしていて、よく見えなかったのだけど、雲が晴れて有視界飛行になる予感がしている。今年一年で、行く先の方向が少しズレたと思う。だけどこれは決して悪いズレではないはずだ。
最近お会いした占い師のお爺ちゃんによると、「橋本さん、来年は大躍進の年ですぞ」 なんだそうである。(本当かいな?) ま、半分ぐらい信じてみることにしよう。。
ということで、今年ボクに出会ってくれたみなさん、ありがとうございました。
来年は……、そうだな、「旅の年」 にしたいと思う。というか、「旅」 に出なければいけないと感じている。 いろんなものに出会わないと、である。で、「旅」 ってどこに?
では、よいお年を。
前にも書いたが、「dreamscape」 というのは元々、学生時代の友達とのユニット名である。彼のあだ名は 「ヨカチン」。新歓コンパのときにビール瓶を股間に当てて 「ひとーつ!(なんじゃいな!)〜ひねればひねるほど、よかチンチン」 と、ヨカチン音頭をやったから、それ以来4年間 「ヨカチン」 と呼ばれた (ボクは今でもそう呼ぶが)。鑓水の夜空に響くあの声は今でも忘れませんな。名前がヨネモトなので、あながち遠いあだ名ではないのだけど……。そんな彼も今ではいいパパである。で、卒業して数年後再会した際に、何か一緒にやっていこうという話になった。建築とか、都市とかそういうものを考えるユニットにしたいね、と言って名前を決めて9年。2回ほどコンペに作品を出したりしたが、あとはたまに会って飲むだけが唯一の活動だった。
今、島根にいる彼が4月から京都の大学の先生になる。家族揃って京都に移り住む。これを機会に、彼にもこのブログ 「dreamscape」 に参加してもらいます。東京、京都、2つの都市を俯瞰し、そこから何かアイデアを発信できたらステキだなあと思う。そしたらユニット結成した意味もあるってもんです。これ来年の目標のひとつ。
ということで、サーバー移転&MTのバージョンアップします、やっと。
「予告図書」なるプロジェクトに出品しました。青山・スパイラル「GIFT,THE STORE」(←期間限定のイベント・〜12/28)のGOTO独特堂書店ブースにて。
手作り本を作るという企画なんだが、ボクはオジサンのインタビュー本を作った。これがとても楽しかった。今年一番楽しかったことかもしれない。
いやはや師走です。

神宮外苑。
オフィスで早くに目が覚めので、思い立って見に行ってみたら、そこはアマチュアカメラマンが百花繚乱状態。この銀杏並木って、ちゃ〜んと剪定がされているって知ってました? 高さが24mから17mまでに刈り込まれ、絵画館に向かって眺めると遠近法がかかって見えるということを、ボクはこの秋初めて知った。
日が差すと銀杏並木の下は黄色いテントの中に入ったよう。逆光に透かしてみると、色づいた葉っぱは黄色というより 「金色」 である。 なのに 「銀」 の 「杏(あんず)」 とは、これいかに?

ワケあって新橋。
生まれて初めて、「立ち飲み」 というところで飲んだ。なかなかいいもんであるな。焼き鳥を焼く、もうもうとした煙はウルムチの街角に決して負けてはいない。……で、どうやって 「いい雰囲気」 の店を探すのか? 『ホッピー』 の看板を目印にすればいい。

あずさ24号。
今年初めて雪を見た。車窓から眺める景色はすばらしいものだった。中央線で通勤していた頃、毎日のように追い越されていた 「あずさ号」。上高地〜安曇野を流れる梓川の名前を冠したその特急電車は、なかなか雄大でステキな景色を見せてくれる 「エンターテイメント列車」 だった。ビールを2本開けながら、「車窓」 という名のスクリーンに酔いしれた。
先日、とあるイベントに行ったら、モーリー・ロバートソンを見かけた。
といっても帰ってきてから 「やっぱりそうだったのか」 と気づいたわけで、現地では 「どっかで見たことあるな」 ぐらいにしか思わなかった。わりと巨体で、動きが鈍重で、放送での声のかんじとは裏腹に暗い顔してるのね、普段は。
『Across the View』 好きだったな。十数年前のJ-WAVEの深夜番組。いつも製図台に向かいながら聞いていたような気がする。番組中にアメリカの友人と国際電話で討論したり、MACを持ち込んでヘンな音楽作ったり…、最近はPodcastとかでやってるわけね?
で、↓近々こんなことをやるんだそうだ。
ポラロイド社とモーリー・ロバートソンの共同ウェブ発信計画スタート
豪華製作メンバーが創る 〜真実・感動・楽しさ!〜
告知のポスターを見たら、なんだか羨ましくて 「固まって」 しまった。
──マルチメディアアーチストのモーリー・ロバートソンは日本ポラロイド株式会社の協賛を得て、中国の雲南省・チベット自治区・ウイグル自治区へと2007年1月、旅に出る計画です。旅の準備段階からドキュメンタリーを開始し、実際の旅行中にもチベット等辺境の地からポッドキャストを配信する試みです。旅先で撮影した写真や映像と、オリジナルなサウンドトラックを合成して作品を創り上げていきます。──
……そうか、仕事というのはこうやって 「創り出す」 ものなのだな。
いいなー、楽しそうだな。きっと楽しいぞ。行ってみたいなー。
応援しよう。。
最近、この夏に行ったシルクロードのビデオを整理していてるのだが、見返してみるとかなり面白い。その時の時刻や匂い、感想なんかを自分で喋りながらハンディカムで撮ったのだが、こういう旅日記も楽しいということを発見してしまったわけである。っていうか、かなりリアルにその時の雰囲気を思い出せるのがいいね。
↓シルクロード・音楽ネタ
http://www.youtube.com/watch?v=w6RPC5bADcI
各方面でツーリングを画策していたのだが、ぜーんぶ挫折。どうもアレも来春になりそうです。ごめんなさい。
で、一つだけ内輪企画が成立したので、週末は伊豆へ。3人の中で誰が 「晴れ男」 なんだか、うまーく雨を避けられた。
行きなれた雲見温泉は、何度行ってもいいところ。早めに着いて、小さな川沿いの集落を抜けて海辺を散歩。浮世絵のアングルの富士山を眺めて、温泉に浸かる。伊勢海老コースは豪華絢爛。浴びるほどの 「海老」 づくしだったのでした。シアワセ!
夜はなぜかお遍路話で盛り上がる。
http://www.nhk.or.jp/dodra/
歩きながら考える…。ちょっと行ってみたくなった。
あと、面白い写真を入手したので公開。
↓13年前のオレ。

(バイクでコケて) 破れたジーンズ、左手に火のついたタバコ、猫背な立ち姿にヘンなバイク。
あんまり変わってません…。(ただしこの頃のウェスト70センチ。今より9センチ小さかった。)
9月のある日、ふらっと尾道に出かけた。CMではないが、「Discover West」 だ。
北関東に生まれたボクは、大阪から西にはあまり馴染みがない。島根と鳥取がどちらだか分からないし、佐賀の存在を忘れてしまったりする。和歌山と愛媛は、「あれ? 四国にあるのはどっちだっけ?」 としばらく悩まないと答えが出ない。(関西以西の生まれの人は茨城、栃木、群馬の位置関係が分からなかったりしますね。)

22時発の 「サンライズ瀬戸」 は東京駅を静かに動き出す。寝台列車の運転手というのは、かなり上手な運転手だと思う。電車でもタクシーでも、たはまた飛行機でもそうだが、客を乗せる運転手たるものは、動き出す時と、止まる時に細心の注意を払わなければいけない。それがちゃんと出来ている運転手であった。東急のガサツな運転手も、彼の爪の垢を煎じてガブ飲みしていただきたいもんである。
尾道が目的地だったのは偶然である。偶然同じ時期、何人かの人に 「尾道って街は素敵だ」 という話を聞いたのがきっかけだった。「偶然同じ時期に」 というのは何かの縁に違いない。
「よし、そんじゃ行ってみよう!」
ということで出かけてみた。
1号車2階、中ほどの個室に収まる。荷物を整理しおわると、列車は見慣れた品川駅を過ぎていた。缶ビールを開け、東京駅で買った弁当を食いながら暗い窓の外を眺める。……ここしばらく、「今日はどこまで行こう?」 「今日はどこを訪れてみよう?」 と毎朝考える(つまり全部を自分で決める)、って旅をしてなかったなあと思った。今年行ったシルクロードだって、だいぶ僻地まで行ったなぁとは思うけど、何も自分で決める必要がなかった。「今日は●●まで行きますよ。だいたい400キロです」 と言われてバイクを走らせる。よくよく考えると、能動的なんだかどうだか分からない旅だ。「旅」 と言えるのかさえ、危うい。景色のすごさや人の違いや、空の青さに誤魔化されてしまうんだけどね……。そんなことを考えながら、東海道線ぞいの家の明かりを眺めていたら、熱海に差し掛かる頃に眠ってしまった。
90%がベッドを占める個室はかなり狭い。だけど、大きな窓と2階からの眺めはなかなかのもの。狭さも帳消しだ。目が覚めると列車は明石あたりを走っていた。缶に残ったビールが1/3ぐらいであることを確認してカーテンを開けると、ちょうど東の空に太陽が昇るところだった。
田んぼの中を犬を連れて散歩する老人、ジョギングする人、国道を走る長距離トラックはまだヘッドライトが点されている。ありふれた景色が窓を通り過ぎる。知ってる景色だけど、来たことのないところ。日本中にそんなところはまだまだ多いんだなと思った。知らない国は刺激が多いけど、自分との関連性がワープしている。「のぞき見」 しているかんじである。でも、日本国内は、よくある風景で、自分との関連性がとても強い感じがして、自分に身近なものに感じるのにもかかわらず……、知らない。知っている人もいない。なんだか天秤にかけるとよく分からない。
「歳をとったら、瀬戸内の小島に住んでみたい。」
関西で生まれた友達がよく言う言葉だ。きっと不便なんだけど、静かな海や無数の島を赤く染める夕日はとてもステキなんだと言う。
そういやぁ、瀬戸内海って見たことがない。見たことがないというのはウソだけど、見た印象があいまりない。今まで瀬戸内を見た可能性があるのは2回だけ。高校の修学旅行で広島に行ったときと、フリーター時代、出張で広島に行ったとき。広島焼きの焼き方を教わった数時間後に阪神大震災が起こった (ボクは震度4にもかかわらず目が覚めなかった)。広島空港から帰れなくなったので、松山までフェリーで渡って松山空港から帰ったから瀬戸内海をフェリーで渡ったはずなんだが、本当に印象にない。
そんな友達の言葉が印象に残ってたのか、一度四国に入ってから船で瀬戸内海を渡り、夕日を見ながら尾道に入ったら楽しいかもな、と考えた。「サンライズ瀬戸」 は高松が終点だ。そこからどうにかして今治まで行けば、フェリーがあるだろう……JRの時刻表を見ると、今治からいくつもの航路が赤い線で記されている。あまりちゃんと調べないで行くのが楽しいのだ。

山と海に囲まれた、小さな港町に生まれてみたかった。時々そう思うことがある。木でできた、小便臭い塀の角を曲がると床屋があって、その先は岸壁になっている。床屋にはクーラーがなくて、開け放たれた窓からは、ちょっと薄汚れた、レースの白いカーテンが風にゆれている。中からは高校野球の中継がラジオで流れている。夏で、青い空に入道雲が大きくて、影のコントラストが強くって……。夏目雅子が出ていた、「瀬戸内少年野球団」 みたいな風景の中で育ってみたかったなあと思うのだ。なんでかな?
列車は山陽本線から瀬戸大橋線に入る。山が開けて瀬戸内海が見えてきた。小さな駅で運転手が変わると、列車は前触れもなく瀬戸大橋に差し掛かっていた。ゴトンゴトン。線路の継ぎ目を列車の車輪が乗り越える音が、鉄橋全体に鈍く響き渡る。そのゆっくりした、懐かしい音が印象的だった。
見たよ、「過去のない男」>kimi、nao、nicchi
うーん、なるほど。
「色」 がキレイ。(←ありきたりな評価…。)
カナダとか、北欧とか、北の地が舞台の映画って、独特の色合いの映画が多いよね。
好きか嫌いか、で言えば 「好き」 です。
他のも見てみよう。
何度読んでも、この本のこの一節にはドキっとする。
──小説というものは、右のものを左に書き写す作業ではない。千枚の長編にとりかかるとき、真っ白な原稿用紙に最初の一字か二字を書いた瞬間、地の底に落ちて行くような不安と絶望を感じる。
俺にはできない、俺には無理だ。途中で気が狂うのではないか、途中で病気にかかって書き終えることができないのではないか……。字も言葉も突如忘れてしまって、宮本は駄目になった、書けない小説家になりはてた、と言われて見捨てられていくのではないか……。
実際に小説を書く苦労よりも、そのような恐怖を乗り越えることのほうがはるかに大きな闘いを必要とした。
だが、あるとき、私は、そんな恐怖で書斎の椅子に座ることもできず、あまつさえペンを握って原稿用紙を前にすることさえできないとき、冷や汗と心臓の動悸に包まれながらも、連載中であった小説を書きだした。
五行書き、十行書き、二十行書きしているうちに、私の恐怖心は消えていったのだった。「書く」という行為が「書くという恐怖」を消したのだ。
この事実は、私には驚くべき発見だった。「行く」ことが怖いときは、とにかく前へと歩き出せばいいと知ったのだった。それこそが最も速効性のある処置であり、それ以外に解決策はないのだと、私は思い知ったのだ。
──
「ひとたびはポプラに臥す・5」 宮本 輝 から引用

よい映画だった。(←カンタンすぎる感想だな。)
こういう、古きよき日本の風景というのを、実感として味わっていないはずなのに、どこか 「懐かしい」 と思うのはどうしてなんだろう?
演出のすごさというか、カメラワークのすごさなんだろうか?
買ったDVDには、1984年に収録された、当時の助監督や笠智衆本人が参加している解説音声というのが入っている。そのモードで見るとまた楽しい。
その解説を聞くと、小津安二郎は、ものすごく細かいところに気を配ったそうだ。例えば、温泉宿の朝のシーン。部屋の外に置かれているビール瓶数十本。前夜のドンチャン騒ぎを暗示させるように、ビンの並べ方やラベルの位置まで、1cm単位で注文をつけたらしい。
そういうディティールへのこだわり。。見習わないといかんな。
しかし、笠智衆というのは、あんな昔から 『お爺さん』 だったんですな。やっぱりいい味を出している。小津安二郎でなくとも、映画監督であれば、彼を配役として使いたいと思うんだろうな。。
で、この映画の舞台になったのが、尾道。
ここしばらく、自分的に気になっている街が二つあって、それが尾道と新宮。
二つとも、列車に乗って訪れたいと思っている街。
尾道は 「サンライズ瀬戸」 +フェリーで今治から、新宮は大阪から振り子電車の 「オーシャンアロー」 で行ってみたい。
(振り子電車といえば、381系の 「くろしお」 号。低重心に設計された車体は、カーブとともにバンクするように作られている。リアス式海岸が続く紀伊半島西側の区間はカーブが多い。そこでの高速走行と乗り心地向上のために作られたのが振り子電車なんですね。バイクで言えば、通常の電車というのは、車体がリーン・アウトするようにバネが調整されているのだけど、振り子電車はリーン・ウィズ、ないしはリーン・インするようにできている。なので、車内に乗っている乗客からすると、遠心力 (向心力?) は床方向と垂直なので、左右に振られることなく、乗り心地がいいというわけ。……実際は 『酔う』 らしいですが。)
やばい。この歳になって、鉄道オタクの血が騒ぎはじめてきている。
鉄道オタクのカリスマといえば、宮脇俊三。
ボクも中学生の頃よく彼の著書を読んで、知らない街と、ひなびたホームの風景に思いを馳せたものです。
宮脇先生はもう亡くなってしまったんですな。
彼のように、仕事が終わった金曜日の夜に夜行列車にふらっと乗り込み、知らない土地を車窓から眺める。(しかし、彼は中央公論の編集者だったはずなのに、よくそんな時間があったもんだな。。)
そんなことに憧れていた二十数年前の自分の気持ちが、今頃になって騒ぎ出すなんて。。どうしたことなんだろう?

三連休の中日の昼下り。
オフィスで、えらく調子の悪い無線LANと格闘していると、、、
開け放った窓の外から 『三本締め』 が聞こえてくる。
「なんだ?」 と思ってベランダに出て身を乗り出してみると、お神輿だった。
ウチのオフィスの目の前には、小さなお稲荷さんがある。きっとその前を通るときに 『三本締め』 をしてたんだな。。
青山でもお祭りがあるんですなぁ。
どこにでも 「祭り好き」 というのはいるもんで、、、
決して地元のオジサンばかりではなく、若くても女性でも、祭り衣装で神輿を担いでる人がけっこういた。
そういやぁ、田舎の友達にも毎年神輿を担ぐことを誇りにしていたやつがいたな。。
新興住宅地に生まれ育ったボクには、ちょっと分からない感情です。
しかし、東京のお祭りって秋口が多くないですか?
田舎モンの常識で言うと、お神輿の出るお祭りというのは、「夏」 って決まってるもんなんですけどな。。
誰か知ってる人がいたら教えてください。。
で、思わずカメラを持って飛び出したのは、法被 (はっぴ) のデザイン。
改めて見ると、これがまたすごくカッコいいんですな。とても洗練されている。
子供の頃はあまりそう思わなかったけど、やっぱり日本のデザインというのは世界に誇れるものだなあと思う。
しかもそれが日常のあらゆるところに転がっているからすごいのだ。
で、今日買ったCasa BRUTUSの安藤さんの記事につながる……
「(日本は)衣食住、どれをとっても実に多様で繊細な感性にあふれている。重要なのは、その感性が近世から広く大衆に浸透していたことです。イギリスでもフランスでも、文化はあくまで貴族社会の特権でした。農民や町人が歌舞伎、文楽を見て、浮世絵を買う。日本人はそうした文化を持っていた。日本人の民度の高さはやはり特別ですよね。」
うん、なるほど。そうかもしれない。
安藤建築の魅力。いろいろ意見があると思うが、ボクは 「日本的」 なところが好きだ。日本人でなかなかそこを理解する人は少ないと思うが、彼の作る空間の移り変わりの中には、絶対に日本的なセンスが込められている。ガイジンが安藤建築を好きなのも、そういうところなんじゃないかと思う。
↓「アミダの乗車券」 で淡路島にも寄ってみようかなぁ (淡路島には安藤建築がいくつかある)、なんて、ちょっとだけ思っている。……はい! 仕事仕事!(翌週は日本GPだしね。)

今月号の 「TITLE」 に感化されたわけじゃないですよ。。
9月末の金曜日、22時00分東京駅発、高松行き。
「サンライズ瀬戸」 B寝台・個室。
電車クンにはたまらないチケット。
た、楽しみだ!
九州・東北・四国、
乗る寝台列車を絞って 「あみだくじ」 で決めた。
……わけじゃないんだけど。
うひ。
ちなみに 「涙の乗車券」 は、ビートルズのオリジナルより、カーペンターズのカバーのほうが好き。

「5」 のつく歳に 『気づいて』、
「7」 のつく歳にきっかけがあって、
「9」 のつく歳になんとなくカタチになる。
そして 「1」 のつく歳にゼロに戻る。
10代のときも20代もそうだったなあと思う。
そろそろリセットしないといかんな。
なんか最近そんな気がしている。
週末、河口湖に行った。
朝6時の湖畔はコスモスが咲いていて、空気が澄んでいた。
何十回も通ったはずの河口湖が初めての景色みたいに見えた。
「こんな景色だったんだ〜」 と思うもんだね…。
人間、見ているようで見ていない。
午後、絶叫マシンに乗った。
ほんとうに絶叫した。
そうだ! オレって、高所恐怖症だったんだ。。

はいどうも、お疲れさまです。
↑ここ一週間の 「空」 コレクション。
まだまだ毎日暑いけど、だいぶ空が澄んで、高くなってまいりましたね。
「ヒツジ」 とか 「イワシ」 とかもよく見かけるようになりました。もうすぐ秋です。そうです、もう秋です。。
最近のお気に入りは、青山墓地の横の坂を自転車で走りぬけること。
橋の上で青い空を見上げると、「あー、やっぱカメラ(一眼デジ)欲しいわ」 と思う、物欲の秋でもあります。
この暑いのに3日帰れなかった先週、ある打ち合わせから帰ってくると、ボクのつけっぱなしのPCの横に見覚えのないガムが。。
『カラダ香るフレグランス オトコカオル』。
んんー、これっていったい……。
最近ウチに入ってきた、とーっても気の利くアシスタントの●岡ちゃんの仕業、たぶん。
3日帰らなくても、加齢臭がキツくても、、カラダの内側から薔薇の香り。さいきんは便利なものがあるんですな (好評すぎて緊急販売休止なんだって、ホントか?)。

日曜日、取材で鈴鹿に行った。前々回のF1日本グランプリ以来なので2年ぶりだ。
ボクらの応援しているアスリートがFCJ (フォーミュラ・チャレンジ・ジャパン) というカテゴリのレースに出ることになった。その初戦はどうしても見ておきたかったので、「取材」 という言い訳を作って見に行った。
現地で彼に会い、パドックパスを受け取ってパドックに行ってみると、、「○○小学校PTA」 と書いてありそうな白いテントの下にフォーミュラーカーがひっそりと佇んでいる。その 「草レース」 的なかんじとカーボンモノコックでできたレースカー (中身はフォーミュラ・ルノーの200ccらしい) のハイテク感が対照的で面白い。それでも、これからフォーミュラ・ニッポンを、そしてF1を目指そうとする若者がひしめくワンメイクレースである。
人懐っこい彼の好意で、そのコックピットに座れる機会をいただいた。
「あ、あの…、お尻が入りません……」
「いや、もっとお尻をすべらせて、寝そべる姿勢になってください。」
ずるずると足を奥のほうにすべらせると、ものすごく狭い空間の中に3つのペダルがあった。その位置まで来ると、最近大きくなって久しいボクのお尻も収まった。。

まさに、洋式のバスタブに寝そべっているようなかんじである。クルマからは、首から上しか出ていない状態。ボーイングの旅客機の操縦桿のようなステアリングをセットしてもらうと、気分はもうナイジェル・マンセルだった (←なぜマンセルかは分からない…)。
しばらく 「そこ」 から見る風景を楽しませてもらってから取材に戻る。
「みなさん!準備を始めてくださーい!」
というオフィシャルの指示で、今まで立ち話や昼寝に興じていた27人の若者は戦闘態勢の目に変わる。突然エンジンに火が入れられ、白いフォーミュラーカーが、「PTAテントのパドック」 を後にする。その、ゆっくりした、長い半クラッチはやっぱりレースをするためのクルマだというかんじを漂わせる。
スターティンググリッドにマシンが並び、一台ずつの紹介がはじまる。
「ゼッケン20。山一興産BLUETAG FCJ、山口 礼選手!」
おぉ! 我々のプロジェクトの名前が鈴鹿のグランドスタンドに響いてるではないか!!
しばしの感動に浸ってる合間にスタートが切られた。
F1やフォーミュラ・ニッポンのマシンには及ばないが、やっぱり生で聞くマシンの音は格別。最終コーナー付近で彼がやってくるのを待つ。ファインダー越しにもサイドポンツーンに 「BLUETAG.JP」 のステッカーが貼ってあるのは確認できる。
17周、あっという間にレースは終わる。結果、19位。
「最後の周回で後続のマシンに突っつかれちゃって。なんとか再スタートできたんですが。。」
「…まだまだですね、やっとマシンの特性が分かってきたところです。」
十分な気迫がファインダー越しにも伝わってた。次回 (8/5-6 富士) が楽しみ。。
【おまけ】
今回のボクのタイム。
(行き)港北→鈴鹿の駐車場:3時間30分 (自己ベスト!)
(帰り)鈴鹿の駐車場→港北:7時間15分

今週末もまた浜名湖を見ました。ウナギさんもさぞかしびっくりしていることでしょう。
昼ごはんは 「櫃まぶし」 。んー、うま。
明けて月曜日。オフィスの3時のおやつに二週連続で 「ウナギパイ」 (今回はVSOPではなかったが) が配られたのは言うまでもない。

久しぶりに 「変曲点」 ってコトバを思い出した。
数1だか数2だかで習ったはずなんだけど、もうコトバの定義さえ忘れてしまってる。二次曲線、三次曲線の 「傾き」 が変わる点。だったっけ?(違うな…) 大人になってから全くもって、このコトバを使った記憶はない。予備校時代、デッサンを教わったときに 「ガラスビンのくびれの曲線には変曲点があるでしょ?」 って言われたのが最後のような気がする。
土曜日。8時16分の新幹線に乗った。
久しぶりの新幹線。久しく乗った記憶のない 「ひかり」 号(300系新幹線)はどんよりと曇った品川駅をはすべり出した。目的地は掛川。っていうか、掛川ってどこだ?
腹減ったなあと思ってるとワゴンサービスのお姉ちゃんが通りかかる。サンドイッチとコーヒーを買って食ってたらもう熱海。ちょっと眠いなあと思って (←牛か!) ウトウトしてたらあっという間に静岡。。早すぎるよ新幹線。前の日までの疲れがたまってたからか、悪い夢を見てべっとり汗をかいていた。「夢の超特急」 ならぬ 「悪夢の超特急」。(←いやだ)
改札を出ると、もうKさんが迎えに来てくれていた。一緒にいる方が今日打ち合わせをするお相手。近くのホテルの喫茶店で打ち合わせ。しかし、普段会社に出社する時間より早くこんな遠くにいるなんて不思議だ。(どんな遠くだかよく分かってないのだが…。) ところで掛川ってどこだ?
昼前に用事は済んだ。
「昼飯でも食いますか」
「ですね。」
Kさんに言われるがまま、彼のクルマに乗り込む。
高速に入りしばらく走る。袋井、磐田という緑の標識が通り過ぎていく。どこまでメシ食いにいくんだろう? と考えてるうちに浜松西の出口で降りた。
「昼飯、うなぎでどうですか?」
「そうか! 浜名湖が近いんですね!」
なんとなく今自分がいる場所の位置関係が分かってきた。ナビをみると、すぐそこがもう浜名湖だ。
「浜名湖はウナギが名物って言ってもね、本当に旨いウナギ屋は3件ぐらいしかないんですよ。新鮮で、焼き方がうまくないとダメなんです。その店は注文受けてから 『さばく』 んです。」
…目的地は 「その店」 だ。
Kさんは何度か道を間違い、右へ曲がり左へ曲がって、川沿いに建つ、何の変哲もない、ごく普通の 「うなぎ食堂」 にクルマを停めた。重い引き戸を開けると、カウンターと座敷がある。座敷は近所の家族連れが一組、近くのクルマのディーラーに勤めてると思われる、制服を着た女性といかにもクルマの営業マンといった 「いでたち」 の4人組が腹を空かせてテーブルの前で 「おあずけ」 をくらっている。
我々はカウンターに案内された。白髪交じりの、ガタイのいい、気難しそうなオヤジさんと、娘とも奥さんとも分からない年齢不詳の女性がカウンターの内側にいる。オヤジさんはカウンターの内側でうなぎを 「さばいて」 いるようだ。太い腕に思いっきり力が加わっているのがよく分かる。
年齢不詳のおカミさんから水とおしぼりを出されてカウンターを眺めていると、カウンターの内側でうなぎを 「さばいて」 いる様子が、壁に貼ってあるステンレス板に反射してボクの位置からも見えることに気づいた。Kさんとの話もうわのそらで、その 「さばき」 に見入ってしまった。
生きたままのうなぎがまな板の上にのる。まだ生きている。
この時点ではまだ 「生き物」 だ。
【工程1】
太腕のオヤジさんが千枚通しのようなものでエラに一撃。(うわっ!) まな板の所定の位置に穴が開いてる。そこに 「千枚通し付きウナギ」 をセットする (またピクピク動いている)。ザクッと包丁を入れ、千枚通しを押さえながら、すーっと尾びれに向かって上側の 「身」 を剥いでいく。
慣れた手つきだ。次に背骨を剥ぐ。
包丁を入れた背骨をきれいによけると、もう一枚の 「身」 が現れる。
「うえ〜、、皮剥ぎだな。。生々しい。」(ねじまき鳥クロニクルの一場面を思い出す)
この時点では、まだウナギが 「ご馳走」 に見えてこない。
次に鉄 (アルミ?) 製の長い串で、今さばいたばかりのウナギの身を串刺しにする。
よく見るウナギの蒲焼スタイルになってきた。。でも、妙に 「白い」 し蒲焼には見えない。…そりゃそうだ、タレつけてないんだもの。
【工程2】
工程は次に移る。
太腕オヤジは一度手を洗い、ぎゅっと布巾をしぼって手を拭くと、ビールジョッキに入った冷水を飲み干した。調理場の中は、かなり暑いはずだ。
窓際には年季の入ったウナギを焼く台があって、炭に火が入っている。オヤジはこれまた年季の入ったウチワで炭を扇ぎ始めた。炭が赤くなり、パチパチと音をたてはじめる。
そこへ先ほどの串刺しウナギを乗せる。きゅ〜っと皮が縮み、ウナギ自体がカールする。オヤジは変にウナギがカールしないように、別の串数本を束ねたやつを使ってギュっと押さえつける。
白い煙が立ち上り始めた。といってもこの煙は、どちらかというと 「煙い」 ケムリだ。シルクロードに行ったとき、完走した日にゴール地点となった牧場で現地のスタッフがバーベキューをしてくれた。バーベキューって、旨いもんだとずっと思ってきたのだが、そのときのバーベキューだけは食指が伸びなかった。全部が羊の肉で、しかも味付けがイスラム料理風だったからだ…。そのとき 「無理!食えない」 と思いながら眺めたケムリを思い出した。
ウナギというのは、意外と油っぽいのだ。滴る油に火がついて、火の勢いは強くなる。
【工程3】
しばらくしてウナギがほどよく焼けてくると、オヤジは窓際の隅にある大きな壺の蓋を開く。そこには、もう何十年も使い続けてきたと思われる、蒲焼のタレがなみなみと貯めてあった。
その液体の中にほどよく焼けた 「串刺し」 を浸す。3秒数えて、その 「タレ付串刺しウナギ」 をまた火であぶる。
「おお!!うまそうな匂い!」
この瞬間、今まで見てきた同じ物体が初めてご馳走に見えてきた。
タレに火がまわっていい色がついてきた頃、オヤジはあぶったウナギをまたタレに浸す。
「ああ、なるほど。ああやって焼けたウナギをタレに浸すことでウナギにはタレが染み込み、タレにはウナギのエキスが染み込むわけだね」
とKさんと感心した。きっとあのタレは何十年も切らすことなく、少なくなると注ぎ足して熟成を重ねてきた代物だ。
タレに浸し→炭火であぶる を何回繰り返しただろう?
白いウナギの串刺しが、ほどよく焦げ目のついた、うまそうな 「ウナギの蒲焼」 に変わった。ケッタイな生き物がいつの間にか 「ご馳走」 に変わった。
…結局、「ウナギ」 という生き物が 「ご馳走」 に変わる (オレ的な) 変曲点はどこだったのか?
変曲点=香ばしい香りがしてきた瞬間
だったと思う。「匂い」 の力ってすごいですね。
新鮮な魚は、魚の 「姿」 を見ただけでも美味そうに見えるもんだが、ウナギはそうは見えない。ボクは蛇 (=細長い生物) が苦手なことと、意外にリンクしているのかもしれないけど。グロテスクなウナギのその 「いでたち」 が、ある瞬間を境に 「ご馳走」 に見えてくる。その変曲点を発見したことが、我ながら面白かった。

土曜の朝、駅から家への道を歩いていたら、駅前の商店街に七夕飾りが飾られていた。
といっても、仙台とか平塚みたいに大げさにできるはずもなく、100メートルおきの電柱に一本ずつ竹の木がくくりつけられて、さりげない飾りつけが施されているだけ。それでも雰囲気満点。「そうか、もうそんな季節なんだ」 と思わせるには十分な演出だ。しかも、何気に短冊には直筆で願い事もちゃんと書かれているではないか!
でも、飾りつけよりも笹の葉の緑のほうが全体的に目立つから、あまり予算もなかったのだろう、そのシュールさがまたいいんだけど…。8年住んでいて初めて目にするから、今年始まった企画なんだろうと思う。いい企画です! 頑張ってくださいね>商店会。「この飾りつけ、どこまで続くのだろう?」 と思いながら歩いてたら、自宅の前の電柱まで続いていた。願い事書いちゃおうかな。。
七夕という行事って、一年中でいちばん季節感があって好き。たぶん 「もうすぐ夏休み」 という小学生ぐらいのときの記憶がそう思わせるのかもしれないんだけど。(大人になってから、そんなにステキな 「夏休み」 は少ないが) しかし、もう7月かよ…。
七夕飾りを見ると、小学校のときの 「七夕集会」 なる行事を思い出す。
全校朝会の日が7月7日だからそういう名前がついただけで、何か特別なことをした覚えはない。でも竹の木を切り出した七夕飾りが校庭の真ん中に飾ってあって、「ささのはさーらさら…」 と歌ったような覚えがある。七夕の由来 (織姫と彦星が〜) を、若い女の先生が朝礼台の上から説明してくれたような気もする。
その日は、この時期の関東地方にはめずらしくきれいに晴れあがり、朝から眩しい日差しが、整列している前の子の肩にギラギラと降り注いでいた。とても暑いんだけど、湿った空気が変に清々しい7月の朝だった。(アサガオが咲いてるかんじね。) そんなシーンが甦ってくる。
その頃担任だったN先生。定年前のあばさん先生。口が達者で、良くも悪くも 「はっきり」 モノを言う先生。父兄の評価もまちまちだった。でも、内気なボクにいつも気をかけていてくれる、やさしい部分もあった。50歳を過ぎてからバイクの免許をとり、ある朝突然、スーパーカブに乗って学校に現れたかと思うと、1年後にはクルマの免許もとって、真っ赤な 「ホンダ シティ」 に乗って学校にやってきた。元気があって、チャレンジャーな一面もある先生だった。
七夕前、用務員のおじさんが学校の裏山から竹を切ってきてくれて、各クラスのベランダには思い思いの飾りつけをした七夕飾りが並んだ。まだまだのんびりした時代だった。願い事を書く段になって、生徒はそれぞれの願いごとを、友達に見られないように隠し隠し短冊に書き留めた。
「ちゃんと書けた?」
ボクの班を見にきた先生が、ボクの短冊を覗き込んで言った。ボクの短冊には 「パイロットになりたい」 と書かれていた。
「なれるわけないでしょ。」 とN先生。
がーん!(<おれ)
ま、実際なれていないのだが、その、先生の言葉は子供心にショックだった。「夢も希望もねえじゃねえか、先生よぅ」 って小学校3年生なりに思った。なぜ彼女がそう言ったのか分からないが、子供を変に子ども扱いしない、さっぱりした性格がそう言わせたのかなと今では思う。27年も前の出来事だ。
そのN先生が最近亡くなったそうだ。電話で母親から聞いた。時々 「元気かな?」 と思い出す、不思議な存在の先生だった。彼女が生まれた場所だと言っていた、桑畑の続く地区をクルマで通るたびに、赤い 「ホンダ シティ」 に乗った先生が通りがかるんじゃないか? って思うことがあった。たまには年賀状ぐらい出しておけばよかったなと思う。(ボクのこと覚えてないと思うけど) ある年、彼女の真っ赤な愛車を、色鉛筆で年賀状に描いて送ったら、とても喜んでくれたっけ。
今でもあの小学校では七夕飾りを出すのだろうか?
N先生、
先生の言ったとおり、ボクはパイロットにはなれなかったです。
でも、今の仕事もそんなに悪くはないですよ。それなりに元気でやってます。
それではN先生、ごきげんよう。

【その1】
連休明け、六本木ヒルズが見えるところにオフィスが移った。ボクはそこのオフィス勤務。毎週ミーティングにやってきてくれるコピーライターさんが早速、ムラサキの紫陽花の鉢植えお抱えてやってきた。「胡蝶蘭」 がわりに、というわけだ。
「わー!ありがとうございます!」
「けっこう長持ちするらしいですよ」
畳んだダンボールとこんがらがった配線でいっぱいの部屋に 「華」 が咲いた。紫陽花の色の変化を楽しませようなんて、さすがライターさん。考えることがニクい。
翌週。
ネットが開通してないため、なかなか足が遠のいてるスキに、気がつくと紫陽花の元気がない。あわてて土をのぞいてみるとカラカラだ……。「ヤバイ!」あわてて水をあげてみるが、今度はあげすぎたようだ。水浸し……。
翌々週。
すっかり 「茶色」 の花に。。確かに色は変わったけど。
ごめんなさい!!
だ、だけどですね、ここんとこ復活しつつあるんですよ (写真)。
【その2】
後輩がスパイラルでグループ展をやるという。わざわざDMを送ってきてくれたし、歩いて数分なので行ってみようと、同僚 (男) といっしょにオープニングパーティに向かう。
「やっぱさ、花とかお菓子とか手土産持ってくもんだよな?」
表参道の駅の近くに花屋さんを見つけて、物色。
花屋というのはステキな商売だ。タイヘンそうだけどね。(商売変えするなら、花屋か自転車屋と昔から決めている)
しかし、いろんな花がある。。。
ヒマワリかな。。
個人的にいくつかの花を組み合わせたアレンジはあんまり好きでない。ボクの作るデザインもそう(?)なのだが、「インパクト重視」 が好きだ。あるディレクターさんに言われたことがある。「ハシモトさんのデザインは大胆、かつ繊細なんだよね。」
(↑ちょっと褒めすぎなんだけど)
「あんまり仰々しくならないようにお願いします。」
花束持って歩く、というのは、けっこう勇気のいるものなんだよね。。
到着したのは、オープニングパーティも終了の時間。
初日の挨拶も終わってしまった彼女を見つけて花束を渡すと、とても喜んでくれた。
たまたま、その日の彼女の服は黄緑がベース。黄色いヒマワリがとっても似合ってた。
そういう 「偶然」 ってステキです。
「君どうして 『ここ』 に来たの?」
渋谷の飲み屋。「ここ」 というのは飲み屋じゃない。
今年の初めに読んで感銘を受けた本の著者がボクの前に座っている。予想どおり、毎週話を聞くのが待ち遠しい、面白いオジサンだった。
「あんまりいないタイプの人なんだよね。」
「はぁ、そうですか。」
「今いくつなの?」
「35です。」
「独身?」
「ええ、独身ですね。」
「やっぱり……。君のズボンは独身っぽいね。」
「はぁ?」
「35かぁ……。」
腕を組んで片方の手をあごの下に置いて考える、いつものポーズ。
普通、『ここ』 は好奇心が旺盛で、コミュニケーションが上手で、何かやってやるぞーという人が集まる 「場」 なんだろうと思うけど、どうもボクはそう見えないらしい。いや、そう見られるのは慣れてるからいいんだけど。
「おもしろいねぇ。」
面白いのかな?
でも、『おもしろがる』 ことができるってある種の才能だと思う。見習わねばね……。
「35歳って特別な歳になるような気がしてたんですよ前々から。何かを変えたいんです、たぶん。『ここ』 に来てるのもそれが理由のひとつかもしれませんね。」
「そうでしょ? そうなんだよ。35歳って、18ぐらいから続いてきた人生が一度終わる時なんだよ。区切りがつくというか。。いや、だから何か面白いことしたほうがいいよ。」
「なるほど。」
「ん〜そうだな、ボクの場合はね、35歳から海外に行くようにしたな。だいたい十何年も仕事してくると、企画も通るようになってくるじゃん。そうやって海外に行ける企画ばかりを考えてさ……」
やっぱりオレって、オジサンの話を聞くのが好きなんだなあと思う。いろんな人の人生の断片を、彼らのコトバで聞くことにリアリティがある。そして、彼らの視点で見た風景を想像してみると、いくつもの人生を経験したような気分になる。
「コイツ面白しれぇなぁ〜って思ったら、言葉の分からないガイジンでも友達になっちゃったモン勝ちなんですよ。わかります?」
っていうのが口癖の彼の視点で、いろんな人に出会う光景を想像してみる。
「おもしろいねぇ。」

これまたご無沙汰しました。一度書かなくなるとダメですな。。
ボクにとっての「リアル」とは何だろう? と考えてみる。
答えは、「ニオイ」と「ノイズ」なんじゃないかと思う。
バイクに乗ると、その2つを両方とも感じられるから好き。
(バイク自身が発する『ノイズ』も相当デカいのだが……スーパートラップのネジが3本外れてました。笑)
雨の匂いも、森の匂いも、靴のつま先が雨でぬれて情けない感覚も、エアコンを効かせたクルマの中からは分からない。
「匂い」と「ノイズ」は、記憶を瞬間的にフラッシュバックさせる力を持っている。だから、バイクに乗るとちょっと切ない気持ちになったりもする。5月は憂鬱な月。
伊豆・戸田港にて刺身定食:1,600円+ご飯おかわり200円なり。
港の突堤で、風の音を聞きながらの昼寝が気持ちよかった。うーん、オトナのツーリング(!?)
さいきん、昔仲良くしていた友達と話す機会が多い。で、しばらく会ってなかった彼ら (彼女ら) が話すコトバにドキっとすることが多いのである。「重い一言を言うようになったなあ」 とか、「だいぶ視点が広くなったんだなぁ」 とか、関心してしまうことも多い。そりゃもう、世の中的には中間管理職になる世代なんだから、あたりまえなんだけど。
バイク雑誌のライターをしている友達の一言。
「バイクってさあ、自分を 『確保』 する装置だと思うんだよね。」
キザ (←死語!) な一言だとも思うし、プロなんだからそれぐらい言えるだろう、とも思うんだけど、どうもその一言にやけに自分が反応してしまっている。
今朝のような、そのまま額に入れたいくらいの青空で、コートを脱ぎたくなるような暖かい朝には、「バイク買っちゃおうかな」 っていう気分になる。……とてもなる。
彼の理屈はこうだ。
自分を 『確保』 するための装置なんだから、自分で懐痛めて買わなきゃいけないんだよ
↓
ハッシーもそろそろ新しいの買わないといかんな。
ふむふむ、リスクテイクせよ、ということね。彼の理屈にはまってしまいそうな予感が、とてもしている。
あんなの、とか、こんなのとか……。(オレも普通だなぁ)
土曜日の朝、キーを挿してセルモーターを回す瞬間を想像してみる…。(ニヤリ)

「写真」 というものは偉大だ。人の 「営み」 を浮き彫りにする威力がある。
ひさびさにGoogleマップを見てたら、オラの実家もちゃんと見れるではないか! ということに気づき、実家を眺めたり、中学校の自転車置き場を見てみたり、小学校のプールが緑色になってることを確認したりして楽しんだ。
で、実家の様子を 「物置まで確認できるんだねー」 とか思いながら見ていて気づいたのだ。
「あっ!」
Googleマップで自分の母親の 「営み」 が確認できるのである。
ボクの実家のまわりには下水道が通っていない。「えー!」 と思う方も多いと思うのだが、日本全国の下水道普及率って、まだまだ68.1%なんだそうです。(茨城県については49%)。
下水道が通ってないというのはどういうことか?
自宅の庭に穴を掘って、土管を埋めて、そこに一時的に生活排水を貯め、自然に地面に浸みこんで行くのを待つ。のである。
環境破壊? なのかもしれないのだけど仕方がない、それしか方法がないんだから。税金をちゃんと払っていても下水道はなかなかやってこないわけで、いつの日か下水道がやってくるのを待ちながら、もう30年も経ってしまっているというのが現実。トイレは汲み取り式だから、朝、学校に行く前にゴハンを食べていると 「汲み取り屋さん」(=バキュームカー) がやってきて、「ギュギュギュ」 みたいな吸引音をたてながら吸い取ってくれたりするのである。(そんな朝は、いつもはおいしいと思っていたりするハムエッグがちょっとまずく感じたりする。ゴメンなさい!>汲み取り屋のオジサン。)
庭に埋めた土管の容量には限界がある。なので、朝洗濯した水とかを排水すると、土管が溢れてしまったりもする。梅雨なんかで地下の水位が高いときは、なおさら 「浸みこみ」 が遅い。だから、この近辺の人たちがするのは、生活排水をバケツでかい出して道路に捲き、自然乾燥を期待することなのだ。
「そんな、昔のヨーロッパの都市みたいなことが今も行われてるはずがねえだろ」 と思うかもしれないけど、いえいえ、東京のすぐ近くでもそんなかんじが現実なのです。
んで、実家のGoogleマップの衛星写真 (?) を見てたら、ウチの母親が撒いた洗濯の水の痕跡が確認できてびっくりした、のです。ボクの家の真ん前に黒い水溜りの跡があるので、これは間違いなく母親の 「営み」 の痕跡なのだ。。
そのことを両親にメールで伝えたら、翌日母親から電話がかかってきた。「見たわよ、笑っちゃうね。」
東京に出てきて、下水道が完備されている生活が当たり前になってしまってるボクは、実家に帰ってバケツの水を家の前の砂利道に撒いている母親を見るたびに 「何て無駄な」 作業なんだって思ったりもする。早く、そういう労苦から開放してあげたいよなぁとも思うのだ。
10夜連続とかいって、10夜近く更新してませんわ。。

一年でイチバンの引越し日和の日曜日、我が家のガレージ (?) にあったバイク (50ccのレーサー) もお引越しした。
10年近く、我が家の超狭い台所に置かれていた (←そんなことしてよかったんかな?) バイクが、広々とした素敵なガレージに引っ越した。最近家を建てたレース仲間の家だ。
いいなー、ガレージ。
がっぽり儲けたら、家よりも (いや、家の次に) ガレージを持とう。都心から1時間ぐらいのところ、そうだな、高尾山のふもととか…。「山の匂い」 のするところにガレージを借りたい。家に併設のガレージは気を使うし、今どきの不動産屋の思惑の思うツボだ。「ガレージに向かう」 という無駄な移動、無駄な時間こそボクの求めているものだ。うーん贅沢。
ガレージの中身は’73年式の黄色いビートル (カリフォルニアが似合うやつね)と、900SSとかがいいなあ。もちろん、中央フリーウェイはアルファロメオでぶっとばします。土曜までガツガツ働き、日曜の朝からビートルのレストアに明け暮れる。嗚呼、なんてオタクなんだ。でもステキ…。
とか……アホな妄想をしながらモニタに向かう、そんな年度末です。。

仕事でよく欧州に行く友達と、こんな会話をすることがある。
「今どこ?」
「バレンシア」
「バレンシアってどっち側なんだっけ?」
「どっち側っていうか、伊豆で言うと稲取ってかんじだな。。」
イベリア半島を伊豆半島に見立てると、バレンシアは稲取あたり、ということになる。
「あー、なるほどね…」
首都圏のバイク乗りにとって伊豆半島というのは、それくらい馴染みが深い存在なのだ。つまり、「伊豆半島」 がバイク乗りの共通言語であり、単位なのである。
「伊豆なら目つぶってても案内できるからさ…。ウチの会社が入ってる健康保険組合の保養所もあるし、河津桜見に行こうよ。」
1月のある日、以前母親が 「河津桜を見にいきたい」 と言っていたことを思い出して、そういう提案をしてみた。親も歳とってきたし、「親孝行したい時に…」 とも言うし。たまにはそいうことしないとなあと時々思ってしまう年頃なのだ。
週末は混むし、保養所の予約もとれなかったので、2月末の平日にその旅行は敢行された。お仕事をお願いしているみなさんゴメンナサイと思いつつ (だって、桜が咲いてしまうのだ…) 徹夜明けの眠い目をしたまま家を出る。用賀の近くのファミレスで待ち合わせをしたら、彼らのほうが先に着いていたのだが、東京に 『存在している』 田舎の両親というのは、実にヘンなかんじだった。
ターンパイクで大寒山にのぼり、曇りで見えてない富士山を惜しみながら伊豆スカイラインへ。茅葺屋根と 「むぎとろめし」 が有名な峠の茶屋で昼飯を食って修善寺の梅園へ。
紅梅も白梅も見ごろ。
しかし…ジジババばかりだ。
414号で天城峠を超え、ループ橋を超えるとチラホラ桜が咲いている。
「わー、咲いてるね〜」
ひとつ気づいたことがある。正月とかで実家に戻ると、あれはどうした、これはまだかと言いまくる母親 (喧嘩の火種放射器) も、旅行に出ていると、初めての風景に感動をしてたりするわけで、雰囲気がポジティブになる。よいかんじだ。そうだ、こうやって旅行しながら同じ時間を共有するってことが、親孝行しやすい環境なのかもしれないな。思い出も作れるわけだし一石二鳥だ。
河津七滝を超え、海を目指して走る。2200ccのオデッセイでのドライブは快適。昔から後席専門の母親は、リアシートにちょこんと座って窓の外を眺めている。ボクと父親の位置が変わっただけだ。(最近の父親の運転は危なっかしい。なのでボクが運転。)
川沿いの道へ出て驚いた。一面桜色の並木道が続いている。
「すげー! もうこんなに咲いてるんだ!」
川の流れと、ソメイヨシノよりもだいぶピンクな河津桜の並木道と、菜の花と…。2月下旬だというのに、雰囲気はすっかり春。橋の上から眺める風景は、本当に古きよき日本の風景だった。
だけど、この河津桜、新種の早咲きの桜で、こんなに咲くようになったのはここ10年ほどなんだそうだ。そういえば、学生時代もこの時期に 「(卒業生)追い出しツーリング」 と称して、周辺をさんざん走り回ったはずなのに、全く桜の記憶なんてない。だから本当にここ10年なんだろうな。「町興し」 か何かで始まったプロジェクトなんだろうけど、すごい熱意だな (旅行会社の 『煽り』 もあったと思うが)。ところで…ここでもお客はジジババばかりであった。歳をとると自然が 「愛おしく」 なるって聞いたことがある。だからなのかな? っていうか平日だからか。
そんな中で、車椅子に乗った80代ぐらいのお婆ちゃん (ちょっとボケ気味か?) を、娘と思われる60代ぐらいのプチ婆ちゃんが車椅子を押しながら桜を見ているところに出くわした。
「ほら、お婆ちゃん、ちゃんと見とくのよ! 来年見れるかどうか分からないんだから…」
おいおいそれってどうなんだ?? まあ、笑いが出る雰囲気だったからよいんだけど、ひょっとして鬼嫁? でも大丈夫。「ガハハ」 って大きな声あげて笑っていた婆ちゃんは、たぶん来年もこの桜を見られるよ。
しかし花見というのは、やっぱり日本人にとって 「季節の目盛り」 なんだなあって思った。
2日間とも天気がイマイチだったけど、父ちゃん母ちゃんにはいい思い出ができたのでしょうか??
木曜日は定例のミーティングが3つ重なっている。本日は0勝3敗ですべて遅刻。いいのか? そんなんで…。
で、3つ目が終わると23時。外に出ると大雨だ。というか 「嵐」 だ。
風も強いし、傘なんかほとんど役にたたない。風が吹けば 「おちょこ」 になってしまうし、神宮前の交差点を曲がると雨はいっそう激しさを増した。
おろしたてのコートはズブ濡れでゴワゴワだし、今日クリーニングからあがってきたばかりのパンツは膝上まで濡れている。靴の中もじんわり水が浸みているし、持ってるPCもMACも書類もヨレヨレ。なんなんだよ、いったい!
いや、タクシーにでも乗ればいいんだけど、我慢して歩いてしまうのが悲しいかな、小市民なのである。普段は歩くと気持ちのいい表参道も、地下鉄の駅までの道のりがとても遠く感じられた。
なんだが…、そんな中、思わぬ発見をしてしまった。表参道ヒルズの 「側溝」 である。そう、雨水が流れる、建物と道路の境界にある溝だ。といっても、市や区が作るような 「ドブ」 の趣のある側溝ではない。わずかに段差が作られた、幅20センチぐらいの溝だ。建物と一緒に設計施工されたものだろう。そこに雨水が流れる様子がとてもキレイなのでびっくりしたのだ。通路とは微妙に違うテクスチャの石が側溝には貼られていて、その上を薄く流れる水の幕が街の光の反射率を変えるような仕掛けになっている (たぶん)。
なんというか、大雨が降ることで風景の変化が起きているのだ。そこに小川が流れているような風景が作り出される効果を計算しているんだと思う。(京都・高瀬川沿いのTIME'Sを思い出した。)
すげーよ、安藤さん。『ディティールの設計』 というのはこういうことを言うんだね。なんだか、その風景を発見してしまったことがとても嬉しくて、「雨に唄えば」 の気分になってしまった。 (が、写真を撮る元気はなかった…。) 人を幸せな気分にする建築、というものもあるんだな、ということを見つけた春の夜である。
大雨の日、是非気にして見てみてください。
…しかし、この嵐はなんなんだ?

忙しいのだが、更新する。
ボクの母校は、今住んでいる家の目の前にある。環八の反対側だ。
…といっても、学部は八王子に校舎があり、4年間その山奥で生活して (いや、学んで) いたので、ボクの時代は入試の時にだけしかこの校舎に来ることはなかった (今は完全に二部の校舎になっていて、学部の入試も八王子で行われてるらしい)。
最近は教育機関というのも少子化に危機感を感じているらしく、「生涯学習」 と銘打った、シニア向けの教育が盛んなようだ。
ある日、上野毛駅で見かけたポスターに目が留まった。「堺屋太一@多摩美」。見覚えのある写真…そうだ!この間、朝メールチェックをしながら、ふと窓の外を見たら、色違いのポスターを多摩美の校舎の塀に貼り付けて写真撮ってたやつがいた。あの写真だ。。
堺屋太一が上野毛校舎の講堂で講演するらしい。
「??」 なんでだ?
タイトルは 「団塊の世代と芸術」。生涯学習プログラムというものの特別講座。それにしても、分かるようでいてよくわからないテーマとキャスティングである…。
でもまあ、こんなに近くで (徒歩2分、直線距離でたぶん85m) 彼の話が聞けるのなら、と思って申し込んでみた。定員は500人。あの講堂って、そんなに人入ったんだっけ?
当日 (2/26) は大雨。
「そういやぁ、合格発表の日もこんな雨だったなぁ」 と思って考えてみると、たぶん16年前のボクの合格発表も2/26か2/27だったということを思い出した。よく考えてみると、この門をくくったのって、あの日以来2回目なんじゃないだろうか。今も毎日、自宅の窓から見てはいるのにである。
受験時のボクの番号は 「80102」 (←我ながらよく覚えているものだ)。
絶対落ちたと思っていたのに番号があって、メチャメチャ嬉しくって、急いで上野毛の駅から実家に電話かけたなあとか、その足で実家に戻ったら、めずらしく父親が早く帰ってきていて、「よかったな、これで一安心だな」 と言ってくれたことを思い出したりした。
(←母親と違って、普段は全く何も言わない父親だったけど、実は心配してたんだなとも思った。)
すごい行列で、5分ぐらい待ってから講堂に。…しっかしボロいなこの建物。学生 (の親) から搾取してるんだから、ちっとはマシな建物建てろや、とか思いつつ開演を待つ。
「団塊の世代と芸術」 って、かなり無理がねえか? 受講生が集まらないから、ハッタリかまして有名人を呼んじゃったのかなとか思っていると、堺屋先生登場。大きくお辞儀をしたかと思うと、いつものように直立不動で、しかも唐突に話が始まった。
うーん、やっぱり、いつのも流れの話だな。。微妙に、美術、芸術の話も織り交ぜているはいるんだが、大筋では一緒だ。でも、何度聞いても面白い。古代から現在に至る流れをたった2時間で分かりやすく、しかも面白く話せる人って、そういないと思う。世界史の先生なんて、一年かかるわけだし…。
彼の思想は基本的に、「人間の本質や営みなんて、古今東西、今も太古の昔も変わりゃせんのよ」 ということなんだなと思う。つまり、歴史上で起きたことと、その時代背景を丹念に調べていけば、今という時代と同じような状況の時代 (国) っていうのが必ずあるわけで、その歴史の結果を学ぶことによって、未来だって予測できるんじゃないかということなのである。で、実際にいろんなことを予測し、当ててしまっているわけだから、それは正しいということなんだろうなあと思う。
まあ、この日の話は以前に聞いた講演にすごく似ていたのだが、ひとつだけ新しい話があった。堺屋おじさんは最近、日経の朝刊で 「世界を創った男、チンギス・ハン」 を連載しているのだけれど、なぜチンギス・ハンをテーマに書きたいと思ったのか、という話。
チンギス・ハンの時代のモンゴル帝国は、今のアメリカに非常によく似ている、ということなのだそうだ。
・行くところ敵なし
・大量報復思想 (裏切ったら皆殺し、ってやつね)
・赤字対策としてペーパーマネーを発行する (≒金本位制をやめたドル)
・人種差別のない本国と属州 (外国人官僚もけっこういたらしい)
↑そして大国になった、ということ。この両国の似ている点を丹念に考察してみたい、という目的があるんだそうだ。…だけど、新聞のあの小説欄って、文字量的に展開が細かすぎてあんまり読む気がしないんだよね…。単行本になるのを待とうか。
で、今回も堺屋先生にとっては、まさに自分が名づけた 「団塊」 の世代を前にしての講演だったので、締めの言葉は同じだった。
「これから定年になって、不安を感じる人も多いでしょうが、『好きなこと』 をやりなさい。『好き』 なことと 『有利』 なことは違う。本当の 『好き』 なことは、それについて話し出したら、何時間しゃべっていても飽きないもの。『世間』 と 『未来』 と 『経済』 から自由になって、是非 『好き』 なことを見つけてください。それを見つけて、大いに金を使うことです。」
どこに講演に行ってもこのセリフを言うんだろうか? ってことは…つまり、どれだけこの世代の人が自分の 『好き』 なことを分かっていないか。世間というものに流されているのか、ってことなんだなぁと思う。ちょっとかわいそうな世代だなあとも思ったりして…。ボクの席の周りも、白髪の混じったおじさんばかりだったけれども、大いに頑張っていただきたいものです。んで、歳とる、ってことが素敵なことだ、と証明して見せる戦後最初の世代になって欲しいものだと思いますな。
ところで、堺屋おじさん、話しはじめてから2時間。本当に直立不動で、一度も 「休め」 の姿勢もとらなかった。水も一杯も飲まなかったし。…このジジイ、タダモノじゃない。
彼が、経済企画庁時代、大阪万博をプロデュースしたのは35歳の時だったそうだ。今のオレの歳か…。いつか、彼の生きているうちに直接インタビューをしてみたいなぁと思う。
完走ってすごいよ。たいしたもんだ。アグリさん見直した (←ただの生意気レーサーだと思ってた)。
ロマンがあるね。
他人が築いた 「轍」 の上を、おっかなびっくり、でも (金かけて根回しはしっかりして) 威勢だけはよく行軍するトヨタさん (←カッコわる…) とは大違いだわな。いくら 「ブランド」 を作りたいと思っても、「そもそも」 ノンポリな会社にブランドはできませんね。 「スポーツ」 というコトバが全然似合わないし。レクサスなんて、スカした名前じゃなくて、「カイゼン」 とかにすれば分かりやすかったのに。「カイゼンGS430 Debut !」 悪くないコピーじゃないすか (笑)。リッツカールトンなんかに研修行かせるんじゃなくて、東横インに研修に行ったりして……ごめんなさい、どんどん悪口思いついてしまう…つまりは個人的に大キライなんです。
話はバーレーン・グランプリに戻って…、ケケ・ロズベルグの息子? アグレッシブでしたな。
どうしても早く戻りたくて、帰りも新幹線に乗った。
東京駅のホームを駆け上がると、「うぉ!500系だ!初めて乗るなあ」 と電車クン魂がくすぶりだしてくる。新横浜に停車する 「のぞみ」 号であることを何度も何度も確認して3号車に乗り込む。「ひかり号」 だとヤバイのだ、品川の次が静岡だったりするし。
いや〜静岡かぁ、魚美味いんだろうなぁ、…それもいいなぁ〜、なんて。
いかんいかん!
昼下がりの博多行きの自由席はわりとガラガラ。とーっても座りたいのだけど、やめておく。これだけ 「落ちそう」 に眠かったら、気が付くとたぶん、名古屋だ。「名古屋だ!ぎゃー!! 」 だ。しかもフォッサマグナの向こうデス。
…でも待てよ、駅ビルの食堂の 「ひつまぶし」 でも美味いしな。ポカポカ晴れてて昼寝には丁度よいし〜、なんて。
いかんいかん!
デッキで外を見ながら17分をやりすごす。
で、地下鉄の車内で座りながら、眠らないようにこの文章を書いている。…しかし徹夜できなくなったなぁ。。
※去年も同じようなこと書いたなあと思ったら…やっぱり3月だった。

『たまに聞くといいな〜、このCD』 シリーズ。
今日のように、よく晴れた、暖かな日のドライブにお勧め。(今日は起きたら夕方だったけど…。)
ブンブン 「よく回る」 クルマを運転してドライブでも行きたいもんですわ…。
っていうか、おれが持ってるCDって邦楽ばかり、女性ボーカルばかり。
音楽も知らないなぁ、オレ。

すっかり雨があがっている。
昨日の大雨はいったいなんだったんだろう?
今宵もおウチで作業。iPodをカイシャに置いてきてしまったし、iTunesの音ファイルもオフィスの外付けHDDの中。なので、音が足りない。
最近のFMは好きじゃないし、何か音ないかなぁと思って本棚の上のほうにある、かなり昔のCDをひっくり返してみる。
「おー、こんなの持ってたんだ」
というものがけっこう多い。ボクの場合、一度自分の中で流行りだすと、擦り切れるぐらい何度も何度も一日中聞く、という聞き方をする。んで、次の流行りが来ると、前のをすっかり忘れちゃう、というのも特徴だったりする。
ピチカート・ファイブが一時期ボクの中で大流行りした時があったんだけど、この間、ある雑誌で野宮真貴の記事 (写真付) を見て、「あー、だいぶ歳とったな、」 と思ったりしたこともあって、ピチカート・ファイブのCDの中の1枚を聞いてみた。……わるくない。
そういうかんじで、ボクはCDを買うと 『地層のような』 聞き方をするので、CDと、それを買った頃の自分の状況の記憶は密接にくっついている。CDのジャケットをひっくり返して発売時期を見ると…1994年10月。リアルタイムでは買ってないと思うけど、それでも1995年の前半だろうか? ギャー!11年前!
ってことは、ボクは職人(=フリーター:フリーターのハシリであると自負している) をやってた頃で、「でもそろそろちゃんと就職せんとイカンな」 と思ってた頃。足の怪我から立ち直ったばかり。木工屋さんのような仕事をしながら、夜中は学生時代の作品を直したりしてた頃。クルマの免許をとるために教習所に通い始めた頃。深夜はJ-waveのAcross the View (モーリー・ロバートソンの) もよく聞いてた頃。「今日はスタジオにMacを持ち込んでます。」 なんて言って、なんか出鱈目な曲を作ったりしてるのを聞いて、「はー、マックってそんなことできるんだ〜」 と、Macintoshにちょっとずつ興味を持ち出した頃。ネットの 「ネ」 の字も知らなかった頃だな。
あっという間だなぁと思いながら、ひっぱり出したCDを順番に聞いてみている。
そして、今宵もちょっと飲みすぎ…。
この10年ぐらい、まともにテレビ (地上波) を見ていない。
自宅で見ることはほとんど皆無なので、たまたま実家で見るとか、ラーメン屋で見るくらいしか機会がない。
当初は本当に忙しくて、そんな暇がないから 「見ることができなかった」 のだけど、いつのまにか 「見たいと思わなく」 なってしまった。且つ、昔は 「寂しいからテレビをつけていた」 のに 「うるさいからテレビを消す」 ようになった。
「やっぱ仕事柄メディアには触れてないよヤバイよね」 という話もあるんけれど、いかんせん面倒くさがりやなので、興味を失うと頑張っても無理。なので、最近の女優も最近のお笑いも最近のドラマもよく分からない。オッサン級に話についていけないことも多々あるんだけど、でも生きていけるしあんまり困らないから、知ってる人に教えてもらって概要を掴めればいいか、ぐらいに思っている。(デザイナー出身であるくせに、ボクはディティールというものにあんまり興味がない)
で、ラーメン屋。本当は新聞読んだり本読んだりしたいのだが、ラーメン屋と歯医者は、えてしてけたたましくテレビが流れている。そもそも集中力がない人間だし、歳とともにその傾向がさらに強くなっているので、どうしてもついてるテレビのほうに見入ってしまう。今日、ラーメン屋で流れていた番組はドラマだった。「最近はこんな時間 (25:30) にもドラマやってるんだねー」 と思いながら見始めた。CMとドラマが一体になってるのがコンセプトらしい。なるほど、HDDレコーダでCMすっ飛ばされて、スポンサーが困ってますからな…。
プロダクト・プレイスメント的にケータイやクルマの広告をドラマの中に忍ばせる。「ここからCM」 みたいな看板をドラマの主人公が通り過ぎるといきなりケータイの新機能説明になる。どこからドラマに戻ったのか分からないけど、いきなり前の文脈に戻ってお涙シーンになる。はー、なるほど、涙ぐましい努力だね。。
しかし…、俳優は激しくダイコン。恐ろしくシナリオはつまらなく (有名な人だけど)、企画自体も斬新さはないし (テレビ界では斬新なんだろうけど)、カネもかかってない。どうもベタだ。見てるほうが恥ずかしくなってくる。よくまあ、スポンサーも金を出すもんだとびっくりしてしまった。なんとなーく作ったパワーポイントの企画資料と、スポンサーのオッサンが知らないことをいいことにカタカナ文字を並べ立ててまくしたてる企画営業と、ネームバリューだけで金を出してしまうスポンサーの顔が目に浮かぶようだ。
こりゃダメだ。連動サイトでいくら面白おかしく演出してみたところで、商品 (=番組) 自体にチカラがなくっちゃ本末転倒です。
どうなんでしょう…テレビ。浦島太郎的に、時々ワープしてテレビ放送というのを傍観すると、見るほうが麻痺してるのか、見せるほうが分かってないのか、なんだかよく分からなくなります。
しかし、テレビがこんなにつまらなくちゃ、ネットのコミュニティとかケータイでのおしゃべりに勝てるはずがないなぁって思ってしまう。やっぱ、テレビは見なくていいや。
オレもそのへんのところをよーく考えて仕事しないといかんなぁ。
どこかでこの番組に似たコラム見たことあるゾと思ったら、これでした。先週、整形外科の待合室で読んだんだ。この雑誌とテレビ局とのコラボらしいです。だから 「東京〜」 というタイトルなんだね。
あれ? でも……、ちょ、ちょっと待てよ…。ボクがこの記事で書いているように 「この番組、激しくつまらねえよ」 なんてブログにたくさん書かれることを、もしも狙ってるのだとしたら (一種のBuzzマーケティング?) 、ボクはうまい具合に 「はめられてる」 わけだ。だとしたら、とても悔しい。…う〜ん、どっちなんだろ?

今、キャラクターを考えよ、という命題がある。
「『ぶさわかいい』 のがいいよ」 とかって、イラストレーターさんと話をしているときに思い出したのがこれ (ぶさかわいくはないのだが)。東名高速の浜名湖S.A.で売っていた 『浜名湖のハッシー』。
浜名湖S.A.は浜名湖の目の前にあるので、こんなキャラを考えたのだと思うのだけど…全然かわいくねー。クマ? ねずみ? ラッコ?? いやいや、『ウナギ』 なのです。耳に見えるところが実はエラ (ひれ?) なんだな。これは男の子バージョンだけど、女の子バージョンもあったような気もする。…しかし、いくら浜名湖だからって 「ハッシー」 はねえよな。
これは10年ほど前に鈴鹿に行ったときに買ったのだけど、去年F1を見に行ったとき浜名湖S.A.に寄ってみたら一つも売ってなかった。ので失敗だったのでしょう、たぶんものすごい在庫が残ったはず。。『ノリ』 でキャラ開発するのは危険だねぇ。
友達からいただいたスペインのワイン。とてもおいしい。
幼い頃、父親がサラリーマンだったせいか、ボクもフツーのサラリーマンになると思っていた。(まあ、今、確かにサラリーマンではあるのだが…) グレーのスーツを着て、黒いカバンと黒い革靴を履いてネクタイ締めて…毎朝7時25分きっかりに家を出る。そして、時々海外出張に行く。そんなふうになるんじゃないかって漠然と思っていた、少なくとも小学生の頃までは。
ところがどうだろう、35歳になった今、グレーのスーツはひとつも持っていないし、ネクタイも数本。年に2回締めればいいほうである。海外出張はおろか、国内出張なんていうのも皆無。だからどうだ、というわけでもなく、トウキョーですべてが事足りてしまうのだから別によいのだけど、子供の頃に思っていたイメージと照らし合わせて 「なんかちょっと違うなあ」 と思ったりすることもあるのだ。
「このビジュアルはビジネスなイメージで!」 なんていう、とっても漠然とした指示をボンクラディレクターから言われたりすると、gettyとかamanaとかで 「ビジネスマン」 とか入力して検索するわけだけど、ネクタイを締めてないとビジネスイメージにはなりにくいもの。「ビジネス」 って一括りで言うけれど、それっていったい何なんだろう?
気が付くと、学生の頃同じように毎日ふざけて暮らしていた友達が、ある人は留学したり、ある人は海外赴任したり、毎週のように海外出張に行ったりしてるヤツもいたりする。
「今バルセロナ。」
「今回はマレーシア。」
なんてメールが、時々忘れた頃に届いたりする。
「サグラダファミリアはどれくらいできたんだろうなぁ」 とか、「クアラルンプールってやっぱり暑いんだろうなぁ」 とか、稚拙な想像力を思いっきり働かせて想像してみるのだけど、いかんせん、ホンモノを見たことがないので明確な映像が浮かばない。いつも返事に書くのは 「いいなあ、オレも行ってみたいよ。」 というフレーズ。
ボクは、トウキョーという、大きいけどとても狭苦しい都市の中を、毎日地下鉄で行ったり来たりするだけで暮らしている。終電の向かいの席に座ったお姉ちゃんの足首にドキッとしたり、時々くだらないものを買って喜んだり…、ほんの小さな喜びや達成感に一喜一憂しているうちに歳をとる。「おはよう」 の言葉も1種類しか知らないし (「Good morning」も一応は知ってるけど)。…そんなんでいいのかなあ、って時々思う。
世界を知らないなぁ、オレ。
だいぶ酔っ払ったので就寝。足はだいぶ (というか、驚異的に) よくなった。恐るべし>三千年の歴史。

「おれの四十肩なんか、一晩で治っちゃったよ。」
という、ウチのシャチョの勧めで 「中国王宮気功整体治療院」 なるところへ行った。
「気功」 という二文字にちょっとだけ惹かれたのだ。
マンションの一室、よくあるマッサージ屋だ。よくあるコスチュームに着替えて、よくある真ん中に穴の開いたヘッドレストのベッドに横になる。ツボを刺激して治療するのだそうだ。壁には、よくある 「全人体ツボMap」 が貼ってある。
「足ガ痛インデスネ〜」
と中国語訛り (?) の院長先生がマッサージをはじめる。けっこう痛い。
「今日ハ様子ヲ見ルノデ、軽クマッサージシマスネ〜」
(こ、これで軽いのか?)
先生の声は、ある種、睡眠薬のような波長を含んでいる…(でもよく喋る)。
「腰ガケッコウ腫レテマスヨ〜」
(うーん、当たっている。)
「足マデ響イテルデショ?」
(そのとおり!)
「ウチハネ、ワザワザ東京カラヤッテクル人モ多インデスヨ〜。」
(こ、これは 『販促トーク』 なのか?)
でも、この間の整形外科医よりは信用がおける、と思い始めているボクである…。
で、問題の右足。
先生: 「相当腫レテマスネ、足首全体ガ腫レテマスヨ〜」
オレ: 「い、痛て〜!」
まさに 『傷口に塩をすり込む』 ような治療、っていうか、治療か?
先生: 「土日ハユックリ休マセタホウガイイネ〜」
オレ: 「あ、はい。痛てっ。」
先生: 「ジャナイト、足首ハ、クセニナッチャウカラネ〜」
オレ: 「そうですか。。。痛てて。」
先生: 「彼女イマスカ?」
オレ: (関係ねーだろ!)
いい具合で文脈がつながっていないのが、彼の戦略だ。
「ジャ、月曜日予約入レテオキマシタヨ!」
いつのまにか、月曜日にも来ることになっていた。なんとなく効いたかんじもするし…。
うーん、さすが 『王宮』 を名乗るだけのことはある。商売上手も 『王様級』 。
彼の 「喋り」 の睡眠効果のせいか、家に帰りついて28時間も眠ってしまった…。彼の言うとおり、「土日は安静に」 してしまったオレ。
恐るべし、『中国王宮気功整体治療院』。
体の不調でお困りの方は、ググってみてください。

20平米にも満たない、独身世帯の我が家にも、雪の降る夜に 「あの」 葉書が届いた。
だから…、ウチの建物は石油ストーブも石油ファンヒーターも禁止なんだってば…。
しかしすげーな、松下。「ナショナル」 というブランドは文字通り全国民を網羅している。
新手の広告手法だな。転んでもタダでは起きない、大阪の 「商魂」 を感じるのはオレだけ?
35歳になった。
四捨五入して40歳です。大きな赤いパイロンをターンした気分です。
友達のみなさん、たまたま昨日一緒にいた方々、そして家族。暖かいお祝いのメッセージありがとうございました!
で、ケータイに届いた妹からのメッセージ。
「35歳おめでとう!年々両親の 『ため息』 が増えてますので検討願います。 from妹」
↑堂々の大賞です。
自分のことを棚に上げた、「ぶしつけ感」 がたまりません。
なかなかやりおるな>妹。
あー、やばい。
気が付いたら5時間も物件検索をしていた。。
東京R不動産、フォレント、CHINTAI、HOME'S(←これすごくいいね)
全部が同期してないのが頭にくる。(って、そりゃしょうがないんだが。)
他をのぞいてみると、新しい物件を発見したりするから5時間たっても終わらないんだよ…。
写真とか間取りとか、全部ちゃんと載せてほしいよね。
…しかし、楽しい。

いきなり走り始めたせいか、シューズがボロいのか、先週はひどい腰痛に悩まされた…。なのでしばしお休み。週末には復活しようと思ってたのに、土曜日起きたら大雪。青空の広がった日曜日、朝は滑りそうなので夕方走ることにした。
多摩川の土手に出たら、ちょうど富士山の5センチぐらい左側に太陽が沈む瞬間だった。なるほど、時間を変えて走ると見える景色も違うんだなあと、くだらないことに感動。春分の日までには、日の入りポイントは富士山を越すんだろうな。…ということは、ちょうど富士山の火口に太陽が沈むように見える日がきっとあるはずだな。
多摩川の土手はまだ一面の雪景色。犬が喜んで走り回った跡もたくさんある。夕方の散歩の犬たちも、とっても喜んでいるよう。
あと、「雪だるま」 の残骸がたくさん残っていた。かわいらしいもの、目鼻も入ってるもの、デカくなりすぎて二段にすることを断念した巨大な雪塊もある…。そうそう、面白がってゴロゴロ転がしてるうちに、いつのまにか大きくなりすぎて、「雪だるま」 の頭を持ち上げられなくなっちゃうんだよね。『雪だるま式に〜』 というのはよく言ったもんです。デカくなればデカくなるほど重くなるし、地面の泥とかもいっしょにくっつくようになり、「黒だるま」 になっちゃうんだよな。。
しかし、寒いですな。
『特攻野郎』 というのも、考えてみるとすごいネーミングだが…。
大好きだった 『特攻野郎Aチーム』 というアメリカのドラマがテレビ東京で再放送されてるらしい。(昔はテレ朝だった) しかも平日の12時半。
うわぁ!ほんとだ>Yahoo!番組表。
だから好きだよ、テレビ東京…。外にメシ食いに出ずに見なければ!
たとえ英語が理解できても、やっぱこのドラマは日本語版の吹き替えで見ないとダメです。ジョージ・ペパードの声は羽佐間道夫じゃないとウソなのです。「ティファニーで朝食を」 でヘプバーンの相手役をやってる若かりし頃のジョージ・ペパードを見ても、なんだかピンときません。やっぱり恰幅がよくて、いつも葉巻をくわえていて、羽佐間道夫の声の 『スミス大佐』 じゃないとね。コンプリートDVD-BOXも出てます。後半のシーズンになるとやけに登場人物が増えてきて、脚本にも 『行き詰まり感』 が見え隠れしてくるので、1984年ぐらいまでの作品がお勧めです。
変装名人の指揮官、何でも調達屋、パイロット、メカニックで構成されるあの4人は、本当にいいバランスがとれてる 『チーム』 だと思う。そういう意味でスミス大佐の仕事は今の自分にも参考になる点が多いんじゃないかなあと思ったりもする (Aチームは元・特殊部隊?だしね)。…ああいう 『痛快』 な作戦 (=仕事) を成功させて、太い葉巻をくわえながら大笑いしたいもんです。
ところで、優秀なメカニックのくせに飛行機が苦手で、いつも腹に一発食らわされ、気絶している間に飛行機に乗せられる…というダイコンな演技が印象的だった 『コング』 役のミスターT は今でも元気なんだろうか?
参考:ウィキペディア
↑「ストーリー中では絶対に死者が出ない事でも知られる。」 って、確かにそうかも。
あー。「熱く」 なってしまった…。
家に帰ったらテレビをつける、という習慣もすっかりなくなり、最近は一ヶ月に1時間もテレビを見ないですが、昔はボクも相当なテレビっ子でした。

巷ではいろんな 「ショック」 で賑わってます。打ち合わせに行けば挨拶のように株価の話…。
「はー、そうですかー。」「なるほどねー。」
と勉強になることも多いのだが、モトデのない私にはあまり関係のない話です…。
それよりボクは↓このニュースのほうがショックでした。
ボクが 『電車くん』 だった頃 (それは約25年前) 使っていたのはミノルタのカメラだった。『XG-E』 というマイナーなモデル。絞り優先で撮影ができる、というところだけが 『売り』 の一眼レフだった。大場久美子宮崎美子のCM (「いまのきみはピカピカに光ってぇ〜」) が流行ったX-7というモデル (それの進化形がα〜のAFシリーズか?) の姉妹機種か何かだったんじゃないかと思う。
本当は、、ニコンのF-3とかキャノンのA-1とかが欲しくて仕方がなかった。でも買えるはずもなく、カメラ雑誌や 「鉄道ファン」 とかの広告を食入るように見るだけだった。仕方なくオヤジがその頃購入した 『XG-E』 (ブラックボディじゃないのが気に食わなかった) を使って電車の撮影に励んでいたわけだ。だから、このニュースはちょっとショックですね…。
とはいえ、このカメラにはいろいろ教えてもらいましたよ。絞りとシャッタースピードの関係、被写界深度のことは感覚的に覚えた。「流し撮り」 をするには、ワキをしめて、平行に被写体を追う…。何度失敗して無駄なプリント代を払ったことか。。(←大流行だったガンダムにも興味がなかったボクは、やはりヘンな小学生だったことだろう)
湾岸線 (東行) から見える風景は物悲しい。どんよりした鉛色の空と、京葉線の電車がまっすぐに走る姿がそれをさらに助長する。不吉な13日の金曜日はとても早起きして幕張へ (シゴトですがな)。
今朝見たモノ

アルファGT(ミシュランブース)。
かっこいいなー。カスタマイズ外車もけっこう出てますね。しかし…莫大な予算をかけて出展してくる国産自動車メーカーの 「えげつなさ」 は年々ひどくなってます。自分とこじゃ 「つまんない」 もんしか作れないのに、ズルいよな…。

アシモ君。
はしゃいでました。

モトチャンプ。
この雑誌もなんとか生き残ってるんだねぇ。。
しかし、いまどきのバイクは…気持ちは分かるんだが、液晶画面とかスピーカーとか付いてて、しかもピカピカ光ってて…、こりゃ 「デコトラ」 だな。
しかし、「旧友」 というのはいいものだなあと思う。
10年経って、全然別のところで全然別の経験をしているはずなのに、同じことに気づいていたり、
でも別のところでは 「やばい、オレ負けてる」 って思ったり…。
いやいや、刺激になりますですよ、まじで。
人生には 「ステージ」 っちゅうものがあるのですね、M さん、I 氏。
精進します。
し、知らなかった…。
ボクの高校があった町が、知らない名前の市になっていた。。
知らんかったわ…。
正月に書いた年賀状の宛先も間違えてた。。
下館は、街の中心に川が流れるステキな城下町です (←高校一年のときにその川が氾濫して大変だった) 。
マギー司郎の出身地だしけ。
何をするわけでもない、何かイベントがあるわけでもない。
でも最近、正月だけは実家に帰ることにしている。昔は正月に帰ると 「ヒロシが来たから、ご馳走作るか」 なんつっていろいろ作ってくれた母親も、最近は面倒臭いらしく、普通だ。トシをとったんだな。
関東平野の北の外れにボクの実家はある。日立や日産やコマツといった企業の工場に勤める人たちが作り出した、30年前のベッドタウンだ。東京から電車で1時間半、クルマだったら2時間、いつでも帰れる距離だから、いつも帰らない。父親も定年して4年、あまり変化のない毎日を送ってるんだろうし、正月ぐらいは顔を見せに帰ろうと思って帰ってくる。ちょっとは親孝行らしいことでもするか、なんて新幹線の中では思うのだが…。
でも、その想いは実家に着いて3時間で完全に萎える。母親の口うるささに3時間で参ってしまうのだ。
「風呂に入れ」「ちゃんと歯を磨かないと後で後悔するぞ」「タバコはよくない」
という20年前から変わらないフレーズを10回ぐらいループした後に
「あんたいくつになるんだ?」「なんで嫁さんが見つからないんだ?」
という話に帰着する。分かってる、母親というのはいつになってもそういうもんだ。触れられるといちばん腹がたつところを逆撫でするものなのだ。
そういう攻撃をされるとこちらも迎撃モードになってしまう。
「声がでかい」「行儀が悪い」「音出してモノ食うな」
客観的に見れば、母親に対して何てヒドイことを言うんだ、と思うこと。でもそれを口に出して言ってしまう。
いや、でも母ちゃんの敷いてくれた布団で寝るときに 「あんなこと、言わんでもよかったな…」 と思うんだけどね。
大晦日の東北新幹線。19時を過ぎると、さすがに帰省ラッシュも終わっている。別に新幹線に乗らなくても実家には帰れるんだが (最近は相互乗り入れしてる半蔵門線でも実家のすぐ近くまで帰れるようだ)、東京駅のホームから出発することと、50分間、ちょっとだけ 「旅」 モードに浸れるのが好きで新幹線に乗ってしまう。その中でのビール+読書が至福の時間だったりもする。
あいかわらず 「読まなきゃ」 本棚の中にはたくさんの本が待ち構えていて、このへんとかこのへんとかが候補だったんだけど、ちょっと仕事モードから外れた本がいいなと思い、最近先輩から教えてもらったやつをカバンに入れた。
東京タワ−〜オカンとボクと、時々、オトン〜
リリー・フランキー
「いや、すげーいいよ」 という評判しか聞いてなくて、内容とかあらすじとか知らずに買ったんだけど、会社の近くの本屋でも、特設コーナーに山積みだったから、売れてるのだろう。最近、テレビやラジオといったメディアにほとんど触れてないのでリリー・フランキーという人のことも全然知らなかった。
新幹線の中、最初の章を読む。文章のリズムが素晴らしくて、すんなり入ってきて、ハマる予感。こんな文章書けたらいいなーと羨ましくなる。続きは元旦の夜に読破。
初夢ならぬ…、初泣き。しかも大泣きでした。本でこんなに泣いたのは初めてじゃないかと思う。母子家庭で育った、彼と母親の関係を綴った本です。いつか訪れる肉親の死、親孝行したい時に親はいない…。
そうは思いたくないけど、自分だって残り時間は確実に少なくなっている。普段、意識の外に追いやってること、でも確実にやってくること、そういうことをちゃんと意識しなきゃなあと強く思った。「ありがとう」 と声に出して言うこと。言えるかな? せめて明日、1回ぐらいは言ってから東京に帰ろう。
正月から辛気臭くなってしまいましたな…。でも、今この本に出合えて、すごくよかったと思う。
あ、明けましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
大晦日です。今年も大変お世話になりました。と、いきなり 「まとめ」 に入ってしまいますが、その前にみなさまにお願いがあります。
お願い
あと数時間で新年ですが、明日の朝 「お雑煮」 を食する前に、お椀の中身を一枚写真に撮って、ボク宛てに送っていただきたいのです。最近、個人的に 「お雑煮の地域性」 に興味を持っており、各地方のお雑煮を見てみたいのです。関東以外の方とお雑煮話をすると、普段ボクらが目にしているお雑煮とかなり様相が違っていることに気づきます。というか、そもそも 「お雑煮」 の定義って何だ? という疑問、普段共通言語として使っている 「お雑煮」 の実態が実は人それぞれ違うんじゃないか? という疑問に行きつくわけです。というわけで、「いやいや、大根は入ってない」 とか、「なんで鶏肉やねん!」 というふうに話として聞くのではなく、実際に目にしてみたいなと思うのです。で、どうしてそうなのか? を考察したいのです。
送っていただく際には、お雑煮を作った方の出身地、ないしはルーツも添えていただければと思います。多数集まれば 「全国お雑煮マップ」 を作ってこの場で公開できるかもしれません…。よろしくお願いします。
↓そういう企画はいっぱいあるんですけどな…あはは。
お雑煮・おせち特集 2006【お国自慢のお雑煮】:るるぶ.com
日本のお正月〜お雑煮をめぐる物語〜
んで、雑煮もいけど、今年の 「まとめ」 です。ボクの2005年はどうだったか?
【まとめ1】 カイシャ
自分の役割が一つ増えた。まあ、もっと広くモノを見て考え、そして実行せよ、というカイシャからのメッセージなのでしょう。頑張ります。
シゴトについては、いまひとつ元気がなかったと思う。進むべき方向性に迷いもあるんだろうな、実際。さいきん数年前に作った企画書を、たまたま見返す機会があったんだけど、気合が入ってるんだよね。それがもう全面に現われてる。それを見て、今年の自分は数年前の自分に圧倒された。これじゃいかん…、ガスガス行かねば。
【まとめ2】 ガイシャ
1年間翻弄されっぱなし。今思うに、「そういう身分ではない」 ということだったんだろうな。まだまだオレは 『そういうステージ』 じゃないぞと (何が?)。とにかく反省…。しばし大人しくしてよう。でも、すげー楽しませてもらった。懲りずにきっとまた買うだろう。
【まとめ3】 サケ
オヤジの同僚にもらったワイン、それがきっかけだった。いまだに人と一緒に飲むと (ペースに 「飲まれて」) 酔いつぶれてしまうのは変わらないのだけれど、酒の楽しみがちょっと分かるようになった気がする。オトナになったのかしら…。ボクの周りに異常に多い 「酒飲み」 のみなさま、頑張りますので来年もお付き合いください。しかし、最近腹部の厚みが一段と増したような…。
【まとめ4】 ニッポン
今年は短期出張以外は一度も海外に出ず。だけど振り返ってみると、国内はけっこういろいろと行ったんだなあと思う。そしてたくさん日本の風景を見た。──春風に舞う川べりの桜、青い空と湖とそして流れる雲、蝉しぐれと太平洋の波 (と違反切符)、雨にけむる温泉街、そして赤く染まる富士山──こんなにたくさんの 「表情」 と、そして四つの季節を持っている国に生まれたことに感謝。で、それを再発見するきっかけを作ってくれた、友人たちにも感謝!
…でも、来年こそは海外に行くぞ。
ということで、みなさまよいお年を。

「今年のヨゴレ、今年のうちに」
↑名コピーだと思う。
「すっきりして、フレッシュな気持ちで新年を迎えたい」
と考える、日本人の特性をうまくくすぐるコピーだよなと思う。
年が変わるなんて、ただ普通に夜が明けてカレンダーをつけかえるだけのことだし、人間が考え出した 「暦」 っていう勝手な決め事による 「区切り」 なだけじゃないか…。と毎年思ったりする。
でも毎年暮れになると、「今年のうちにこれだけは終わしておこう」 なんて思ってしまうのだから、ボクもれっきとした日本人であるということだ。(他の国はどうなんだろう?)
日本人って、『フレッシュなこと』 にことのほか敏感な民族なんじゃないかと思う。別に清潔好きかどうか、ということではなくて、年が明けて新年になったらフレッシュな気持ちになる、前の年のいやなことやら垢やらを全部無かったことにしちゃって仕切りなおそうぜ、という 「都合のよい諦め感」 というのかな、そういう 「変わり身の早さ」 みたいなものが日本人って得意なんじゃないかなって思ったりもする。区切りがあると今までのことを、あっさり全否定しちゃったりするのが得意技だったりするなあと。歴史を見てもそういう事例ってけっこうある。
前にデザイナーの佐藤卓の話を聞いたときに、彼がこんなことを言っていた。
「特にパッケージデザインなんかをする場合、日本においては 『バージン感』 というか、『フレッシュ感』 の演出というのは非常に重要なことですね。」
例えば、コンビニに並んでいるガムなんかで言えば、透明ビニールのキャラメル包装をしてない商品はない。自分の手ではじめて 「おろす」 という感覚を日本人は大事にする、と思う。70年代、ロサンゼルスに駐在していたボクのオジは、「クルマ買ったらさ、新車なのにドアが凹んでたんだよ! しかもディーラーに文句言ったら 『乗るのに問題あんのか?』 って言いやがってさ…」 と話してたのを覚えている。…うーん、ちょっと話がそれたけど、「NEW→FRESH」 「FRESH→NEW」 であるべきだという日本人の感覚っていうのは、『仕切りなおし』 が得意だという、別の日本人の特性と無関係ではないような気がする。
──それはもしかしたら、四季があること、高温多湿で自然素材のものは時間が経てば朽ちてゆく、という日本が置かれている環境と関係があるのかもしれない。
その、日本人の特性に漏れず、今年もこの時期になって、「これだけは年内にやっておこう」 というものをリストアップしちゃったりしている自分がいる。特に、身の回りの 『ネガティブ要素=ヨゴレ』 は今年のうちに消してしまえ! という気持ちは強く、一番持ち越したくないネガティブ要素を消す行動に出た。
アルファロメオの廃車手続き
来年に持ち越したくなかったんだよね、これだけは。
でも、廃車するクルマの中に残っている荷物を引き上げる作業っていうのは、実に切なくて空しい作業なのだ。
会社のクルマを借りて、自宅の近くの修理工場に行く。
「奥のほうに停めてあるんで、今出してきますから…」
といって暫し待たされた。
不調なエンジン音とともに現われたボクのクルマは、今まで息の根を止めてきた数々のクルマたちの 「最後の姿」 と同じで、外側だけ見ると全然大丈夫そう、でもひどく頼りないエンジン音を奏でていた。
「かわいそうだけど…」
そう思いながら、工具やらサングラスやらチェーンやらを移動する。
一目惚れした真っ赤なキーを記念にもらい、スペアキーを差してその場を後にした。
「いやー、これ以上お金がかからなくてすっきりしたわい」 と思ってはいたのだが、やっぱりちょっと寂しい気持ちになった。
帰り道、真っ赤な夕焼けの中、第三京浜を走っていると、ラジオから山崎まさよしの 「One more time, One more chance」 が流れてきた。ちょっとだけ泣きそうになった。(この曲はいつも、心に隙がある時に限ってラジオから流れてくる)
クリスマスにやって来て、クリスマスに去っていく、か。儚いなぁ…。
なーんつって。
クルマは暫くオアズケ、ってことで。クルマネタも暫くはないでしょう。
駐車場も解約、チューリッヒも解約。よし!(指差し点呼) あとはパーツを売って稼ぐだけ。
がっつり仕事で儲けて (?) しっかり頭金を稼ぎます。
あー、すっきりした。よい年を迎えられそうですわ。

2歳ぐらいの男の子は 「働くクルマ」 が大好きだ。
消防車、救急車、高所作業者にハシゴ車。確かに自分も幼い頃、そういうミニカーが大好きで、オモチャ屋の前を通るたびにダダをこねて買ってもらったクチだ。
周りのお父さん方に聞くと、やはりどこの子供もそうらしく、
・2歳前後→「働くクルマ」 に大興奮
・4〜5歳→カッコイイクルマに目覚めて、国産車の名前は全部言えるようになったりする
・その後→ほとぼりが覚めて興味が別のもの (例えば女の子←正しい!) に移るか、さらに興味が加速するかのどちらか
という経緯をたどるようだ。
この連休初日、「オレのたこ焼きを食いに来い」 という友達の電話に誘われるまま、夕刻に遊びに行った。当の 「たこ焼きオヤジ」 は仕事が終わらず、なかなか帰ってこない。電気たこ焼き機 (関西製) の前で 「おあずけ」 を食らいながらビールをいただいてたら、彼が帰ってくる前にボクはヘベレケになってしまった。
取材から帰った友達は帰宅早々、挨拶もそこそこに、たこ焼きを焼き始めた。小麦粉を溶いた汁を流し込んでタコをとネギと揚げ玉を入れて…串でひっくり返す手つきが妙にうまい。屋台のオジサンのようだ。んで、彼のたこ焼きは確かにうまかった。関西出身の人がよく言うけど、粉 (=小麦粉) がとても重要なのだそうだ。
で、すでにヘベレケになってしまったボクは、食い終わるか食い終わらないかのうちに寝入ってしまった。(帰るつもりだったんだけど)
翌朝、「チュンチュン」 という朝の小鳥のさえずりとともに、彼の子供たち (2歳男子+5歳女子) の声で目が覚めた。見るとボクの布団の上は彼らのミニカー遊びのフィールドになっている。ボクが横になっていたのは、どうやら普段の彼らの遊び場だったようだ。押入れの中から大きなカゴを出してきて、その中のミニカーやら新幹線のオモチャ (←なんと700系がモデル) とか、そのレールとか、LEGOブロックとか…をひっくり返し、いろんなものが散乱している。
2歳男子のS君は、ボクに解読不能なコトバで何かを一生懸命説明している。
「○△■×◎▼だじょ〜!(ほぼ絶叫)」
「これが△▼%◎●でね、」
「●×なんだじょ。」
だ、だめだ、難解すぎる…。
しかし、LEGOブロック懐かしい。
でも、それをよーく見ていて気がついた。ボクが幼い頃LEGOだと思って遊んでいたブロックは、LEGOじゃなかったんだ…。丸い突起のところにLEGOマーク入ってなかったもんな (ちょっとショック)。
平たいのとか、突起が2個しかない小さなやつとか、いろんなピースがたくさんあって楽しい。何を作ってみようか?とそのピースを見ながら思わず考えてしまう。やっぱ、子供の想像力 (創造力) を鍛えるには、このオモチャは素晴らしい効果を発揮するんだろうなあ、と改めて思った。人形とか、車輪とか、そういう素敵なパーツを買ってはダメですね、プリミティブなやつだけで、何とか 「それらしくする」 ことが重要なんだよ。
5歳女子のNちゃんがLEGOで家らしきものを作っていた。青いのと白いのを格子にしていてキレイだ。
「おじちゃんが手伝ってあげるよ」
がーん!
いつのまにか自分のことを 「おじちゃん」 と呼んでいる自分がいる。しかも、自分なりにしっくりきている。うーん、でも 「お兄ちゃん」 って歳でもないしな…。前々から先輩に聞いてはいたけど、幼い子の前で自分のことを 「おじちゃん」 と呼んでいることに気づく瞬間は確かにショックだ。
2歳男子S君はまだ、ずーっと何かを話しながらミニカーを走らせている。もちろん、パトカーや救急車をはじめとする、「働くクルマ」 もたくさんある。S2000とかルノーのデリバリーバンがあったりするのがこの家らしい。
よしよし、父ちゃんと一緒で乗り物好きな男の子になるぞ…。
今どきの若い子は、ボクらの時代と違ってクルマに興味を持つ子が少ないけど、やっぱりメカニズムに対する興味っていうのは、男の子の本質として無くなっているわけではないんだなぁと、ちょっとホッとする。
そりゃ今時、あたりまえのようにどこの家にもクルマはあって身近なものだし、これからどんどん性能がアップされるわけでもないし、「なるべく安く」 作られてるわけだし。だいいち、「モノ」 がもたらす幸せなんてタカが知れてるってことを、たぶん感じ取ってるわけで、興味が湧かないのも納得するんだけど。
でも、建設現場のガーガー動く重機の前で、お母さんに手をひっぱられながらフリーズしている男の子を見たりすると、なんだか愛おしい気持ちになったりする。
そういう子供の興味をうまく伸ばしてあげられたら、将来 「プロジェクトX」 級の仕事をする、日本を背負って立つ大人になるんだろうと思う。友達のお子チャマS君にも、ことあるごとに 「父ちゃんのお友達のオジチャン」 として教育をしていこうと思う。ランボルギーニ・カウンタックのLP400とLP500の違いを、1時間は語れるようなオトナに仕立て上げられたら大成功だ。
今年はやけに少ない忘年会。
自分の行いがよくなかったのだろうか?
久々に集まった学生時代の仲間。久々な数が集まった。
顔がさらに丸くなったり、腹のまわりに肉ベルトがついた(←オレもその一人)わりには、みんなあまり変わった印象はない。っていうか、全然変わってない。
話題は常に深くて、多岐にわたる。そういやあ、オレって美術系の学校に行っていたんだなあと改めて思う。実はすごいやつらに囲まれていたんだなあとも思った。
みんなそこそこいい歳になって、いろんな方面で活躍してるしね…。
負けてられんのですわ。
そういう気持ちになれるのが忘年会なのかもしれない。
で、帰宅すると4時。寝場所に困った神戸の友達と一緒に帰ってきたのだけど、彼はあっという間に寝息をたてている (狭い部屋ですんませんな…)。お、おれの寝る場所は?
今年もあと一週間。あれも、これも…、やり残したことがいっぱいなのです。
どこに行っても混んでいて渋滞→修理が終わった1時間後、またボンネットから白煙→そしてまた工場へ→「ガイシャってそういうもんなんですよ。暫くお預かりします。」(なめんなよ!)→連絡なし。
やっぱり、「よくない占いの罪」 はデカい…。もう少し大人しくしてよう。
「物欲列島」 なこの時期はうんざりするけれど、↓この番組は毎年楽しみにしていたりする。
沢木耕太郎〜MIDNIGHT EXPRESS 天涯へ2005〜
(番宣してるな、オレ…。)
「深夜特急」 って、それだけで旅のシズル感が漂う、素晴らしいネーミングだと思う。っていうか、ずるい。
個人的には最近、友達の入れ知恵で東南アジアに想いを馳せていたりする。
水上バスに乗って、風に吹かれたい。

もう寝るつもりでいたのが、テレビ欄を見ていたら02:40に 「F-1総集編」 という見出しを見つけてしまったので、もう少し起きていることにした。
腹が減ったので、近所にチャーシュー麺と水餃子を食いに行く。
冬の深夜のラーメン屋は、暖かくてほっとする。そして何気なく流れているテレビに家庭的なモノを感じてしまうのはボクだけではないはずだ。だから、「深夜にラーメンなんてよくない」 ことは承知で足を運んでしまうのだ。
最近、ボクの中で流行ってるのは、瀬田の交差点近くにあるラーメン屋。びっくりするほど美味くもないんだが、悪くもない。というのは、客の入り方を見ても分かる。
でも、やっぱり何かが足りないんだよねぇ…。
「水餃子」 がその店のお勧めであるんだけど、ボクの試してみたところ、断然 「焼き餃子」 のほうがうまい。
「独りよがりになってはダメですね…。」 とか、「常にゼロからの発想をしないとダメ」 という、仕事で昨日インタビューした人のコメントを思い出してみた。
そうなんだけどね…、不完全なところに惹かれる人間の気持ちってうのもあるよなぁ…と、
どうでもいい思考のループにハマりながら店を後にした。
ガンバレよ>瀬田のラーメン屋さん。
帰り道、アルファの修理屋さんを覗いてみる。環八に面した窓から、修理途中のアルファロメオが見えるのだ。(ボクの145も今修理に入っている)
しかし、なんでこんなに修理のクルマがいっぱいあるんですかねぇ? 奥の駐車場も溢れんばかりのアルファロメオです…。
と、その中に!
オレのアルファもあるではないですか!
誰もいない工場で、ボンネットを開いたままリフトに乗ってる自分のクルマは、ちょっとだけ 「良い子」 に見えます。
「よしよし、ガンバレよ。」
「修理はもう最後にしてくれよ。」
「来年こそは良い子にしてないと、スクラップになっちゃうゾ。」
やけに健気に見える自分のクルマに祈りながら、凍える帰り道を急ぐ。
…だがしかし! 健気に見えても見積り金額が変わることはないのだ。
今回の修理も含めると、今年1年間の修理総額4●万円。
これはもう 「修理」 ではなく 「レストア」 だ。
もし今年、クルマに乗っていなければ…
・海外旅行が2回はできた
・国内旅行だったら、どんなに贅沢しても2ヶ月に一度は温泉でヘベレケ
・素敵なトレンチコートは色違いで5着 (着まわし上手!)
・英会話学校だったらマンツーマンでも50時間分のチケット
・そして、ソファの置ける部屋に引っ越せたことだろう
でも、やめとけやめとけ…そういう計算は。
お金の使い道にも 「〜たら」 「〜れば」 はないのです。
こんなことに浪費をしてしまうことが、
「はっしーってさ、買い物下手じゃん」
と言わしめる原因なのでしょう。でもね…、
それが 「らしさ」 なんだって!!!!
強がりはやめます。「F-1総集編」 はビデオに録画して、やっぱ寝る。
ちょっと前、撮影の日があった。
待ち時間があったので、その会社が出しているフリーペーパーの 「占い」 ページを眺めていた。
「占い」 のページって…、その雑誌のターゲットである20代女性じゃなくても、なんとなく見てしまうものだ。
世の中、いろんな占いがあるもんだが、その雑誌が掲載していたのは四柱推命をベースにした 「トロピカルフィッシュ」 というもの。
誕生日からある数値を導き出し、その数値をベースに占う。
出た数値によって、あなたは 「ピラニア」 とか、あなたは 「アロワナ」 とか 「カクレクマノミ」 という結果が出る。
ボクは'71年2月生まれなので、ベースの数値は 「53」。
次に誕生日の数字をこれにプラスするので、ボクの数値は 「55」 ということになる。
そのページを見ると 「55」 は 「ピラニア」 というトロピカルフィッシュに分類される。(←っていうか、「ピラニア」 って、トロピカルフィッシュか? ちょっと無理やりだよな…)
で、その運勢は…。
全体運:×
健康運:×
仕事運:×
オイオイ、ほんとか!!
嗚呼、見るんじゃなかった…。
見なければいいのに、「見て」 「認識してしまった」 ことによって、そういう運勢に流れる可能性が高くなることを、我々は経験的に知っている!
そういやぁ、昨日の仕事もうまくいかなかった…、どうも最近疲れ気味だ…。
当てはまることが多い気がしてしまう。。
いかんいかん!
しかしですね…、占いなんて 「エンタメ」 なんだからさ…、一つぐらい 『いいこと』 入れておこうぜ…。お願いします>編集部。
今日はもう寝る。
年末は読書熱再燃の時期らしく、読書が進む。
しかも電車移動 「しかできない」 うえに、打ち合わせで一日2回も都内→横浜を往復したら計4時間も読書の時間があるわけだ (しかも勤務時間中に)。ボクに読書の時間をくれてありがとう>会社。
しかし、amazonで買い込みすぎてしまって、なかなか追いついていないのが実情。デスクの下に読むべき本が山積みだ。友達に借りた 「〜の白石さん」 にも行き着きたいのだが、なかなかたどり着かない現状がもどかしい。とりあえず、地道に読書ログしていこうと思う。
慶応のSFCで先生をやっている人が書いた本。
「デザイン」 という行為を、今現在の社会的状況の中であらゆる角度から考え直してみましょう、というSFCで行われている講座を本にまとめたものらしい。
この本は、ボクにとって、けっこう 「記念すべき」 本になった。
ボク自身が学生時代にとても悩み、考えても答えの出なかったことに、第一章の隈研吾が思わず答えを出してくれたのだ。
「シークエンス」 ということ
学生時代、建築学科に在籍したボクがなぜ建築に進まなかったのか? …というか、なぜ「建築に進みたいと思わなかった」 のか? 4年生になって、いざ就職というときに、実は人知れず悩んだ。でも結局、建築を仕事にすることを放棄した。「やりたい」 と思えなくなっていたのだ。
そりゃ当然、バブル崩壊直後で、大手への門がとっても狭くなっていたこととか、バイトを通じて見た現実──下積みが非常に長く、つまらない仕事をやってる人のほうが多く見えた──に失望していたことが判断基準になっていたともいえる。でも、もっと根源的に 「なんか違う」 という感覚があったのだけど、それが何なのか、今の今まで、自分自身にもうまく説明することができないでいた。
だけど、この本の中で出てきた 「シークエンス」 というコトバがそれを全部説明してくれたような気がした。っていうか、卒業して10年経って、やっと自分でも納得ができた気がしたのだ。
シークエンスとは…。
「景観の連続、場面の展開。視点が止まっているヴィスタの考えに対して、次々と見えてくる景観の連続性や変化をいう」(以上引用)
いわゆる 「建築」 というものは、歴史的に見ても、権威の象徴みたいなところがあって、いかに大きく見えるかとか、いかに立派に見えるかが重要なファクタになる。そう、建築物自体が重要なのだ。「建築」 というコトバが差すものというのは、文字通り、「オブジェクト」 としての建築物である。で、建築雑誌がとりあげるものも、学校の建築教育がとりあげるものも、この 「オブジェクトとしての建築」 なのである。
一方、「シークエンス」 というのは…、隈研吾はブルーノ・タウトが京都の桂離宮を絶賛したことを例に挙げて説明している。
「桂には、建築の形を美しくしよう、立派にしようという発想がまったくありません。西洋人から見たら桂離宮は、あばら屋に近いと彼は言う。しかし、ものすごく豊かな関係性、素晴らしいシークエンスがある。廊下の角を曲がると突然違う世界がひらける。別のほうに目をむけるとまた素晴らしいシークエンスがつながる。その形では表現されない部分、写真では表現されない部分に、西洋建築が成しとげられなかった達成があると、タウトは書くのです…」(以上引用)
また、別の例として、ゲーム (デザイン) の世界を引き合いに出す。
「ゲームの中ではその中に登場するオブジェクトが美しいかどうかはほとんど意味がなくて、シークエンスをどうデザインしていくかがゲームデザインの基本なわけです。」(これまた引用)
これを読んで、納得したのだ。
「そうか、オレがやりたかったことというのは、タウトが感動したことと同じだったんだ。」
つまり、「オブジェクト」 としての建築は、ボクにとっては、わりとどうでもよかったということ。
課題で一生懸命表現しようとしたのも、「オブジェクト」 以外の部分だったわけだ。
そのことに今さらながら気づき、10年来の、自分自身への謎が解けて 「すっきり」 したのだ。
「シークエンス」 という考え方を建築にあてはめることは難しい。そして、それを教育カリキュラムにすることも、設計料金にすることも難しいのだろう。当時、ボクが学生だった頃、そういうことに注目していた人は、あんまりいなかったんじゃないかと思う。学校の教授さえも、そんな頭はなかった。
「もっと (建物を) デザインしろ」
そういう教授たちに、ヘキヘキしていたのも事実だ。
隈研吾は
「『ブジェクト』 としての建築は20世紀 (=物質文明) までのものであり、メディアというものの状況が変わってきて (それは主にインターネットなどの情報通信手段の変化)、資本主義がソフィスティケートされてきている21世紀には 『建築』 というものは、もっとトータルな環境デザインへと変わっていくだろう」 とも言い切っている。
なるほどね。バブルの時代はヘンテコリンな建物作ってるな〜ぐらいにしか思っていなかった隈研吾をちょっと見直したりもした。オレもそういう 『建築』 だったら、職業にしてみたかったなと思う。
ところで、なんで今更 「シークエンス」 というコトバが自分に 『響いた』 のか?
「オブジェクト」 よりも 「シークエンス」 が大事な時代になりつつある、という実感を自分自身も漠然とだけど感じている。そこに 『響いた』 のかもしれない。
「シークエンス」 って、「コンテクスト(=文脈)」 とも言い換えられるのではないだろうか?
文脈次第で同じモノ (=オブジェクト) が価値を持ったり、持たなかったりもする…。広告の方たちはよく 「文脈」 という言葉を口にしますね。実は意外と、今やってる仕事にも当てはまるキーワードなのかもしれない。
現在・過去・未来。
時空を超えて 「繋がる」 ものは繋がっている。
8月に青山でオフィスを探したことがあった。
話がまとまらず、いつの間にか立ち消えになってしまったのだけど。。
そのときの怪しい (でも真面目そうな) 不動産屋のおじさんが、ある物件を熱心に説明してくれた。
「いや、建物自体は古いんですけどね、みなさんキレイに使われてますしね…、
この間も○○○○○って会社さんが入ったのをお世話したんですけど、
社長さん若い方でねえ、なんでも 『その業界』 では有名らしくて、繁盛してますよ。」
その会社の名前がおかしくて、記憶に残っていた。
で、
夕べネットを徘徊してたらその名前を偶然見つけて、、ググってみたら
なんと! 学生時代の友達の会社だった。
しかも、繁盛しているご様子。(ちょっぴりジェラシー。…ヤバい、負けてられない。)
マジびびった。
そして、入居の暁には、「焚き火」 を囲んで飲み会しようと約束した。
世界は狭い。
結局、クルマを直すことにした。
クルマがないと始まらんのだ…。
素敵なトレンチコートは諦めよう、新しいブリーフケースも諦めよう、海外旅行も無理だな……あと何諦めりゃいいんだ?
来週の水曜日入庫。年内に直るのだろうか?
YS-11もいよいよ引退なのですね…。
唯一の国産旅客機。戦前の日本の航空機産業 (というか軍用機産業) の名残のような飛行機。──実際、戦前の技術者たち (木村秀政とか堀越二郎とか) が設計に関わってたらしい。技術委員会の面子はすごいね…。しかし、40年も飛び続けるってすごいことです。
0系新幹線が消え、コンコルドが消え、ブルートレインが消え…。
ボクの子供の頃の 「のりもの図鑑」 のヒーローたちが消えていきますな。
YS-11については
「YS−11 国産旅客機を創った男たち」
前間孝則/講談社
がお勧め。
朝方、ひどくうなされて目が覚めた。
本当に久々に、リアルな夢を見た。
学生時代の講評会。本館の312教室 。忘れていた出席順まで思い出している。
「西村」、「西山」 ときて 『橋本』 の番だ。
建築設計の課題のはずなのに、みんな映像と音、CGと自分の演技を駆使した、パフォーマンス作品のようなものを披露している。どれもアイデアが冴えていて、感動に値する力作ばかりだ。っていうか、課題の趣旨すら自分は理解していない。
やばい、前の 「西山」 君の発表が終わってしまって、オレの番だ!
この場に及んで、何もできてない。
みんなから集めるであろう嘲笑のまなざしと、「留年しちゃったよ」 と来年度の (余計な) 学費をせびらなければならない両親の顔が浮かぶ…(ボンクラ学校であったが、課題を提出できないと即留年が決定した。その点だけは厳しかった)。即興で何か (パフォーマンスを) 始めないといけない、と思った瞬間、目が覚めた。
ひどく疲れていた。
しかし…、15年後にこんな夢にうなされて目覚めるとは思ってもみなかったよ…。
「dreamscape」 だけに、今朝の変な夢を綴ってみた。
何を暗示するのだろう? 鉄筋の数が足りないのだろうか??
[マイナス1]
ボクの愛車の 「気まぐれさ」 には、もう愛想がつきて書く気も起きないんだが…。
「さて、そろそろ帰って呑むか。」
金曜の深夜、午前2時に誰もいなくなったオフィスを出る。クルマのエンジンをかけ、ちゃんと暖気をして駐車場を後にする。この間電源コードを配線したiPodがちゃんと充電されながら動いていることを確認しながら第三京浜に乗る。
気がつくと、なぜかヒーターが温まらない。エンジンをかけてだいぶ時間が経ったのに冷たい風しか出てこない。国産ならまだしも、ボクのクルマはエンジンが温まりきらないと温風が出てこないのが常だ。でも、第三京浜まで来て暖かくならないのはさすがにおかしい。
「ヒューズが飛んだのかしら?」
変なところからiPod用の電源を引っ張ったので、ヒューズが飛んだのかな? また配線いじるの面倒くせえなぁ…ぐらいにしか思っていない自分は愚かだった。
料金所で料金を払うために止まると、エンジンの回転が不安定に落ちていく。すっかり気づいてなかったけど水温は125度じゃないか!!(メーター振りきってます)
休憩所に停めてボンネットを開けると、エンジンがチンチンと沸騰している。(←もう慣れてるので、それぐらいでは驚かない) でも冷却水が沸騰して噴いてるかんじはない。キャップを開けてもひっそりしている。
「つーか、水入ってなくね?」
それに気づいて青ざめた。見るとバンパーの下から多量の水が流れ出ている。というか、流れきった形跡だ。
「やれやれ、焼きついたか?」
焦っても仕方がないので、とりあえず家に帰るべく、ラジエータに水を入れて様子を見ることにする。休憩所の臭いゴミ箱からペットボトル2つをやっと探し出し、トイレに行って水を汲む。伊右衛門エキス入りの500mlトイレ水 (老舗の味?) とコカコーラ味の500mlのトイレ水 (微炭酸)。1往復でいっぱいになるとは思ってなかったが、3往復してもいっぱいにならない。トイレの水道も自動開栓のセンサーがおバカで頭にくる。寒いし、夜は更けるし、いい歳して情けないし、だんだん腹がたってきた。
トイレ休憩に向かうタクシーの運ちゃんが、いぶかしそうな目つきでボクとペットボトル (+水) を横目で見ていく。つーか、タクシーのおっちゃんよ、「どうしたんだい、オーバーヒートか」 ぐらい声かけろや。別に助けてもらおうとは思わないけど、1ミリぐらいのかるーい同情が欲しいんだよ…。
翌朝、明るくなった駐車場でジャッキアップして頭をつっこんで覗いてみる。
「あ〜あかん。だめだこりゃ。」
ラジエータ本体のアルミのプレス部分が裂けて、そこが 『大涌谷』 状態だ。いい温泉卵が作れそうな勢いで水が吹いている。10分とたたないうちに3リットル入れた水が全部抜けてしまった。。
「あー、それはもうラジエータ本体交換しないとダメですね。部品だけで6〜7万ですかねぇ。工賃込みで10万ぐらいってとこですね…。」
正規ディーラーの工場に電話したら、予想通りの答えが返ってきた。(なんて大雑把なんだ! 1修理=10万円っていう単位系しか持ってないんだろ!)
[プラス1+α ]
学生時代の友達で芝居をやっていたという人間は多い。この間島根に訪ねたYくんもその一人。風呂もない、取り壊し寸前の家に住んでいて、いつも不潔だった当時のYくんも、刑事役で演技する舞台の上ではとっても輝いて見えた。それがちょっと羨ましく思えたものだ。
夕方、友達の嫁さんが出演しているという芝居を見に行った。仕事や、翌日のバイクの試合の準備がけっこう残ってて、行くか諦めるかさんざん悩んだんだけど、結局行くことにした。会場である王子小劇場はウチから遠いので…というのは言い訳で、モタモタしてるうちに20分ほど遅れて劇場につくと、一番前の席に案内された。俳優の熱気がダイレクトに伝わってくるほどの近さだ。
芝居の一般的な楽しみ方はよく知らない。でも、ボクの場合は、劇場という密室で独特の世界観に没入できることが楽しい。その2時間だけ、全く自分の生活と乖離した世界に浸れることが楽しかったりする。だからその 「没入度」 が高ければ高いほど、ボクにとっては 「いい作品だった」 ということになる。そういう意味で今回見た作品はとても楽しく、不思議な世界観の中に引き込まれた。
あとは、俳優の生の演技というものの力強さに感動する。やっぱり芝居というのは、「見る」 というよりも 「体験」 する行為なんだなあと思う。演劇についてはそれほど詳しくもないし、数見てるわけでもないけど、たまに見に行くと、いつも俳優が醸し出すパワーに圧倒される。テレビや映画では感じることのできない 「気」 のようなものが劇場の空気を介してダイレクトに伝わってくるからだ。でその、空気中を伝わってきた 「気」 には 「元気の素」 みたいな粒子がくっついていて、見終わった時には自分も元気になっていたりする。それが芝居の好きなところ。「人の心をゆさぶる力」 があるってすごいなあと思う。
また、客観的に 「こういう (世界観を作り出す) 脚本を書ける人って、どういう思考回路をしてるんだろう?」 と唸ってしまう自分もいたりする。この間の音楽プロデュースの話ではないけど、脚本家や演出者の視点を想像してみたりするのだ。すごい個性を持っている俳優をいかに 「味付け」 し、且つひとつの 「まとまり」 を持ったメッセージのある作品に仕上げていくのか…。勉強になる点は非常に多いし、とても刺激になる。
──で、問題の (?) 「友達の嫁さん」 は、予備知識なしに見に行ったにも関わらず、また会ったことがないにも関わらず、芝居を見ている途中で 「ああ、この人が彼の奥さんだ〜」 と分かってしまった。後で確認したら本当にそうだったので自分でもびっくりした。(オレの直感も錆ついてないね。フフッ) とてもお似合いの二人、幸せになってね。
ということで、とても満足して帰る。朝の不機嫌さもしばし吹き飛んだ。だから−1+1=2で結局、プラスな一日でした〜! ということにしておこう。
で、クルマの修理代どうしようか…?

今でこそ、巷はブランドモノの犬だらけだけど、ボクが幼い頃は、犬といえば柴犬崩れの日本人顔、茶色か白か黒、またはそれの掛け合わせの 『雑種』 というのがお決まりだった。世の中にはまだ野良犬もいっぱいいて、学校の帰りに田んぼのあぜ道で一緒に遊んだりして帰ったものだ。ボクの故郷ではなぜか茶色い犬が多かった。
来週、バイクの試合があるので、午後から桶川のサーキットに行った。練習と整備 (ピストンとかを交換するのね) のためだ。懇意にさせてもらってるショップもないし、ましてやガレージを持ってるわけでもないので、サーキットに行って整備するしかないのだ。午前中から来ていた仲間と落ち合うと、「ハッシーも乗る?」 と聞かれた。でも今日はやめておく。どうもボクの場合、レース前というのは大ゴケ&大破することが多く、去年もかなり痛い目 (←つい最近まで痛かった…) にあったので、今日は整備に集中することにしておいた。ボクの場合、『ぶっつけ本番』 のほうが調子がいいのだ。
それにしても何年かぶり (6年ぶり?) の桶川。土手への入り口の曲がり角もすっかり忘れちゃってたし、オフロードコースはすっかり草むらになってた。代わりに (?) ホンダエアポートがやけに立派になっててびっくり…。桶川のカートコースも廃れちゃってるのかなーと思いながらデコボコの砂利道を進んでいくと、見慣れたサーキットが現われてきた。
桶川スポーツランド。…つっても、カートとミニバイク用の800メートルぐらいの小さなサーキット。改めてコースを見回すと、意外と広かったんだなぁなんて思う。やっぱり自分の育ったサーキット。あそこで大ゴケしななあとか、このコーナーで鎖骨折ったなあとか (←『痛い』記憶ばかり) 懐かしい。そうそう、そこで2速落として、あのへんで深くバンクしながらシフトアップするんだよね…。ちょっとずつ記憶が蘇る。
しかしこのサーキット、前にも増して大繁盛している。カートも多いし、ビックバイククラスの走行台数もかなり多くて、危ないくらい (駐車場もトランポでいっぱい)。モタード系の人はかなりうまい人も多かった。詰所も増えてるし、コンプレッサなんかも備えられてるし、計測器も備わったんだね…。
それより何より笑えたのが、『犬』 が増えていたこと。
埼玉も、このへん (桶川) まで来ると雑種の茶色い犬を見かけることが多い。おじいちゃんが散歩させてる犬も決まって茶色い雑種の犬だったりする。そういう雑種の茶色い犬をボクは当時 「さいたま犬」 と呼ぶことにしていた。
桶川のサーキットには野良犬 (多くが 『さいたま犬』 ) が住み着いていた。思わず今日、たくさんの犬たちと再会することになった。前に来たとき (たぶん6年前) に生まれたばかりだった犬たちの子孫なんだろうか? それとも彼らそのものなんだろうか? それぞれ、いろんな場所に犬小屋が作られている。そうそう、「ポチの家」 とか書かれて、ちょっと 『おざなり』 に飼われてるかんじがいいんだよね、飼い主とうまく共存してるかんじがして…。うわー、木の下にも! 詰め所の階段の下にも! いたるところに犬小屋があって動物園のようだ。ちゃんとここの人や、サーキットに来る人たちにかわいがられてるのだろう。ちょっとほっとした。
…でも、あいかわらずホコリっぽくて、うす汚い 『いでたち』 は変わっていませんでした。
日経主催のシニア向けセミナーに行った。堺屋太一が講演するというので、実物の話を聞いてみたかったのだ。会場は日本青年館。「青年館」 と名のつくところでオヤジが集まるイベントというのも不思議なものだ。
かなり昭和の匂いが漂う会場に行ってみると、オヤジばかりが集まっている…。予想はしてたけど、ちょっと異様な雰囲気。一歩建物に足を踏み入れると、まさに 「オヤジ臭」 がたちこめていた。匂いまでが昭和の雰囲気。今、自分が関わってる仕事にヒントを得ようと思って行ってみたのだけど、大ホールいっぱいのオヤジ (50代〜60代) に囲まれると、場違いな自分が惨めに思えてくる。
リーフレットを何度読んでみても結局、この集会の目的が何なのか理解できなかった。でもボクが最も 「すげえ」 と思うおじさん (=堺屋氏) の話を聞けるのでよしとした。
そうこうしてるうちに堺屋おじさん登場。
元・通産省の官僚、70年の大阪万博をプロデュースした人、『団塊の世代』 という言葉の生みの親、オイルショックを予想した人、でも実は女子プロレスのファンだとか…。その名前を知ったのは中学時代。日曜日の朝8時半から放送してた 『あすの世界と日本』 という番組で司会をしていたおじさん (その当時もオジサン) が彼だった。その30分番組は世界の経済状況をレポートするドキュメンタリー番組。最初と最後で彼のコメントが入るのだけど、その内容が中学生のボクにもすごく分かりやすくて好きだった。(社会の先生の話の500倍は面白かった。) 10キロ圏内ぐらいの行動範囲しか持てなかったあの頃、テレビから遠い世界を俯瞰してる気分になったものだ。
モノ知りで、洋邦問わず歴史にも明るく、話すときは大げさな手振りが入って、ちょっと関西訛り。昔テレビで見たスタイルはそのままだった。
小渕〜森内閣の閣僚をやってた頃に、彼の本を読み始めてびっくりした。「これから世の中はどう変わっていくのか?」 という未来予測系の本が彼の著書には多いのだが、それらを読んでみると、その分析力が鋭いことに驚く。数字 (統計) の分析は職業的に得意なものなのだろうけど、歴史からヒントを得た分析との組み合わせが鋭いなあと思った。「歴史は繰り返す」 という言葉があるとおり、似た時代の歴史から学び、未来に当てはめてみる、という検証をきっとたくさんしているのだろう。
それと、社会の本質や人間の営みの本質も実によく見抜いてる人だとも思った。
「近代工業社会 (規格大量生産の時代) から知価社会へ」
「知価社会のコミュニティは、ネットワーク型になる」
「職縁社会から好縁社会へ」
彼の言ってることは、どれも現実になっているではないか…。
約1時間の講演の最後、ちょっとアドリブが効いてきたところで彼が言った。
「大事なことはですね、子供や孫に金をやらんことです。
そんなことをしてるから 『オレオレ詐欺』 が流行る。本来は逆なんです。
『ワシだワシだ詐欺』 が流行るくらいじゃないといけない…」
もう70歳を過ぎているはずなのに終始、話は分かりやすく、そしてギャグも冴えていた。
「いつどうなるか分からない、という心配をするよりも、『楽しい』 と思えることに興ずるべきです。
好きな仕事をしてもいいし、好きな消費をすればいいのです。
人間、 『好きなこと』 は 『上手』 なものなのです。
『好きなこと』 のまわりに自然と新しいコミュニティが広がりはじめます。
そこにビジネスチャンスも生まれるでしょう。間もなくそういう時代がやってきます。」
(↑ちょっとうろ覚え)
『元気なオヤジ代表』 の風格を漂わせる堺屋氏は、そういい残して演壇を降りた。
深くお辞儀をする、小柄でかわいらしいおじいちゃんに大きな拍手が沸き起こった。
ある、京都出身のアーティスト。
彼女の音楽が昔から好きで、最近もアルバムを2枚、立て続けに買った。一枚は10周年記念のカバーアルバム、もう一枚は北欧のプロデューサーがプロデュースしたもの。
で、この2枚を聞き比べてみると、ボーカルが同じなのに、アルバムの出来が全然違うのだ。北欧プロデューサーの手がけたもののほうが格段に出来がいい。アーティストの 「輝き」 が違うのだ。2つのアルバムを聞き比べながら、「プロデュースする人によってこんなに差が出るっていうのはどういうことなんだろう?」 と考えてしまった。
音楽プロデューサーって、どういう仕事をしているのかボクには全然想像がつかないんだけど、きっとアーティストの良さを引き出しつつ、自分のテイストをうまく織り込みながらモノ作りをしているんじゃないかと思う。
そういった、彼らの手法を是非学んでみたいと思う。彼らの仕事を学んだら、きっと自分の仕事にも役にたつんじゃないかなあと思うんですよね…。
夕刻、原宿のラーメン屋でメシ食いながら、社長と 「組織」 の話になった。
つっても難しいハナシではなく、
「いや、会社の目的とか目標って何なんだろう、って悩むわけよ」
みたいな話。会社を仕切る人間としては当然の悩みである。
「IPOとか、他の会社を買収できるチカラとかが目的なのもどうかと思うのよ」
みたいな話。いや、会社である以上、当然利潤追求が根底にはあるんですけどね…。
「でさ、やっぱりどの会社にも 『核』 になる事業ドメインがあってさ、それをテーマに企業活動していくことで、社員個人の能力を伸ばす素地を提供できる会社って、いいなと思うわけ」
という話を聞いたとき、自分も似たイメージを持っていたので共感した。
といってもボクのイメージは、「新陳代謝のいい会社」。所属している人間がいいあんばいでキャリアアップする環境があり、その人が育っていく時のモチベーションをうまく利用して会社を活性化し、利潤を還元してもらいつつ (でも、それはスピードを伴わないと意味がない。)、次のステップへ踏み出すときの協力をしてあげるという仕組み。それでも会社を俯瞰してみたときに基本的な業務形態に変わりはなく、組織の雰囲気 (社風) には一貫性がある。そんな会社になっていければいいんじゃないか…。
で、そんなことを言葉にしようとしていたら、ちょっと前に友達から聞いた、全然別の話を思い出した。
人間の細胞というのは約2年ですべてが一新されるそうなのだ。つまり、2年前にに自分を構成していた細胞は、2年後にはなくなって排泄されて(?)しまい、すべて新しい細胞に入れ替わってしまう。
それって、すごい話だ。
物理的な構成要素が変わっても、同じ自分というものに変わりはないし、ボク自身は生まれたときからの一貫性を保ち、記憶だってずっと続いている。街で昔の友達とばったり会っても、普通は (←びっくりするくらい肥大化していなければ) 「久しぶり〜」 と声をかけてくれるわけだ。
…ところで、その話を聞いたときの友達との論点というのは、
「(細胞だって2年で全部入れ替わっちゃうんだから) だから、2年も経てば、別のオトコ (オンナ) が好きになってもしょうがないじゃない、好みが変わったってしょうがないじゃない…ねぇ?」
って話だったんですけどね (笑)。
脳やDNAのことはよく分からないけど、人間というか、動物の 「つくり」 には一種、神秘的なものさえ感じる。機械とか、コンピュータとか、ネットワークとか、人間の作り出すものって、生物としての 「人間」 のつくりや 「生態系」 にヒントを得てたりする場合が実に多い。
世の中に 「発見」 はあっても、「発明」 といものはないんじゃないか? という言葉がある。新しいと思えるものでも、それは必ず何かの相似形であるということで、それは自然界からヒントを得ることだったりもするし、歴史から学ぶことだったりもする。
…そういう意味で世の中を見渡してみると、けっこう斬新な 「発見」 があったりするのかもしれないなーと思う。
何年たっても煙草がやめられないように、元々ボクは嗜好品の誘惑に弱い人間だ。
オヤジの友達にもらったワインがきっかけで、このところ俄かに 「ワイン好き」 になってしまった。
ウイスキーや日本酒、焼酎も、ビール以外の酒は飲めないと思っていたのに… (特に学生時代よくイッキさせられた日本酒は、どんなに旨いと言われるものでも未だに飲めない)、意外とワインなら飲めてしまって、しかも二日酔いがない、ということにこの歳になって気づいてしまったのだ。。
30歳を超えて始めて経験することって、だんだん少なくなってくるけど、この発見は自分にとっては非常にセンセーショナルだった。「そうか、ビールと違って、こんなにゆっくり酔えるんだ」 「けっこうワインって味が違うんだな、いろいろ味があって楽しいし、ワインにハマる人の気持ちも分かるな…」 なんて思いながら今宵もコルクを抜く。
昨日は婆ちゃんの話題だったけど、今日は爺ちゃんにフォーカス。
母方の爺ちゃんの遺伝子は、けっこう自分に強く受け継がれてると思う瞬間が多い。
超ヘビースモーカーだったこと (「echo」 の匂いは爺ちゃんの匂いだった。でも肺ガンでは死ななかった。) や、変に手先が器用だったこと、短気なこと (←昔の人だし、長く戦争に行ってた人だったので本当に怖かった) など。でも酒飲みなところは似てないな、なんて今まで思ってきたけど、意外とこの遺伝子も引き継いでるのかもしれない。
ここんとこはワインを2日で1本。オレの肝臓にとっては明らかに飲みすぎだ。せっかく習慣化した早起きもできなくなっちゃったし、毎日 「早く帰って飲みながら仕事しよ」 とか思ってしまうし…。
とか言いながら…、今もグラスに赤ワインが半分ほど注がれている。
イカンな。

死んだ婆ちゃんは生前、「機械が壊れたら、こやって叩くんよ。」 と教えてくれた。
「婆ちゃーん、テレビつかない。ポンキッキ見れなーい。」
「バーンッ!」(←斜め45度で叩く)
「あ、点いた!」
滞りなくガチャピンの姿を確認できたボクは、子供心に 「婆ちゃん やりおるな…」 と思っていたものだ。
そして25年後…。
ITと電子部品に囲まれた社会になったはずなのに、依然としてボクのまわりには婆ちゃんの教えが 「あてはまる」 ブツが多い。
エンジン始動。
エアコンの表示灯が点かない…
「バン!」(←斜め30度で叩く)
しーん。
角度が悪いのか?
「バーンッ!」(←斜め45度)
点いた!
五分後。
ABSの警告灯が消えない…
「バーンッ!」
消えた…。
しばらく前から調子の悪くなった携帯。
どのボタンを押しても 「1111111」 と表示される。
斜め45度で叩くと自分の手が痛いし、全然効かない。
どうも正面右側の基盤あたりに原因がありそうだ。。
ためしにパワーボタンめがけて 「目潰し」 のように勢いよくつついてみる。
「ドスッ。」
直った!
↑といっても一時的に…。
もういよいよだめです。
まともに発信もできません。7ヶ月しか経ってないけど、あした新しいの買いに行こ (実に無駄な出費だ)。 やっぱ洗濯しちゃったのがまずかったんかな…。ソニエリFOMAは間に合わず。
っていうか、ド●モに膨大な金払うの、もういやだし、顧客として応援したくなる要素も何ひとつないし、いよいよサヨナラしようかしらね。。
いつのまにかウチの会社も創立3周年。
危機的状況から今の社長が会社を作ることになって、もう3年。「ス●ップ」ってケッタイな会社名だなあと、電話でもメールでも違和感を覚えながら名乗り始めたのは昨日のよう。(同僚のMさんと自分が発案者ではあるんだが…しかもラーメン屋で5分で考えた。)
で、一応3周年、それから8月末に株式会社化したということもあって先週末に宴があった。お世話になっているD社の社長さんと若い衆、あと夏にインターンに来てくれた学生さんも来てくれて、(平均年齢が一気に下がり) 華やいだ雰囲気に。
2時間の会場を終えて、ボーリングに行ってカラオケ行って…。(都会ではないので、そういう遊びしかない。) カラオケなんて何年かぶりで行った。シダックスには見たこともない多機能リモコンが装備されててちょっとびっくり。自分は…歌える歌なんて10年前と変わらず、若い子の歌う歌と、そのパワーにびっくりするばかり。…っていうか、オレもすっかりオヤジの域に達しているんだなぁと反省。二十歳の子たちからオレはどんなふうに見えてるんだろう?
平均年齢が30歳を超えて久しいウチの会社にやってきたインターンの子たちはとてもセンセーショナルだった。昼飯時に聞く話は 「へえ、そうなんだ〜」 っていうことばかり。でも、美大系の学生さんだったので懐かしいノリを思い出したりもして…。「将来どんな仕事したいの?」 という質問には 「●●系の仕事をいたいんです」 と目を輝かせて語りはじめる彼女たち。実際の作品と照らし合わせると 「いや、でも、それはなかなか難しいよ」 と言わざるを得ない子もいるのだけど、言いかけてやめる。まだまだどう育つか分からない歳なのだ。そして、この時期に大人から言われる言葉って、意外と影響力が大きかったりもする。夢を持ってる彼らに偉そうなことを言えるほど自分が成長をしてるとも思えないし…。
そういやぁ、オレだって学生の頃はこういう、ほとばしるような 「前向きさ」 があったよなぁ、と自分をちょっぴり反省してみる。仕事を始めて10年、経験も積んで…大人ぶってはいるけれど、実はちょっとずつ失ってきたものも多かったんじゃないか? 師と仰ぐ本田宗一郎が、いろんな本の中で 「『若い』とは、なんと素晴らしいことか」 と語るんだけど、この歳になって、その意味がだんだん実感として分かってきた気がしてる。
…そんなことを考えさせてくれた彼ら、彼女らには感謝しなきゃなと思う。そう、「教えてる」 つもりが、実はボクが彼らに教えられてことのほうが多いのだ。
この業界にももう10年近く (たぶん来年で10年) もいるけど、キャリアアップしてるのかいないのか?? 名刺に 「取締役」 という肩書きが増えたけど、それに見合う結果を出していけるのかどうか…? 一つの節目と想定している35歳の誕生日まで、あと3ヶ月。
はぁ〜、いったいどうなんだ?>オレ。

2日目、前夜の酒のせいで大寝坊したボクらは11時に出発。雲の切れ間から、ちょっとだけ青空がのぞいている。
三徳山三仏寺というお寺の 「投げ入れ堂」 を見るのが今日の目的。今回松江に来た理由は、電車に揺られながら考え事をしかたったことと、宍道湖の夕日を見たかったこと、あと前々からスゴイと友人から聞いていた、この 『投げ入れ堂』 を見るためであった。「どうやって作ったのか、未だに分からないらしいよ」 という友人のコメントに心惹かれるものもあったしね。でも、「見る」 といっても、標高500mのところにある建物なので、『登山』 をしなければ見ることができない (らしい)。「ハシモトさ、本当に大丈夫?マジで 『登山』 だぜ?」 ギャラリーめぐりですぐ 「休憩すんべ」 と音をあげてしまう運動不足なボクを心配して友人が何度もそう聞いた。「これでもな、高校時代は片道13キロを毎日チャリで通ったんだって、足腰だけは…」。でもそう、それは 「高校時代」 の話…。
松江市内から約2時間、友達所有のマーチを、免許をもっていない友人に代わってボクが運転する。「運転できなくてすんませんな」 と友人は恐縮するのだけど、ボクにとっては願ってもないこと。知らない土地で運転することは楽しいのだ。電車や飛行機やバスで訪れただけでは分からない、地元の雰囲気を感じることができるから。
普段は美しくそびえるという大山も、今日は雲がかかって見えていない。海岸沿いの国道を2時間ほど走ってお寺のふもとに到着。「それじゃ行きますか」 と覚悟を決めて登山にかかる。本堂の裏側に入山受付があって、そこに署名しないと入山できない。へんなタスキ (由緒ある六根清浄(ろっこんしょうじょう)のたすきというらしい) を受け取って登山開始。
いや、マジで 『登山』 だ。しかも雨上がりで滑りやすいし、ガケのような難所もある。先を行く友人の足の速さに息を切らしながらついていく。「やけに足が速いな、無理してんのかな…」 一応大丈夫だと言った見栄もあるので平気なふりをして足早に登る。学生時代、卒業制作を一発で通したこととか、演劇部で俳優 (それも主役) をこなす多芸ぶりや、かと思えば大学院への進学をいつの間にか決めてた熱い魂の持ち主である彼を、自分が羨ましく思ってたことを思い出す。「ここで負けるわけにはいかない」 と訳の分からん 『負けん気』 が沸き起こってきて、重い足取りが軽くなった。アドレナリンが出てくればこっちのもんだ。「あの木の根っこをショートカットすれば (彼の) 前に出れる…」 ラインどりも冴えてきた。レースと一緒じゃないか…。
なんてことを思ってるうちに、あっけなく拝観ポイントに到達。…といっても息はずいぶん切れている。「意外と健脚でびっくりしたよ」 「そ、そう?(はー、はー)」 …なんか負けてる気分。
「投げ入れ堂」 は本当にすごかった。崖っぷちのくぼみにお堂がすっぽり収まっている。どうやって材料を持ち込んだのか想像もつかない。一本一本登山しながら持ち込んだのだとすれば、たぶん一生それが修行だったのだろう。もしかして山の上で製材したのだろうか?? しかも何のために? 山岳信仰って、日本人として自分も分からなくもないんだけど、そこまでさせる情熱というのは何だったのだろう? ということを考えた。それだけ宗教というものは強いものなのだろうか?
本当に 「えいっ」 と投げ入れないと作れないよな。谷間を流れる湿った風の音に耳を澄ませる。投げ入れ堂の 「いわれ」 については公式サイト(?)を参照。アニメーションとBGMがステキ(?)です。
途中の地蔵堂というお堂も断崖絶壁に建つ。高所恐怖症のボクにとっては、けっこうキツいのだが、吹き上げる風の気持ちよさにしばし佇んだ。そこからの眺めは最高。雲の切れ間から差す光に、やけに神秘的なものを感じた。
帰り道、海岸沿いの国道に出ると、いくつもの風車が建っていた。地理的に西岸に位置する場所だから、風が一定に吹くのだろう。中国奥地、ウルムチ郊外で見た風力発電所も、カリフォルニアで見た風力発電所も風車は西に向いていた気がする。そういえば、始めて降り立ったヨーロッパ、アムステルダムの上空から見た景色もこんなだったな…。西に向かって等間隔に風車が建っていた。
「くそ、また旅行に出たいぞ。」 旅の終わりには、また次の旅を決意する。忙しさにかまけて、すぐにその決意は忘れちゃうのだけど…。でもそんな気持ちにさせてくれてありがとう>Y氏。仕事が忙しいときにすんませんでした。もう一度ぐらいは松江を訪ねます。それから、お子チャマ誕生オメデトウ!

「島根はさあ、『出雲の国』なんだよ。出雲って、『出る雲』 って書くだろう? オレこっちに来てからその意味が分かったんだよ。」
9月の3連休を使って、島根で大学の先生をしている学生時代の親友 (このBlogの名前 『dreamscape』 は、一時期彼と構想を練っていたユニットの名前でもある) を訪ねた。前々から彼に言われていた 「一度は松江に遊びに来いよ」 という誘いに、バカ正直に応えてみたくなったのだ。(「ホントウに来たのか!」 と呆れさせることが楽しみだったりもする)。台風が沖縄に上陸するという時期で天気が心配だったんだけど、残暑の厳しい天気のいい週末だった。
連休初日は午前中にミーティングが入っていた。その後残った仕事を途中で諦めて、広島行きの新幹線に乗ったのが17時半。岡山で新幹線を降り、えらく揺れる 「スーパーやくも (183系)」 に乗り継いで松江に着いたのが23時45分。実に6時間の長旅 (遠かった…)。これだけ電車に揺られるのも久しぶりだ。昭和2年に建てられたという友達の家は、中がキレイに改造されててちょっとビックリ。でも、そりゃそうだな、インテリア学科の先生なんだもの。。
翌朝、彼の家と目と鼻の先の松江城を訪れる。天守閣からは中国山地の山々、そして宍道湖が一望できる。空は抜けるような青空、そして手の届きそうな低い空に白い雲が勢いよく流れる。その雲を見ながら友達が言ったのだ。「松江で見る雲はなぜかカッコいいんだよ。『出雲』 という意味はきっとそこから来てるんだな…。」
まあ、台風が近づいてるせいもあるんだろうけど、本当に雲がカッコいい。風神さまの横に描かれてる雲のように、なにか 『魂』 が宿っているような雲がどんどん流れていく、というか、どんどん生まれてくるかんじ。
そんな雲を眺めながら、お堀を巡る小さな船に乗った。宍道湖の湖岸にできた松江という都市は、水路の街でもある。建築学科の学生だった頃、水路好きだったボクにはたまらない観光スポットであった。この遊覧船はなかなかのお勧め。船頭さんのトークも絶妙です。
観光地に住むとそうなるのかもしれないけれど、友達は2日という少ない滞在時間の中でボクが最大限に楽しめるように分刻みの観光計画を立ててくれた。(夕焼けで有名な宍道湖の日の入りを見せるため、日没の時間まで調べていてくれたことにはびっくり!持つべきものは友達だぁね…)
関東人にとっては、松江という都市は非常に馴染みが薄い。島根と鳥取の位置関係すらよく分からない。でも、中野育ちの友達が 「いいところなんだよ」 と言ってた意味がよく分かった。西洋人である小泉八雲 (ラフカディオ・ハーン) もこよなく愛したこの街には、古い日本の情緒が残っている。街自体の大きさも道の広さも昔のまま、いいかんじで 「ヒューマンスケール」 のままであり、変に区画整理が進んでない。中央に川が流れていて、そこが生活の中心であったり、憩いの場であった名残がある。京都やフィレンツェといった古都とも似た要素を持つ街。いいところだ。
午後からはクルマで宍道湖の横を走って出雲大社へ。雲のカッコよさはいよいよ頂点に達した。高千穂峡、伊勢神宮、そして出雲大社。昔から神が宿るとされる場所には同じ雰囲気が漂う。深い緑、水の流れ、青い空と濃密な空気。やはり出雲大社にも同じ空気を感じた。
「出雲大社ってさ、縁結びの神様じゃん? ハシモトもよくお願いしておいたほうがいいよ」
「んだね…」
友達の忠告どおり、お賽銭を奮発してお祈りしてみたが…。
夕刻、予定どおり、18時2分の日没を目指して松江に戻る。
毎日、日没の時間が閉館時間になるという県立美術館から見る宍道湖への日没が最高だ、ということで20分前からスタンバイ。観光客が何十人も集まるベストなポイントで夕暮れを見た。30分も夕暮れを見ていたのって、何年ぶりだろう? ゆっくり、そしてあっという間に太陽が地平線沿いの雲に姿を隠す。湖すべてがオレンジ色に染まる瞬間。空はオレンジから濃紺に、無数のグラデーションを展開する…。絵でも、写真でも表現できない豊かな色合い。自然って、やっぱり偉大だなあと思う。1秒ごとに展開が変わる大仕掛けな舞台を、ちょっと涼しい秋風に吹かれながら楽しんだ。
夜、旧家を改造したというレストランにチャリで向かう。どこにでもチャリで行けてしまう街のコンパクトさが素晴らしい。実に 「ヒューマンスケール」 だ。うまい飯をご馳走になって、同じ敷地内にある、これまた蔵を改造したというバーに移ってキツい酒を飲む。もうすぐ父親になる彼の話に始まって、昔の話 (課題が辛かったなあとか)、近況、それから将来のこと、いろんな話をした。変わっているようで、変わってなくて、でもその間に確実に10年という月日があって…。友達ってありがたいなあと思いつつ、不思議な時間感覚に包まれながら松江の夜は更けた。
幕張の展示会取材。もう6年ぐらい、毎年恒例の行事である。
写真撮って、かーるくコラージュして、雑用やって…。準備期間最終日、メッセのうるさい会場を出てひんやりした空気を肌に感じると秋が来たんだなあと思う。
今朝が初日。いつも一日かけてやってる仕事を半日で終わらせて成田に向かう。
ドイツに旅行に行っていた両親と、そのご一行様を迎えに行くためだ。ウチの両親2人と同期のおっさん達2夫婦4人、合計6人のツアー。出迎えといっても、実際は成田→茨城の実家への運転手。まあ、自分らで運転して帰ればいいじゃねえかとも思うんだけど、『居眠り運転DNA』は確実にオヤジから引き継いでるもので、ちょっと心配だし、たまにそれくらいの親孝行してもいいかなという気持ちで、半休をもらった。14:45の到着に間に合うための幕張発のバスを逃したボクはタクシー+JR+タクシーの乗り継ぎでギリギリ第二ターミナルに着く。幕張→成田の交通費合計6,000円。なんでやねん?(←もっといい方法があるはずだ、といつも反省する)
空港でオヤジご一行様と会うと、同期の二人の夫婦がボクを懐かしそうに眺めた。
「いや、どうもすんませんねぇ。」
「こーんなちっちゃい頃に会ったきりだけど、まさか大きくなったねぇ」
と水平に伸ばした手のひらを腰のあたりにかざしている。。
確かに、オヤジのアルバムで見たことある顔だ。
「なんか日本は蒸し暑いねぇ、とりあえず冷たいもんでも飲もうか」
と2階のレストランに入るとオッサンたちはビールで帰国祝い。
「いや〜、お疲れさまでしたぁ〜!」
実に楽しそう。
ところでウチのオヤジの格好にずっと違和感を覚えていたのだが、その原因がやっと分かった。帽子だ。「ぼうし」。やけに浮かれた帽子を被っているのだ。三角で、ちょっとピッタリめで、鳥の羽がついている。まるでハイジに出てくるペーターそのものである。…いったいどこで購入したのだろう???
「(息子さん、)すんませんな、美味しいビールいただいてしまいましたわ。」
どこの、どんな国に行っても、言葉が違っても、「ある」人数が集まった『場』でのパーソナリティ配分って、どこでもいっしょだなあと思う。
盛り上げ役がいて、つっこみ役がいて、変に生真面目な人がいて、ちょっとズレてる人もいる。その割合って、けっこう万国共通だなあと思う。オヤジご一行様もうまくその配分比率にしたがった人員構成になっていた。盛り上げ役がSさん、生真面目なのがYさん、つっこみ役はもっぱら奥様たち。ウチのオヤジは「ズレてる」系かもな。。
レストランを出るときにSさんがどこかへ行ってしまい、しばし待ちぼうけ。
その間、『生真面目』なYさんと2人で話す時間があった。
「いつもハシモトさん(←我がオヤジのこと)にはお世話になってるんです。」
「あ、いやいや、そんな。こちらこそ父がお世話になっております。」
「ハシモトさんとは同期なんですが、現役時代は工場が別でね。定年退職してからまたお付き合いさせていただいていて。」
「そうですか。。。」
「去年もスイス旅行に誘っていただいて、今回も誘っていただいてねぇ…」
「いかがでしたか?」
「いや〜、楽しかったですよ。定年退職して、こんなに楽しい人生が待ってたとは予想もしてませんでしたねえ。こうやって引っ張り出してくれるハシモトさんにはホント感謝してますよ…。」
本当に楽しそうに、人懐っこい笑顔でYさんはそう語った。
不器用な仕事人間だとばっかり思ってたけど、
ウチのオヤジにもそうやって、他人に感謝されるおせっかいな面があったんだなぁ。と、ちょっとだけ嬉しくなった。そしてそういう仲間がいることにホッとした。
2家族を送り届けて実家へ戻る。平日しか休みのとれない妹も今日はたまたま定休日。たまには4人で、ということで寿司を食いに行った(←ハシモト家のご馳走はいつでも『寿司』だ)。「やっぱり魚がイチバンだ!←(欧州の食生活は合わないの意。)」という言葉とともにさんざん食って飲んで帰ってくると、玄関先に見覚えのない紙袋が。。中にはエアパッキンでくるまれたスイス産のワインが1本。
オヤジがSさんとYさんに電話をかける。
「…そうですか。いや〜、そんな、、すんませんね。」
どうやら、運転してくれた息子さんにお礼に、ということでSさんがわざわざ届けてくれたらしい。成田でボクに何かお礼を、ということでSさんが探しまわったのだけど、見つからなかった。なので、Sさんの自宅にあった、とっておきのワインを帰宅後改めて届けてくれたんだそうだ。成田で数分間Sさんが消えたのはそういう理由だったんだな。。
今、ちょっと暖かい気持ちになりながら、実家でそのワインをいただいている。(もう半分飲んじまった!しかもうまい。)
雨はしとしと降っているけど、虫の音も負けてはいない、今夜はそんな秋の夜です。
ゴリさんの 「ゴリ」 は、別に竜雷太がゴリラに似てるからではなくて、「ゴリ押し」 が得意な熱血刑事だから 『ゴリさん』 なのである。
クルマ (VW Golf) が壊れて、「新しいの買っちゃおうかしら (しかも新車で)?」 と、新車熱の高まってる友達がいる。BMW TOKYOのショールームに行って、1シリーズの売り込みにちょっと負けそうになったらしい。
「いやいや、MりんはBMW似合わないって。クルマの仕事してるんだし、イタ車でしょう。」
といって、ラーメン屋に行くついでに145を運転させてみた。その昔、赤いカリーナのMT車を運転していた彼女は、慣れているだけあって豪快な半クラッチでスタート。
結果、大興奮。
そうだ、ボクが思わずこのクルマを 「か、買います!(←甲高い声)」 と言ってしまった時と同じウツロな目をしている… (しかもハートマーク)。
「や、やばいかも。」 (←同じく甲高い声)
ラーメン屋で候補車 (というか欧州車) を一つずつ検証してみる。
「ドイツ車はさ、でっかいのはいいけど、ちっこいのはダメじゃない? あ、でもGolfがあるか。。」
「そうねえ、ドイツ車ってなんか、メカもデザインも 『設計書』 でできあがってるかんじがする。全部が図面なの。だからオトコ心をくすぐるんだよ。」
「フランス車って、周りに乗ってる人いないよね。だからよく分かんない。」
「イタ車はさあ、『粘土こねてたら、こんなカッチョエエのできちゃいましたー!』 がそのままクルマになっちゃったかんじ。図面がないの。乗ったかんじも官能的でエロい。シートにフェロモン染み込んでるよね。」
「イギリス車? なんか、『誇り』 に 『ホコリ』 がかぶってるかんじしない?」
「…ってジャガーのこと?」
「そうそう。」
「北欧ねぇ…、除雪車でしょ?」
いやいや、あくまで憧れてるのですよ。
でも、国産車は一つも候補に挙がらない。
「なんか、フツーな形しておきながら乗ってみるとスゴいんだって。」
「絶対147。2000ccのツインスパークね。しかもアイボリー。」
「いやいや、よく壊れるんだけどさ、手をかければかけただけ応えてくれるんだよ。」
…いつのまにか、『いかにアルファが素敵か?』 を力説している自分がいる。しかもゴリ押しで。
これじゃ、いちばんキライな 「ウンチクたれる外車乗りオヤジ」 じゃないか!←オレ
帰り道、
またブォーンと豪快な半クラッチをあてながら彼女 (興奮過剰気味) が言った。
「やっぱりアルファって音がいいね〜! シビレるよ。」
「でしょ〜?」
いや、マフラー変えてるだけなんだけどな。。

映像は専門ではないのでよくわからない。機材のことも分からないし、編集も見よう見真似でしかできない (興味はとてもあるけど)。
でも、インタビューをWebに掲載するという仕事はけっこうあって、ビデオで撮影に行ったりもする。「ハンディカムで撮れば大丈夫ですよねぇ、Web用だと圧縮かかっちゃうし…」なんてよく言われるのだが、それがそうもカンタンにはいかない。
まず「音」。
世の中は意外と雑音であふれているのだ。
しかもボクの持ってるハンディカムには (オプションでも) ろくなマイクがなく、インタビューされる人の声をうまく拾えない。
セミの声がうるさすぎて×、鈴虫が頑張りすぎちゃってるので×、近くの工事現場の振動ドリルとサンダーの音がうるさすぎて×、なんてことはわりと多く、無理やりパソコン上でフィルターをかけるとかして誤魔化したりもする。
今回はわりとちゃんとした仕事なので、先輩の映像屋さんにお願いして、ちょっとまともなカメラとワイヤレスマイクをお借りした。「まともなカメラ」 といってもミニDVでベーカムとかじゃないんだけど、ボクらにはこれで十分。それよりもワイヤレスマイクの威力が絶大で、撮った映像は 「番組みたいだねぇ」 という結果になった。やっぱりちゃんと撮影するには、ちゃんとした機材が必要なのね…。写真もそうだけど、いくら後処理の技術が進んでも、元ネタが悪くちゃ、いいものにはなりません。Sさん、ありがとう。(焼肉おいしかったですか?)
ところで、Sさんの会社に借りたのは 「RAMSA」 というマイクで、Sさん曰く 「100万ぐらい?」 って言ってた(芸人が水に入るときも、ちゃんとワイヤレスは外しますね。それくらい高価なのでしょう…)のだけど、この間レンタルで借りたのはSONYのマイク。ちょっと調べたら5万ぐらいで売ってた。そんなに違いがないような気がするんだけど、何が違うんだろう?(本当に『ド素人』だ) でもこれなら買えますねぇ。
次に「インタビュア」。
インタビューにはテクニックが要る。たぶん入念な準備が必要だ。
我々がインタビューする相手というのは、それなりに 「何かに秀でた人たち」 である。だから、メディアからかどうかは別としても、「インタビュー慣れ」 している場合が多い。そういう人たちを前にしてナメられず、本音や面白い話を引き出すには 「それなりの準備」 が必要だということを痛感した。まあ、そんなの当たり前のことなんだろうけど。でもおかげでステキな話がたくさん聞けましたよ…。(詳細はまた今度)
「事実は小説より奇なり」というけれど、人のハナシというのは、本当に面白いですね。そういうことを伝える仕事も、また楽しいということを実感した一週間でした。
気心の知れた仲間とのツーリング。この週末の企画担当はボクだった。
「夏のツーリング」のイメージは…、
・ちょっと遅めの夏特有の、青くて高い空。
・セミが鳴くぐらい暑いんだけど、ちょっとだけ秋の気配がする空気
・ススキとコスモスと夏草のむせるような青い匂い
・夕暮れのキレイな夕焼けと、夜の虫の音
夕暮れの、ちょっとひんやりした風を感じながら温泉街の宿に着く。
露天風呂に浸かりながら、鈴虫の音を聞いたら、気分いいだろうなあって思ったボクのイメージは、大雨とともに崩れ去る…。
目的地は福島の飯坂温泉。(デジカメをなくしてしまったので、写真はありません)
[第一の敗因]
遠すぎた。
目的地決定まで10分、宿探しで1.5時間。
「むちゃくちゃ忙しかったんだよー」とはただの言い訳。
下調べが甘かった。
蓮田から200キロもあるとはちょっと思っていなかったなぁ。
猪苗代に着いた頃にはみんなヘトヘト。
オフロード型のバイクが高速で受ける風圧はかなりライダーを披露させるんだよね。
歳のせいもあり、高速を走っただけで、かなり疲労困ぱい。
[第二の敗因]
天候。
なんだよ、今朝の天気は!
昨日の雨は何だったんだ!!
朝目覚めて今朝の青空を見て悲しくなった。
「あと1日早ければ…」
今朝の、こんな青い空の下を走りたかった。
これはやはり、幹事の日ごろの行いが悪いからだろうか?
ひょっとして、最近のオレって「雨男」?
天気がよかったツーリングと雨のツーリングとでは、残る記憶の印象がまるで違ってしまう。
「今年の夏のツーリングはよく濡れたよね」
そういう記憶になっちゃったよな。
阿武隈洞とかにも行ってみたかった…。
他人に喜んでもらうことが、実はボクの行動の最大のモチベーションだったりする。
だから今回の企画は×。
天候だって企画力の一つ。完全に運ではない。
まだまだだな…。
今日は鮫洲で免停講習。休憩時間、試験場のベランダで煙草をふかし、青い空を見上げながらそう思った。

ピーポくんの歌があるって知ってました? しかも彼の家族は7人いるんだと!
BMWの屋外看板に 「やられた〜」 と思った。
目黒通りの目黒郵便局前〜大鳥神社 (上り車線から見上げる) にある看板なんだけど、昼間は気づきません。夕方18時頃見てみてください。
→このへん
数日前から新しくなったなあとは思ってたものの、やけにあっさりした3シリーズの写真だなーぐらいの印象しかなかった。でも夕方見てびっくりした。
「そ、そーゆーことだったのかー」
というかんじ。看板の方向や、夕日に向かうかんじも、ちゃーんと計算されてます。
さすがです。
写真は今度…。
他の場所の看板もこうなっているのだろうか?
青山で見かけたのはそうなってなかったな…。
うちのオフィスは住宅街の中にあるので、夕暮れ時になると、各家庭のゴハンの匂いが漂ってくる。カレーの匂い、焼き魚の匂い、煮物の匂い…。
空気がひんやりする季節になると、そういう 「匂い」 が際立ってくるような気がするから不思議。そんな、 「家庭の匂い」 や空気の 「ひんやり感」 が 「秋は人恋しい」 と人に言わしめるんだろうなあと思う。
ちょっぴり秋の気配のする8月29日、立て続けにおめでたい話が3つ。
[その1]
先輩Yさん結婚。
年貢の納め時ですな…(なんつって)。それにしても挙式6日前に2次会のインビテーションカードを作るのは (後輩に作らせるのは) どうかと思います (オレって、いつまでたってもそういう役回りなんだけど)。いやいや、おめでとうございます。
[その2]
先輩Oさん結婚。
そろそろかなとは思ってたけど 「いや、実はオレもなんだよ」 というのにはびっくり。地元の結婚式はかなり面白いことになりそう。かわいい奥さん大事にしてね。
ところで…、もらった予定表に書いてあった 「18:00〜 花火打ち上げ」 って一体何なの??
[友達に娘誕生]
いやー、キミも父親ですか…。
前夜にケンカして片目を腫らしながら面接に来たという逸話は、もう10年前。時の経つのは早ものです。「オトコは毎日がテスト」。娘には何と教えるのだろう?
確実に人間的に成長している姿が、ちょっとだけ羨ましいです。おめでとう。
でも、娘にメンソール煙草は教えないように!(笑)

オフィスの外は嵐。

オフィスの中も…嵐。
早く過ぎ去らないかなぁ。
イカーン!逃避している午前2時。
廊下のドアが(風で) 「ドカーン!」 と閉まって超ビビってるオレ…。
風が強くなってまいりましたよ。

過ぎゆく夏を惜しむように、セミは一生懸命ジージー鳴いているけれど、
空はもう秋の空。すっかり空は高く、抜けるように澄んだブルー。
意外に季節っていうのは、スケジュール通りなんだな…。
そして、夏が終わる頃にボクのクルマは戻ってくる。
エアコン修理。
電話をしてから入庫までに2週間。見積もりが出るまでに1週間。そして修理が終わるまでに1週間…。戻ってくるのは9月1日。ありえない…。
っていうか、夏終わってるやん。
欧州の人は3週間はバカンスをとるらしいけど、欧州車もバカンスを取るとは知らなかった。やっぱりイタ車は奥が深い。
イタリア人の褐色の肌から見え隠れするギャランドゥを1 prg(プレーゴ)とすると
イタ車のイタリア人っぷりは62,000 prg(プレーゴ)である。
っていうか、また6万2千円もかかるのよ…。
ビデオに録画していた番組を深夜になって見た。
TBSの「ボイスレコーダー」はすごくいい番組だった。
よく調査してるなあと思ったし、構成もうまかった。再現ドラマのキャスティング、ナレーターのチョイスも絶妙。「事故を風化させてはいけない」 という制作者の熱意が強烈に伝わってくる番組だった。昼飯の食堂にあった新聞でこの番組の解説を見たとき、「20年経つと、ドラマになってしまうんだなあ」 と、ちょっとガッカリしたんだが、でも、この経緯をうまく伝えるには… (←自分も 「伝える」 ことが商売なので、自分だったら…、と考えてみることが多い) と考えると、たぶんこの再現ドラマとドキュメンタリーを織り交ぜる、という手法は正解だったんじゃないかと思った。
日航機墜落事故。ボクの場合も、この事故は非常にショックな出来事(中学3年の夏休みだった)だった。でも時が経ち、数年すると、お盆近くにニュースで流れる 「御巣鷹の尾根」 というキーワードでこの事故を思い出す程度だった。ところがある日、打ち合わせの帰りに立ち寄った本屋で見つけた、「壊れた尾翼―日航ジャンボ機墜落の真実」 という本を読んでから、この事故の真相が気になりだした。読めば読むほど、この教訓って生かされてるんだろうか?と思うようになった。この事故を扱った本は非常に多く、当時の新聞記者、日航のパイロット、群馬県警の事故対策本部長など、実にたくさんの人がこの事故の記録を本に収めている (ボイスレコーダーの内容も 「御巣鷹の謎を追う -日航123便事故20年- 」 という本に同梱のDVDで聞くことができる)。それぞれを読むと、いろんな角度からの8月12日が見えてくる。凄惨な現場の様子を描いた本も少なくない。ニュース映像では出てこないそれらの描写は、言葉だからこそ強烈に胸に突き刺さる。
そういう光景を実際に目にした彼らは、この悲惨な事故を絶対に繰り返してはいけないというメッセージを本の中で訴えつづけている。そして、見えない力で強制的に結論づけられたこの事故の原因に疑問を抱き、事実の解明が自分の使命だと思い、今でも調査を続けている人がけっこういる。
ところでこの番組、再現ドラマの中に出てくるディレクターの女性が、実際にチーフディレクターだったんだね…。あと、高濱機長の奥さん役の片平なぎさ。彼女と「飛行機」って、何か関係があるなーと思いながら見てたんだけど、昨日になって思い出した。「スチュワーデス物語」。そう、教官の元恋人役。「ヒロシ…」 と言いながら手袋をとるシーンが毎度出てくるあれです。奇しくも、あの番組はJALが舞台の番組だった。
ところでところで、やっぱりDC-10ってやばくないだろうか?
ボクが2月にハワイから帰国する際に乗るはずだったNWAのDC-10。前日に成田で火を噴いた、っていうウラ情報 (form 旅行関係者) を聞いたんだけど、ニュースになってないんだよな。。
「見えない力」 って、恐ろしい。
8月12日は父親の誕生日でもあるんだが、
悲しい記憶の日でもある。もう20年もたつんだなぁ。
↓いっぱい番組が…
http://tv.yahoo.co.jp/bin/search?id=33522391&area=tokyo
http://tv.yahoo.co.jp/bin/search?id=33522415&area=tokyo
http://tv.yahoo.co.jp/bin/search?id=33522291&area=tokyo

ここ半年ぐらい、夜12時ぐらいに眠くなり朝5時に目が覚める、という生活が続いている。
起きなきゃならない理由もあるんだけど、リズムがそうなってしまっていて、無理しなくても起きちゃうのだ。
5時に目が覚める。朝焼けの空を眺めて、誰も歩いてない街を眺めながら深呼吸をし、セミの声に耳を傾け、思わず近くを散歩する…(したくなってしまうのだ)。何度怒られても、何度脅されても遅刻 (それも大遅刻) が直らなかった20代がウソのようだ。
…っつっても急すぎないか?
そんなオレの 『オジイチャンっぷり』 を数値化すると150 Stt (ステテコ) ぐらいか?
(お粗末…)

忙しいとか、なんだかんだ言っても毎週末、しっかり遊んでいる今日この頃。
顔の黒さもまた一層 「深み」 を増している。
先週末はバーベキュー。わが社は7月が決算月なので、
「お疲れサマ飲み会したいよね〜。やっぱ夏はビアガーデンかバーベキューだよね」
っていう経緯でバーベキューになった。
幹事が張り切って買出しをし、道志の近くの小倉橋のたもとで集合。抜け道に成功した 『アルファロメオ隊』 2名は、他の部隊よりも先に現地に着いたものの、エアコンが効かない車内ですっかり消耗して、クーラーボックスのビールに自然と手が伸びる。一足お先に1本をあけてしまった。すかさず2本目に。。
みんなが到着する頃には、わりとヘベレケで、テント設営やコンロの火熾しも、ままならない。
乾杯の直後に、もう眠くなってしまった。
…気がつけば3時間が経過…。
にわか雨も止んで、日も傾いている。すっかり夕方だ。蝉がジージー鳴いている。
「じゃあ、そろそろ片付けようか」
あっという間にバーベキューは終わっていた。
ずいぶん酒にも慣れてきたな、とは思うけど、宴会というと 「大事」 な部分を逃してしまうのは、昔も今も変わらない。そして、日焼けだけが残る…。あいかわらずだな、オレ。

土曜日、今やってるプロジェクトの取材で関宿滑空場というところに行った。
『滑空場』 って何やねん? と思っていたのだけど、現地に行ってその謎は解けた。江戸川の川原である草むらの飛行場は、グライダーのメッカなのだ。セスナに引かれて離陸し、ワイヤーを外して 「離脱」 した後、音もなく優雅に飛ぶグライダーの姿は、まさに「滑空」という言葉がぴったりである。グライダーは、普通の飛行機よりも翼の長さが長いせいか、本当に優雅な姿で空を 「滑って」 いる。
そこで行われる 「スカイレジャージャパン」 というイベントで、ボクらの応援している室屋さんというパイロットがフライトをする。土曜日は公開デモフライトの日だったのだ。
エアロバティックスというのは、分かりやすく言えば曲芸飛行だ。クルクル回ったり、キリモミみたいな動きをしたかと思うと垂直に上昇して失速、「うわ〜墜落する〜」 みたいなところから立ち直ったり…、というハラハラドキドキなエアショーである。でもこれ、れっきとしたスポーツで、世界選手権もある。室屋さんという人は、この世界選手権にも何度か出ている人で、団体戦の日本チームのメンバーでもあった人だ (このチームの一人が、先日、飛行中に墜落死したロック岩崎さんだったらしい)。
スホーイ26という、ロシア製の飛行機で室屋さんは飛行を行う。世界選手権では空軍のバックアップを受けたロシアやフランスが強いんだそうだけど、そのロシアがエアロバティック世界選手権で勝つために (本気で) 作ったのがこの飛行機なんだという。

いつ見ても思うけれども、「速いもの」 というのは必ず 「美しいカタチ」 をしている。
スホーイ26(写真左)とAirRockのピッツ・スペシャル(写真右)。スホーイには、室屋さんのご好意でボクらのプロジェクトのステッカーをデカデカと貼らせていただいてます。写真左下を見ると分かるけど、スホーイのプロペラ回転方向は時計回り。バイクの大先輩でもある飛行機乗りおじさん (←彼はなんと! オーストラリアでスホーイを所有している。) に聞いたのだけど、ロシアの飛行機とアメリカ─イギリスの飛行機とでは、プロペラの回転方向が逆なんだそうだ。

当日は曇り空で、飛行機+軌跡を描くスモークが青空に映える、という状態ではなかったんだが、必死でファインダーの中から追いかけた機体の動きは、そりゃもう見事だった。今まで話でしか聞いてなかった飛行機の動きを目の当たりにして、かなーり興奮。
この日は、グライダーのエアロバティックスというのも見れたんだが、これがまた優雅で美しい。動力がないのに、地面スレスレまで降りてきて、そのまま宙返りしちゃったりするんだよね…。音もなく、風切音だけでボクらの目の前を150キロぐらいのスピードですり抜けていく様は、本当に 「鳥」 のようであった。
飛行機を間近で見る、っていう経験は今まであまりなかったのだけど、幼い時にこういうものを見たら、もうちっと人生変わってたかもな、なんて思った。やっぱり 「パイロット」 って憧れるよな…。
2月のセスナ体験飛行に引き続き、また 「空への誘惑」 をかき立てられた週末であった。
っていうか、曇りだったくせに紫外線は強かったらしく、ひどく日焼けをしてしまった。顔がまたいっそう黒いんですけど…。
夏になると 「ハッシーってさ、タイのタクシー運転手みたいだよね」 ってよく言われるのだが、この夏も 「タイ人のタクシー運転手」 化は確実に進んでいる。

どうもずっと雨だな、と思ってたら、朝イチの打ち合わせで 「夕方電車動いてるか分からんよ、ハシモトさん、知らんの?」 なんて言われて台風上陸?のコトの重大さを知る。そんなデカいの? 多摩川も増水してるよ…。週末はバーベキューで賑わってる川原も、泥水に隠れてます。
関東の人間は、台風が原因でヒドイ目に会う、という事も少ないせいか、
台風というと 「学校が早く終わって帰れる」 みたいな、非日常な意識を持ってしまう。ちょっと不謹慎だけど、ドキドキするというか…。
でも、沖縄とか九州とか、『台風銀座』 上の出身の人と話をすると、「台風」 というものの認識の違いにちょっとびっくりしたりする。彼らにとっては本当に非常事態なんだろうな。やっぱり日本は広い。
外はとっても蒸し暑いです。
「界隈」 というのは便利なコトバである。
学生時代、まがりなりにも建築専攻であったボクは、都市計画や街並み、ランドスケープというものに興味を持っていた。ところが、うちの学校にはコルビジェやミースを熱く語る教授はいても、街並みやランドスケープを語る教授は存在せず、そういうボクの興味に応えてくれる教授もいなかった。(まあ、大学は自分で学ぶところだからいいんだけど…) 枯山水や借景など、歴史的に優れた文化がある国なのに、盲目的に欧米の巨匠に心酔するだけで、西欧化しすぎた建築の考え方に日本独自の文化をうまく調和させようと考えたり、それによって町全体、住環境全体を良くして行こう、なんて発想すらない彼らにウンザリしたものだ。「だから日本の建築はダメなんだ」 って思った。(今では社会的な背景がそうさせている、ということに気がついたのでそうは思わないが…)
そんなボクが本屋で見つけて心酔したのが芦原義信の 「街並みの美学」 という本だった。その中で芦原先生は 「 『界隈』 というのは、日本人特有の空間意識だ」 と書いていたような気がする。(でも定かではない…違う本かも)
連休明けの火曜日、ボクは社長と不動産屋のおじさんと、青山界隈を歩いていた。ハンカチで汗をぬぐうおじさんに連れられて、キョロキョロしながら 「まい泉」 の通りを歩く。約10年前、始めて勤めたデザイン事務所は青山だった。周りにもやっぱりデザイン関係とかの会社が多いからか、他のどの街よりもシャレた人たち (悪く言えば 「スカした」 人たち) が多いなあと思ったものだ。その街にまた戻ってくることになるかもしれない。この10年で表参道周辺の建物はすごく変わった。同潤会アパートもなくなっちゃたしね…。でも雰囲気自体があまり変わっていないのは、通りの真ん中にあるケヤキの大木のせいだろうか。
1件目、2件目、3件目…。まあ、予算が予算だけに、見る物件は大体が古いマンションである。が、ウチも金が余ってる会社なわけではないので、贅沢は言えない。「こんなもんだろうなあ」 と思いながら数件見ていくうちに、「古い、ボロい」 にもいくつかの種類があることが分かってきた。
(A)古くてボロいけど、手入れが行き届いているもの
(B)古くてボロくて、手入れがなってないもの
(C)わりと新し目に見えるけど、入居者(会社)によって雰囲気があまりよくないもの
やっぱり、古くても手入れが行き届いているところは清潔感があるし、相応の人(会社)が入ってるようだ。汚くしているところには、やっぱり 「そういう」 人が集まってくる。建物や 「場」 が醸し出す雰囲気によって、集まってくる人が変わるというのは面白い現象だなあって思う。でも、考えてみれば、それは世の中の常でもある。
いくらネットが普及して便利になって、地球の裏側の人と一緒に仕事ができるようになっても、『働く場所』 の選択は大事だ。クリエイティブなことをするには、クリエイティブな場所でオフィスを持たなければいけない。いくつかの会社を転々としてきた中で、ボクはそのことを、けっこう痛切に感じている。
また青山界隈に戻れるのだろうか?
日曜日、早起きして近所を散歩。すっかり梅雨明けしたかのような空だ。(梅雨明けしたのかな?) 7時前にサーキットに行くと、もうたくさんのエントラントが準備をしていた。典型的な夏の一日。暑くなりそうだ。
11時、スタート。今回のスタートはT君。体が大きくて、体重も一番重いので、この高低差の激しいコースで非力なボクらのマシンではけっこうキツイんだと思うのだけど、スタートのダッシュは早い。なかなかのスタートだった。
ボクは第2走者なので12時からが出番。ゆっくり皮ツナギを着て、交代を待つ。ヘルメットを被ると汗が噴出してくるんだが、気持ちは集中できる。だんだん気持ちが高ぶってきた…。
いつものように給油を終えて押しがけでスタートする。走り始めて、流れに乗ってしまったほうが落ち着いた気持ちになれる。でも、(去年もそうだったが)抜かれっぱなし。
「どうして周りのやつらは、あんなに速いんだろう?」
別クラスの排気量の大きな4ストロークマシンは別としても、同じ2スト、同じ排気量のNSRで風のように抜き去るやつらを横目に、「なんでだ?」 と悩みながら半クラッチをあてる。
周回を重ねるこごとに、バイクが遅いんじゃなくて、「オレ」 が遅かったってことに気がついてきた。速い連中の走り方を観察すると、オレの走り方は全然 「なってない」 ことに気づく。下りのストレートエンドやコーナーで速度を殺しすぎる (高校の物理で「位置エネルギー」というものを学んだではないか!)、最終〜シケインでの立ち上がりもスロットルを開くタイミングが全然遅いから、グランドストレートの激しい上り坂を上れない…。ファイナルのセッティング (スプロケットの丁数選択:コースに合わせて丁数を変え、ギアレシオを最適化する) も結果的に間違いだったことに気がついた。今年のベストタイムは2分13秒。去年と比べても1秒しか速くなってない。
3時間が過ぎた頃、突然赤旗が振られる。中断の意味だ。「おー!F1のようだ。何かすげークラッシュでもあったのかな?」 とピットもざわめく。「ウチのマシンか?」 ドキドキしながらピットのモニターを見ていると、なんのことはない、計測システムの異常で、計測ができなくなったという放送が流れた。そんなことってあるんだ…。前代未聞 (←ボクらにとっては) の2ヒート制で再スタートが切られる。朝と同じルマン式のスタートなので、T君がまたダッシュすることになる。

3時すぎ、またT君はいいダッシュを決めて (←彼は元陸上部。さすが…) 飛び出していった。6時間の耐久レースの場合、3人で1時間ずつ走るので2巡することになる。一度走った後のほうがタイムも上がりそうなもんなのだけど、2回目というのは、どんだけ頑張っても1回目よりもいいタイムが出ない。ボクの場合もそうで、コースに出た後、数周の間 (つまり慣れる前) にしかいいタイムが出ない。どうしてなのかといつも悩むんだけど、結局ボクの場合は 「ノリ」 というか 「感覚」 で乗ってるだけで、一つ一つ原因を考えて対策を練り操作に反映する、という戦略的な、というか、冷静な頭脳プレーが不得意なんじゃないかと思う (昔からそうだ)。それじゃ上手くはなれない。気持ちだけ高ぶって、無理して頑張ろうとすると、絶対に痛い (本当に「痛い」) 目に会う。そして次のレースに出れなくなったりする。『引く』 ことも含めて、総合的に上手くならないとダメなのだ。レースというのは実に正直に結果が出る。でも、だからこそ面白い。
午後5時。日も傾き、影が長くなる頃、チェッカーフラッグが降られる。無事、ボクらのマシンも第3走者のYさんとともにゴール。タイムはイマイチだったけど、マシンはよく頑張ってくれました。バックストレッチの下り坂で10秒以上も全開 (13,500回転) にするセッティングになっちゃったのに、焼きつきもせずよく頑張ったよ。結果、135台中48位 (だったかな?)。「鳴かず飛ばず」 ではあるけど、まあまあというところだろうか。F1中継でお馴染みの近藤真彦がよく言うように(笑)、レースに「…たら」「…れば」はありません。結果を厳粛に受け止め、次回への糧とします。

耐久レースから学ぶことは多い。ヨーイドンで同じスタートを切るのに、6時間たつと70〜80キロも差がついているのだ。リザルトに載ってる週回数の差にコースの長さを掛け算すると、そんな途方もない距離が出てくる。同じコースを走っているから、あまり認識はないんだけど、先頭は80キロも先にいるんだよ!! なんてことだ! ちょっとの差が、「繰り返す」 ことで大きな差になっていく。特にスポーツの世界では、この 「ちょっとの差」 への努力が大事なのだと痛感する。
片付けも終わって、あとは帰るだけ。
パドック横にあるベンチに座ってコースを眺めてみる。1コーナーからヘアピンまでを見渡せるいいポイントだ。「あそこをこう変えれば、もうちょっとタイム上がったかな」 と少しだけ反省を込めた復習をしてみた。(←どうせすぐ忘れちゃうんだけど。)

レースが終わった後の、サーキットの静けさが好きだ。
誰も走ってないアスファルトのコースに、夏の夕暮れの風が吹き抜ける。森の木々がその風にざわざわとゆらめく。幼い頃の夏休み、クワガタやセミを追いかけて森に迷い込んだ時に聞いたのと同じ 「森の音」 だ。夕日がガードレールを赤く染めている。山のほうからはヒグラシの鳴き声が聞こえてきた…。
閑さや岩にしみ入る蝉の声
芭蕉は、ミンミンゼミやツクツクボウシの鳴き声ではなく、ヒグラシの鳴き声をこの句に詠んだんじゃないかと思う。もう、すっかり夏なんだなあ。
…なんて思ってたら、ヤバイ! 首と腰がガクガクで、ベンチから立ち上がれませんよ…。

土曜日は練習走行と車検。
朝6時に横浜を出発し、昼前に仙台に着く。受付、車検を終わらせて練習走行に。明日のセッティングを決めてサーキットを後にする。これで準備万端。あとは牛タンを食っていっぱい眠って明日に備えるだけだ。
【仙台でびっくりしたこと】
どこのコンビニに行っても、ATMがない。セブンイレブン、ローソン、ファミマ、サンクス…、全然、どこにもないのだ。なんでだ? IYバンクを持ってるセブンイレブンでさえ、ATMがない。日本のサービスって、国内どこに行っても同じだって思ってたけど、それは大きな間違いだった。東京の視点だけでモノゴトを考えてはいけないなぁと思ったできごとだった。おかげで、現金を引き出せず。しかし、どうしてなんだろう?
まあ、なんとか現金を引き出せるところを見つけて晩飯に。しっかり牛タンを食いました。。
仙台は「牛タン」が有名なわけだが、数ある仙台の牛タン屋さんは、BSE問題による輸入牛肉の高騰によって大打撃を受けているのだそうだ。メニューには普通の牛タンと「加熱牛タン」というのがあって、なんだそれ? と思ったら、加熱処理後に輸入されてくるものらしい。こちらのほうが2〜3割安い。でも味がいまひとつ。…って、ちょっと待てよ? 仙台は牛タンが名産って、この近くで飼ってる牛ってわけではないのだね?
牛タンパワーのせいか当日は朝から快晴でした。しかも、すげー暑い。

明日、あさっては菅生(仙台)でレース。6時間の耐久です。
行ってる場合でもないんだけど、行ってきます。クライアントのみなさま、申し訳ありませんが、楽しんできちゃいます(笑)。
晴れるといいなぁ。。
走ったり、泳いだり、しっかり準備しようって思ってたけど、結局、何もできませんでしたよ…。サーキット走るのも8ヶ月ぶりです。1時間も走れるのだろうか?
っていうか、1時間後に出発です。寝よ。

photo by T.Mashino
過日、伊豆へツーリングに行った。
バイクに乗るなんて、1年ぶりに近い。早朝2時ごろオイル交換をしてちょっとだけ仮眠をして用賀のマクドへ。いつものパターン。土曜の早出って辛いのよねぇ…。
朝、クルマからメットとグローブを取り出して、そのままバイクのエンジンをかける。Uさんから借りているXR250は、ボクがあまり乗っていないためバッテリーが上がりっぱなし。なので(常に)キックスタートだ。
で、用賀のマクドに着くと、もう皆さんお揃い。さすがオトナだよ、集合が早いね。と思ったら、なんだか顔も手もカビ臭い。もしや、と思ってヘルメットとグローブをチェックしてみると…、カビだらけでした。粉吹いてた。まるで剣道部時代の面と小手のようだった。
久々のバイクは、とても楽しい。ちょっとうるさいスーパートラップの音も心地よく石廊崎まで来る。梅雨の真っ只中の週末だというのに、全然雨には降られなかった。奇跡よね。伊豆半島を吹き抜ける風も心地よく、普段の生活から乖離した空気に暫し包み込まれる。
宿への道はマーガレットライン。西伊豆でも一番のワインディングコースだ。先導するNさんのBMWの影が見えなくならないように、XR250は全開! でも詰めるところを詰めていくと、辛うじて彼らの後姿は追いかけられる。楽しい。そして、よくぞ走ってくれるよ、XR! このエンジンのバイクとはもう長い付き合いだけど、本当に飽きない、長く楽しめるエンジンだなあと思う。今乗ってるこのバイクはボクのじゃないんだけどねぇ…。翌朝、心配そうにボクのバイクを覗き込んでたUさん(バイクのオーナー氏)の姿が忘れられないのだけど…。ちゃんと整備しておきます!! お許しくださいませ。
訳あって、今年のシルクロードツーリングは中止。暑くなるにつれ、街の熱気を感じるにつけ、トルファンの空気を懐かしく思い出すのだけど、今年はお預けだ。また来年、たくさんの参加者を募って挙行ししたいと思っておりますので、興味ある方はワタクシまでご一報くださいませ。よろしくお願いします。
さーて、残った有給と貯めてた金でどこ行こうかな!!

雨も降ってないし、今夜は密会が可能だろうな。<織姫星&彦星
昔よく短冊に書いた願い事。
1.パイロットになりたい(小学校1〜2年)
2.電車の運転手になりたい(小学校3〜4年)
3.エンジニアになりたい(小学校5〜6年)
どれにもなっていませんよ、ハイ…。
努力の足りない人生ですな。
ところで、
友達が今日、入籍するんだそうだ。突然のことでびっくり。
でも、こういう日を選ぶなんて粋だよね、彼らしいなあって思いました。
オメデトウ! 幸せになれよー。
今日は母親の60回目の誕生日。
赤いチャンチャンコの日だ。つまり還暦。
昨日、妹と打ち合わせて、赤色の、よそ行きの服をプレゼントした。
夕刻電話をしたら、近くのすし屋で食事をしていたみたいで、普段はあんまり仲がいいとは言えない妹と母親も和気あいあいとしている雰囲気が伝わってきた。妹はエステをプレゼントしたんだそうだ。なかなかやるな。。
母親の記憶が一番深いのは、幼稚園〜小学校高学年ぐらい。その後は思春期になり、親はウルサイ存在になる。あの頃の母親が今のオレと同じ歳ぐらい。そう、34とかだったはずだ。あれから今までの時間を経ると、オレも60歳になっちゃうんだ…。ひえ〜! あせる焦る。30歳を越してから、そういう 「時間の(というか人生の)短さ」 をなんとなく実感するようになった。そうだ、きっと一生なんてあっという間なんだよ。
とはいえ、今の60歳はヒジョーに若い。うちの母ちゃんも元気そのものだ。趣味に、旅行にと大忙し。女の人は歳をとってからの楽しみ方をよく知ってるような気がする。まぁ、ちょっと早く亡くなった婆ちゃんのぶんまで、元気でいてくださいな。長男らしく親孝行するからさ。。
とあるプロジェクトの飲み会で、六本木のカラオケに。
カラオケなんて、たぶん5年ぶりだ。今のカラオケってすごいんだねぇ。。
もう全然歌なんて知らないよーと思ってたけど、意外に歌えるもんだな…。
面子が面子だけに、まるで学生の時のようなノリになる。ワイン一気、テキーラ一気。。
ちょっと懐かしい雰囲気。
だけど、そんな勢いの飲みなので、泥酔者続出。吐きまくり(タクシーでも、オエッ)のプロジェクトリーダーは、やっとの思いでウチのオフィスまで連れて帰った。今、ボクの隣で臭い寝袋にくるまりながら寝息をたてている…。やれやれ。
今日の夜の熱気はシルクロードのトルファンに似ていた。
砂漠からやってくる熱気が街全体を多い、ホテルの窓を開けると、まん丸い月と、その月明かりに照らされたブドウ畑と、腐った肉の匂い、そしてロバの鳴き声しかしない…、そんな夜の光景を思い出した。
今年は行けるのだろうか? 参加者はまだまだ募集中ですよ。
バイクに乗れること、そしてシルクロードを走れるなら、50万払ってもいいと思える方なら大歓迎です。…って、なかなかいないんだよ、そんなヤツ。
梅雨に入って、雨ばかりなはずなのになんで「水無月」なのか不思議である。
が、水が無いという意味ではないらしい。
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水無月の「無」は、「の」にあたる連体助詞「な」で、「水の月」という意味になる。
陰暦六月は、田に水を引く月であることから、水無月と言われるようになった。
→語源由来辞典
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なにげない週末の日記。
★土曜日
宣伝会議系のセミナーでベースメントファクトリーの北村さんの話を聞く。やっぱ「気迫」が違うなあと思う。オーラが漂ってるよな。(関西人独特のオーラも)
事例を見ても溜息の連続です…はい。どうやって会社の運営をしてるのか、どうやってクリエイターのモチベーションを保っているのだか、もうちょっと聞いてみたいところだけど、ウチの会社とのあまりの乖離具合にガッカリするんだろうなあと思い、やめる。人の話を鵜呑みにするのもよくないしね…。
給料日後だということもあって帰り道、ビックカメラを物色。さっき聞いた話を思い出してソニーのHDVを眺めてみる。「安いよなぁ。。」
夜、9時から打ち合わせだったので、その間の時間を使ってマフラー補修。もう3回目だよ。ジャッキアップも慣れたもんだ。。クルマ屋さんに、いよいよマフラーを注文したんだけど、ちょっと納期まで時間がかかりそうな雲行き。「中継ぎ」(←文字通り)しとかないと、本当に乗れなくなってしまう。。1時間ほどで終了。GOOD JOBデハナイカ!
オレのクルマって、本当はこんなに静かだったんだ…
★日曜日
ウチの会社には監査役がいて、もう70のオジイチャンなんだけど、2ヶ月に一度、我々の話を聞きにはるばる千葉からやってくる。今日は…、今のWeb業界の状況とウチの仕事の状況についての説明をする。ちょっとは分かってもらえたかな…。別業界の人に自分たちのことを説明するスキルというのは大事だよなあと思う。いかに「噛み砕ける」か、いかに「イライラしないか」が重要なのだ。
まあ、多くのおじいちゃんがそうであるように、話はよく脱線し、昔の彼の仕事の話になる。…でもおれはけっこう、そういう昔話が好きだ。仕事の内容も、仕事の規模も、社会の背景もかなり違うはずで、「それはそういう時代だったからでしょう」みたいな話にもなりがちなんだけど、わりとそういう中に、経営の「真理」が隠されるんじゃないかと思うのだ。
前にも書いたかもしれないけど、そういう、「昭和のオッサン」たちの話をいっぱい集めたコンテンツを作りたいなあと常々思っている。
「やっぱりね、仕事っちゅーのはさ、結局は『人と人との関係』なんじゃて…。」
迫力のあるダミ声が日曜のオフィスに響く。
来週は、忘れられがちな…『父の日』ですね(忘れてた)。

幼稚園の頃(といってもボクは保育園だった)、お絵かきの時間にアジサイの折り紙をしたのを覚えてる。ピンクの花と紫の花と、いくつかずつを折って黒い画用紙に貼りつけてアジサイの花に見立てた。(でも、なんで黒い画用紙だったんだ?)
お絵かきといえば…、バナナのお絵かきも未だに記憶に残っている。友達がみんな黄色いクレヨン「だけ」でバナナの形を描いたなかで、ボクはヘタの部分をちょこっとだけ黒く塗った。少し悪くなってたバナナだったのだろう、黒くブチのようになってるところもあったので、やっぱり黒いクレヨンで、模様をまねて黒く塗ってみた。
それを見た園長先生が、みんなの前でひどく褒めてくれたことを今でもよく覚えてる。「ヒロシくんは、よく観察してるわねぇ。」 そのときの嬉しさが…今の仕事につながってたりするのかもしれないなあなんて思う。今、「嬉しい」ことはめったにないけどね。
いよいよ梅雨ですな。

仕事で横須賀に行った。
時間があったので海まで出てみると、6月の東京湾はまだちょっと水が冷たそうだった。
三浦半島というのはいつ来ても、不思議な「気」の漂うところだと思う。
海が静かなせいだろうか、クルマを降りるといつも、妙な静けさが漂っているのだ、このあたりは。
…そんな中を爆音のアルファロメオが走る。(音ばっかりで全然速くない。マフラーの穴はさらにデカくなったようだ。)
なんか今日は「負け」がちな一日だった。
今日は3人の「橋本」さんに会った。
いや、厳密には会ったとはいえないが…。
ボクの苗字も「橋本」さんである。
★1人目:打ち合わせにて
午後イチ、神田で打ち合わせ。汗を拭きながら名刺交換をすると、「○○のハシモトです」と相手も橋本と印刷された名刺を差し出してきた。(←これけっこうめずらしい)
ちなみに○○のハシモトさんは、坊主頭で、ちょっと強面。(でもたぶん、いい人)
★2人目:神田のステーキ屋
なかなかいい感触だったので、ニコニコしながら連れと別れる。ハラが減った…と思ってるとステーキ屋の看板が見えたので、そこに入る。「修正をお願いします」というメールを横目に薄いステーキを食い終わり、お金を払おうと思ったら、、レジに立ってた人の名札が「橋本」だった。へぇ。。なんか同じ苗字の人によく会う日だ。「ハシモト」って、一時期首相だった人の苗字でもあるが、多いようでいて、でもけっこう少ないと思う。
★3人目:大井町線
一度戻って、夕方また渋谷へ出る。デザイナーさんと打ち合わせ。うーん、彼とならいいかんじで仕事ができそう…。「頑張ります」とか言って駅前で別れて、田園都市線に乗る。20時代の急行は地獄だ。絶対に乗りきれない人数の人たちがホームで待っている。しかも入ってくる急行も、その時点で満員。…でも桜新町で5分近く待たされるよりはマシだから仕方なく急行に乗る。(景色が見えない地下鉄って、苦手なんだよオレ。閉所恐怖症だし。)ヘトヘトになって二子玉川で降りて大井町線に乗り換える。どうでもいいけど、よく階段を上り下りさせられる駅だよ、二子玉川は。
やっと電車が来て座ると、すぐに発車。
「毎度ご乗車ありがとうございます〜〜ごにょごにょ〜〜運転手はハシモト、車掌は〜〜」
うぉ! ここでもハシモトさんだ! 今日すでに3人目。
いいことが起こるのか? それとも何かの前兆か?
『おち』はないんだが、なかなかめずらしい一日だったので…
連休が明けたと思ったら、あっという間に6月だ。
ずっとさぼっていたので、軽く総括。
★その1:アルファ壊れる

ラジエータスイッチが直ったと思ったら、マフラーが折れた。爆音仕様になってしまい、まるでヤンキーのクルマだ。ホルツやらガンガム(by ソフト99)とかで直してみたものの、んなの、折れた鎖骨をセロテープで貼り付けるようなもんで、3日で元どおり。タイヤと併せて17万のお見積もりが…。うーん、ボーナス払いか? っつうか、ボーナス出んのか?
いろいろ情報をくれた、Tさん、後輩のTくん、ありがとうございました。もうすぐ復活します。
★その2:九州

写真右下:キャッチコピーに 「地獄のさたもお湯しだい」 と書いてある。なんのこっちゃ?(笑)
「たまには家族で旅行すんべ〜」ということで両親と九州旅行。ひさびさに国内線の飛行機に乗った。隣に座った母親の手をまじまじと見たら、ずいぶんと皺だらけになっていて、ちょっと切ない気持ちに…。早く親孝行しねえとな。
大分から入って熊本へ抜ける旅。新緑の九州はなかなかだった。バスガイド付のツアーってのも、たぶん高校の修学旅行以来だったんだけど、これがけっこう面白かった。ガイドのオバちゃんの博学さには脱帽である。
初日の宿は別府だったのだが、街のいたるところから蒸気の煙が立ちのぼっている…。まるで火事のような別府の街にまずびっくり! 「こりゃ、マグマのすぐ上に街があるみたいじゃねぇか…」。地獄めぐりで「湯の花」?購入(写真)。このへんの温泉は、本当に腰痛に効く。
阿蘇の火口に行ったら、風向きの関係で硫化何チャラガスが充満してきて「すぐ下山してくださーい!」。タイミング悪くクライアントからお電話(平日に休んだので)。
「あー、橋本です。ゲホゲホ…。」
「は、橋本さーん! あれ? 大丈夫ですか?」
「…」
しかしまあ、シニア向けの旅行というのは、実にしっかり儲かるようにできている。しかも満足させてまた参加させるという方法論をちゃーんと実践している。関心した。
★その3:万博
頑張った名古屋の人たちには悪いけど、はっきりいってくだらなかった。
ディズニーランドのほうが100倍マシである。
「万国博覧会」という概念自体、破綻してることに早く気づかないと、みんな無駄な出費に苦しむことになるのにねぇ。。
天気良すぎてまた日焼けをした。まるで南国のタクシー運転手のようなオレ。
★その4:大忙し
ほんとに忙しい(まだ続いている)
こんな状況がいつまで続くんだ? と自分の将来が不安になる。こんなんじゃいけない…。状況を変えねば。。
★その5:近頃考えたこと・かるーく目標設定
・決断するクセをつけよ。仕事は決断の積み重ねだ。
決断を先送りするクセをやめる。
↓ある本から抜粋
決断とは何かを捨てること(「決断」≠「決定」)。
「すべてにおいてよいこと」を目指す決定は決断ではない。
(うーん、耳が痛い…)
・組織の作り方を変える。
今のままじゃ全然ダメだ。
つうことで、今月も頑張ります。
6月初めの日曜日、天気予報が外れてわりといい天気だった今日の夕暮れは、草の匂いのする夕暮れ。田舎モンは、田植え時期の故郷を思い出します。平らな平野部の田んぼ一面に水が入り、湖のようになった景色はなかなかのもんです。筑波山が水面に映ったりしてキレイなんだよな。今も「おたまじゃくし」はいるのだろうか? いや、ちょっと「逃避モード」。にっちもさっちもいかない現状にウンザリ。。
梅雨になる前にツーリングとか行きたいなあ。道志(国:413)とか、今頃いちばんいい季節です。…でもバイクがない。
さて、今日は万博に行きます。
7時の新幹線。
いえいえ、お仕事ですよ…。
万博といえば、筑波万博に家からチャリこいで(2時間半かかった)行ったっけな。
「『鉄鋼館』ってのが立体映像でさぁ、……だったよねぇ?」
みたいな話をこの間、打ち合わせの合間にしてたら
「筑波万博ですか? え? いつあったんですか?」
「1985年。」
「わたし5歳でした…」
だってよ。
歳とったもんだ。
いやー、なんかすっかり怠けておりまして…。
で、ところで、
ウチの上司は外資系企業出身なのですが、展示会でやクルマの中でなど、ことあるごとに彼はハンズフリーというか、イヤホンとマイクが一緒になったやつを前々から使っていたのです。それを観察しながらボクは、「けーっ!すかしたかんじだわい。」 と常々思い、 『外資出身』 を気取っているものだとばっかり思い込んでいたのですが (外資の人はヘッドセット or ハンズフリーをつけて電話をしてるという偏見がボクにはある)、ちょっと前から運転中の携帯電話が違反になるようになりましたね? んでボクも彼の 「おさがり」 をいただいて使うことになったわけです。(彼の耳の穴の大きさは特殊らしく、なかなか合うものがないそうで、買っては試し、試してはまた別のを買う…を繰り返していて、彼の耳に合わない不良在庫がたくさんある)
で、これが、使ってみるとすげー便利なのです。
電話をするのに、両手がフリーになるって、なんて素敵なんだろう? ということに今さらながら気づいて、彼がハンズフリーにハマることも納得できる昨今です。
ところが、このハンズフリーキット、カー用品屋とか電気屋とかで購入するわけですが、どれも安くて、カッコ悪くて、チャチいのです。(ですね?)
で、今日発見したのがB&Oのハンズフリーセット。えらくカッコよくて、オトコ心をくすぐられるのだが、値段が普通の10倍。いや〜、それはちょっとねぇ。。
「国内で販売されているすべての携帯電話に対応したハンズフリーイヤーセット」なんだそうです。
http://www.apple.com/jp/usergroups/augm/morioka200410/index2.html
シロウト考えかもしれないけど、
アルミの車体ってどうなんだ? 異常な曲がり方してないか?
たとえ 「103系の半分の電力で運転してます」 ってアピールされても、(京浜東北線の各車両の製造会社プレートの近くに貼ってある:確か103系と比較してたと思う)
安全と引き換えのエコロジーじゃ、いやだな。
(ちなみに207系はステンレス製だそうです。)

ガーッとまとめてやる洗濯というのは、キモチがいい。
日曜深夜、張り切って洗濯をした。
たまりにたまっていたので、3回も洗濯機を回す。何よりめんどくさいのが 「干す」 工程だ。
パンパンと伸ばしてもシワが伸びない素材の服を、ボクは多く持っているようで、
「干す」 工程でのキモチよさながい。そしてそういう場合、人はその作業を 「めんどくさい」 と思い始めるのだ。だからボクのシャツはいつもシワだらけである。
明けて月曜日、オフィスに着いて何かが足りない…と思うと、ケータイがない。
「上着か?」 「クルマか?」 「カバンの外側のポケットか?」
…どこにもない。しかも、最後にどこで見たのかも思い出せない。。
いやな予感。
とりあえず、自分のケータイに電話をかけてみる。
「留守番電話に接続します…」
電源が入ってないわけがない。
いやな予感(その2)。
深夜帰宅して、家中を探してみる。
「もしや、洗濯しちゃったのでは…」
でも、洗濯機の中にもない。落としたんだろうか??
と、今朝気合を入れて洗った(シミだらけだったので、手洗いまでした)チノパンのポケットに手を入れてみる。
ガーン!
キレイに洗濯されたPreminiIIがポケットの中に入ってるではないか!
おれって意外とキレイ好きなのかも…。
もちろん、電源は入りません。
振ると水滴が出てきます。
現在、布団乾燥機で乾燥中。
ということで、現在ケータイ繋がりません。あしからず。
復活しなかったらどうしよ…。高い携帯買いたくないよ、買ったばっかりだし。
昔話が多いのですが…、
学生時代はバイク乗りで、移動はほとんどがバイクであった。一番乗った年で年間2万5千キロ、新車が一気にボロクソになった (←そんなにどこを走ってたのだろう?)。で、下手くそなバイク乗りであったボクは、よく転び、道路の上をゴロゴロ転がり回った。だから常に生傷が絶えなかったものだ。
その1:
ツーリング中に居眠りしてコケる
↑居眠りぐせはバイク時代からだ…。
その2:
同じくツーリング中、道を探しに行って 「よそ見」 をしていて田んぼにダイブ
↑田植え前の田んぼにバイクは突き刺さったまま倒れなかった。もちろんボクは泥人形。
その3:
とんだ 『欠陥バイク』 を買ってしまい、そいつのせいでコケる
↑こんときは鎖骨も折った、だから楽器メーカーのバイクなんて、もう一生信じないし絶対買わない
(何より、欠陥を公表しない 『音叉』 メーカーの態度が気に食わない:オレはしつこいぞ)
その4:
那須のサーキットでの初レース、張り切りすぎてフロントタイヤを当てられて 「ふっとんで」 コケる…。
↑なかなかいいタイムが出てたんだが…
まあ、ありとあらゆるコケ方をした。舗装路でコケるときって、バイクが倒れて自分より先を滑っていくと、火花とかが散ってキレイなんだよね、妙に 「スローモーション」 で見えるし…。
いやいや、その節はいろんな方にご迷惑をかけましたな。(今さらながらゴメンナサイ)
とにかく、いつも傷だらけで、ジーンズの膝にはいつも穴があいていた。
バイクでコケると、擦り傷の面積というのはけっこう広くなる。治るまでの過程はけっこう長く、カサブタができて、治りかけてくると痒くなる。痒いとついつい掻いてしまうのが人の常。カリカリと爪の先で 「こそいで」 たりするとベリっと剥がれてしまい、また血が出てカサブタができ…の繰り返し。いじらないほうが治りが早いのは分かっているのだが、なかなかそうもいかない。ついつい、いじってしまうのだ。
そうやって時間をかけて治った傷も、今はかなりキレイになった。キレイになったとはいえ、まだまだ 「傷」 ではある。膝にも、肘にも、顔にも、そして鎖骨と大腿部にも (←これは手術跡) 傷が残っている。それを見るたび、「おれってバカだなあ」 と反省しながら懐かしく思ったりもするのだ。
× × × × × ×
「ハシオさんてさあ、『カサブタ』 みたいな人だよね…。」
これは、知り合いのイラストレーターのハシオ評。
うーん、なんかうまく言い当てられてる気もするんだけど、どういうことだ?
「本性を見せないんだよ、なかなか。だからあらゆる手段を用いてカリカリ、カリカリって 『こそぎ落とそう』 と頑張ってみるんだけど、ベリって剥がれて、またカサブタになっちゃう。」
そうか、なるほど…。
確かにそうかもしれない。でも、どうして? 本性を見たいの?
「楽になると思うよ、さらけ出しちゃえば。」
うーん、オレの長年の (果たせない) 課題を、いとも簡単に言い当てやがる。妹よりも歳下なのに立派なやつだ。そして貴重な存在ともいえる。
「いつかはカサブタもキレイになるんだよ」
そんな彼女がこの春、イタリアに旅立った。
クラフトの勉強をするために留学するのだという。イラストだけでも 「普通ではない」 才能があると思うのだが、もっと自分を磨きたいのだと彼女は言って旅立った。そんな、「鉄砲玉」 的なところが彼女のいいところ。ボクには持ち合わせてない才能だ。仕事で顔を合わせる時には言えなかったけど、そういうところをいつも羨ましく思っていた。
今の生活を置いて遠いところに行くには勇気が必要だったはずだけど、でもそれは必ず自分にいい結果をもたらすはず。そして彼女の言う夢を実現できるだろうと思う。
きっと今頃は語学学校が始まってるはずだ。
「今年の春を感じられないのが残念」
と言っていた彼女に、今年の桜の写真を送ってあげようと思う。
頑張れよ。

いやー、しかし、よく眠った週末だった。
確か去年も4/2は週末で、もう桜が咲いていたような気がする。
日曜日の午後 (というか夕方) 、やっとの思いで起き出してコーヒーを飲んでいると、今日やるべきことがあったことを思い出した。
「クルマを直しに行かねば」
そうそう、ラジエータのファンが回ってないような気がしてたのだ。先週の「プシュー」事件以来、先週2回もオーバーヒートが起きてるのは、暖かくなったとはいえ、普通じゃない。
ボクは 「ディーラー」 という所が苦手だ。ディーラーで新車を買ったこともないし、キレイなクルマに乗ってるわけでもない。営業マンから見て 「こいつは金づるだ」 と思わせる要素がボクには何も備わってないことが自分でも分かってるので、なおさらなのだ…。増しては外車のディーラーなんて…。
オフィスの近くにアルファの正規ディーラーがある。ちょっと前まで 「トヨペット」 だったはずなのに、いつのまにかアルファのディーラーに変わっていて、だいぶ繁盛している。(港北ニュータウンの 『外車率』 は異常だ)
オイルフィルタも必要だし、ファンも見てもらわなきゃならないし、今日は行ってみようと決心する。(別に決心なんて必要ないのだが。)
ガレージは156とか166とか、赤いアルファばかりで 「真っ赤」 です。
いやなかんじ…。駐車場に145を停めると、黒いスーツの営業マンが近寄ってきましたよ…。
来た来た。。
バーニーズか、じゃなければアローズとかで買いました!と訴えかけるような黒いスーツに身をつつんだ営業マンに 「ちょっと見てもらいたいんですが」 と声をかける。平静を装って。
さすが、高いクルマを売ってる人たちですね、着てるものが違いますよ…。
「修理…。今からですか?」
ハイハイ、予約が必要なんですね、当然。
「週末ですと、2週間先までいっぱいです」
「そうですか…」
どうしようかと考えながら彼の視線を追うと、ボクの145の泥汚れとか、バンパーがビミョーにズレてるのとかをさりげなくチェックしている。
↑これがイヤな気分になるのだ…。
で、結局火曜日からドック入りすることに。
「そうですね、ラジエータのファンだとすると、電装系の問題かもしれないので、ちょっとお預かりすることになるかもしれません」
いったいいくらかかるんだろう??

ボクの住んでるマンション (「マンション」 というのはおこがましいが) の1階は焼肉屋さん。ボクが入居したころは大家が経営してる寿司屋だったのだが、親父さんの体調が悪かったのだろう、別の人が入って焼肉屋をはじめた。
夕刻の 「かきいれ時」 になるとボクの部屋にまで煙のニオイが入ってきて、ちょっと迷惑なのだが、まあなかなか繁盛はしている。何回か食いに行ったけど、実際ウマい。韓国人の人がやってるから当然といえば当然なんだけど…。
で、時々びっくりするのが 『キムチ』 。エレベータの前が勝手口なのだが、そこでキムチを漬けているのだ。これにはちょっとびっくりする。「たらい」 を重ねて中に白菜や唐辛子やその他いろんなもんを混ぜて漬けるのだけど、オレの 「通り道」 に置いたままにしておくのはやめて欲しかったりする。
でもまあ、それも彼らの流儀なんだろう。「しょうがねえな」 と思ってしまうし、「うまく漬かってるかな?」 なんて覗き込んでしまったりする。早朝に家に帰ってエレベータに乗るとき、ほったらかしの 「たらい」&「キムチ」 に出会うと、ぽつねんとしたその姿がおかしくって、なんだか笑ってしまったりするのだ。
環八沿いのこの店、ほんとにウマいですよっ!。…と一応宣伝しときます。

その1:土曜日
帰り道、ちょっと遠回りして帰る。
途中、どうしても眠くなったので、コンビニにクルマを止めて仮眠。
ボクは眠くなると非常にキケンだということを自分でも知っているので (居眠りが原因で対向車を廃車にしたことがある←これもあんまり公にしてないが) 、眠くなったらすぐに仮眠するクセをつけている。
ガイシャというのは日本車のようにレバーひとつでリクライニングしない。ノブをグルグル回すのがめんどくさいので、センターコンソールをまたぐように仮眠。(背中にサイドブレーキレバーが当たる) けっこう、「ありえない」 格好。それでも快眠できるのだから、オレの 「睡魔」 って強烈だと思う。
1時間後、『プシュー!!』 という音とともに目が覚めた。ボンネットから白煙があがっているではないか!!
『ゴボゴボゴボ…』
あちゃ…。水温計が120度振り切ってますよ。
[教訓・その1] 日本車のようにエンジンをかけたまま眠ってはいけない。
あわててエンジンを切ったものの、「おもらし」 をするようにクーランドがけっこう流れ出た。。
その2:日曜日
「あとは家でやるべえ、洗濯しないといけないし…」 と思ってオフィスを出る。
暖気もしっかりしたから快調。第三京浜でフェラーリをぶち抜き、いい気分で料金所に止ると…、「わ! ボンネットから白煙が!!」 料金所のおじさんもボンネットを指差しながら 「だ、大丈夫ですか?」 と言っている。
「だ、だ、だ、大丈夫です、たぶん」
水温計を見ると、また120度をふりきっている…。
そうか、昨日水がかなり抜けてしまったことを忘れてた。こんな回しちゃいけなかったんだ……後の祭り。
いくら高いギアで走って冷やそうとしても、全然温度が下がらない。しまいには回転も2000回転から落ちなくなってきて、さすがにヤバいと思ってクルマを止めてエンジンを切る。
『ゴボゴボゴボ…ゴボッ』
沸騰してます。。ボンネットからは、あいかわらず水蒸気が…。
あわててコンビニに走り、業務用タオルとボルビック2本を買って戻る。
恐る恐る、タオルをかぶせてキャップをゆるめると、蒸気機関車のような蒸気が、しばらく出続けます。やっと収まり、フタを外して覗き込んでみると…カラッポ。
元気よく2リッターのボルビックを飲むロメ子なのでした。
[教訓・その2] 水、オイル、ファンベルト、運行前点検はしっかりと
そういえば、アルファを買ってすぐ、知り合いの人に連れていかれた山手通りぞいのイエローハット。そこで無理やり買わされた 「アルファ本」 (ネコパブリッシングのやつ) にこんなことが書いてあったことを思い出した。
「アルファ乗りの心得・その1→ボンネットを頻繁に開けてチェックするクセをつけるべし」
エンスーへの道は遠いのだ…かなーりね。
土曜日、会社で仕事をしていると、派手なアスコットタイをした上司と、「よそ行き」の格好(+白タイツ)をした彼の娘が入ってきた。
「Mちゃん、おめかししてるねー。」
「卒園式だったの…。」
そうか…、いつのまにかそういう時期。
この時期になると、大学に入る直前にやっていた引越しのバイトを思い出す。
一浪の末やっと2つの大学に合格し、東京の大学に行くことに決めてから入学式 (確か 4/11だった) までの一ヶ月間、引越しのバイトをした。引越しというか、「引越しの場合もある」 バイトで、つまりは人材派遣の会社に行っていたのだ。だから、ペリカンマークの作業着を着て引越しの荷物運び要員のときもあれば、トラックの荷降ろし手伝いの日もあり、工場での梱包作業の日もある。その中でも、いろんな 「現場」 に行ける引越しの仕事が好きだった。後にも先にも、10トンとかのトラックの助手席に座ったのはあの時だけだ。
ガテン系のおっちゃんたちはみんな元気で力持ちで、人がよくて、今から考えると楽しい仕事だったなあと思う。60近いおじいちゃんが冷蔵庫を一人で担いだりするんだよね…。
引越しバイトでうれしいこと、それは 「心付け」 をもらえる場合があること。お年玉袋みたいのに入れてもらうんだけど、気前のいい人は一人5,000円ぐらいくれたような気がする。これはバイト代とは別なので、そのままいただいてかまわない。だからすごく嬉しい。
きっと、引越し代金を払ってるのだから、そういうものはいりませんよ、と引越し会社からは念を押されてるんだと思うのだけど、それでもくれる人はくれる。まあ、お金じゃなくても、缶コーヒーを休憩のときにくれたり、帰りにみかんを持たせてくれたりとかでも、作業者の 「ガッツ」 は飛躍的に変わるもんだよね。
逆に引越しバイトで辛いこと。それは、ピアノの運搬、コピー機の運搬、エレベータのないマンション (←これは今はさすがにないだろうが) の引越し。あと、本ばっかり入ってるダンボール。
エレベータのないマンションの引越しは辛い、5階だったりすると最悪だ。まだまだ元気な盛りだったけど、さすがに一日重いものを持って階段の昇り降りをするのは辛かった。だから、前日に人の振り分けが決まって、「ハシモトくんは明日は○○の引越しね」 って言われると 「ベーター付ですか?」 って聞くのが習慣だった。
あと、大きい家の引越しになると、ダンボールが100個ぐらいになってたりするんだけど、そういう場合はバケツリレーのようにダンボールをリレーして運ぶ。外見は同じダンボールだから重さが分からないところがミソだ。衣類が入ってるやつは非常に軽いが、本がめいっぱい詰まってるやつは持った瞬間、腰が抜けるんじゃないか? という状態になる。『外見からは重さがわからないのがミソ』 だ。
一日働いても8,400円。全然おいしくはなかったけど、でも 「もう受験勉強しなくていいんだ」(←あんまりやらなかったけど) という嬉しさと、これから始まるであろう東京での新しい生活への期待と (念願の一人暮らしだったし)、春の空気とが入り混じって不思議な記憶が作りあげられたなあと思う。でももう、だいぶ昔の話だ。
あのときの引越しバイトで、いろんな家を見た。「いつかはオレもこんな広い家に住む時が来るんかなあ」、なんて思ってたけど、それはなかなか実現しそうにない。

といっても、給湯室でのエロい話ではありません。
朝オフィスで目覚めたら、沈丁花が飾ってあった!
「おお! 花が飾ってあるなんて、普通のカイシャみたいではないか。」
白いのもあるんだねぇ。ウチの実家のはピンクと白が混ざったやつでした。
オフィスの男衆の放つ(ほとんどはワタシが…)異臭にもめげず、いい香りをふりまく姿は健気です。春の植物は生命力に溢れてるますね。第三京浜から見える多摩川土手の桜も、ところどころ咲いてたりします。
もうちょっとで4月だ! サヨナラ「年度末」! おー!
たった今、福岡の地震を知ったボクは
まさに震源の近くに住んでいる学生時代の友達に電話をして無事を確認。
地震のときに高速を走っていたそうです。橋げたが波打っていてすげー怖かったらしい…。
他人事ではないな。。

浜松町
1時間遅刻して浜松町へ。
浜松町の駅は、いつから山手線と京浜東北線が同じホームになったんだ?(←品川のように山手線上り下りが同じホームなのではなくて、田町のように山手線京浜東北線が同じホームで乗り移れる) 確かこの間、歯医者に来たときは違ってたような気がするんだが…。でも便利でよろしい。
新幹線
急いで帰るのでまた新幹線。
今週すでに2回目。バカみたい。
やばいやばい…、品川から 「ひかり」 号に乗ると、次は 「静岡」 です。危うく 「うまい魚」 を食いに行くところでした。
『(放送) 今日も新幹線をご利用いただき、ありがとうございます。』
「はい、一区間だけど、よく利用させていただいてます…」
っていうか、そんなことより、スイカで入場しても自動券売機で特急券が買えるようにしてくれ! 不便で仕方がないではないか。
太平洋ベルト地帯 (←懐かしいなあ) を繋ぐ日本の大動脈は、今朝もとっても混雑してました。
さすがに品川→新横浜だと弁当は食えません。今日も昼飯食えず…。
沈丁花 (じんちょうげ)
深夜、駐車場から家までの歩き道、どこからともなく甘い香りが…。たぶん沈丁花 (←こんな字を書くんだね、花言葉は 「栄光」)。実家の庭先にもあったな。父ちゃん母ちゃん元気かしら?
ピリピリした気持ちや、冷たい空気を 「やわらかく」 してくれる、春先のこの香りが大好きだ。
早く4月が来ないかな〜。
見積もりを作成するのは頭が痛い。
基本料金表なんてあるわけないではないか!
っていうか、おれらの仕事は料金表を作れるほど単純な仕事ではない。
だから
時間単価に下記の2つの係数を掛け算し、さらに感情をプラスして算出する。
[係数その1]
ボンクラ担当者の相手をするコスト=ボンクラ度合いをこれまでの経験から係数化する
[係数その2]
安い素材写真を探すコスト=「担当者が『フリーの写真とかでさ…』と発言した回数」×そのくせダメ出しをした回数
いや、ちょっと疲れてるだけです…。

雪の朝、目が覚めたら風邪をひいていた…。
悪寒、くしゃみ、頭痛がヒドイ。
なんとかしてくれ〜。
雪けっこう小降りになってますが、ほったらかしにしてあるアルファロメ子のワイパーが曲がらないか心配です。
しかし、やっぱり子供は風の子ですね。

…はい、そんな気がします。
忙しい (←ホントに忙しい) 合間をぬって、三田にある旅行代理店へ。
去年もお世話になった髭面のUさんが満面の笑みで迎えてくれる。今年はどうしようか? という相談だ。
「なんか、去年食べ物に当たった人もいたみたい (←かくいう自分もそう) だし、中国製のバイクはどうにもならんシロモノだったし、ヒツジの肉食いすぎて羊男になっちゃうかと思ったし…、去年行ったメンバーは萎えちゃってるかもしれないんですけどね…」
でもボクとKさんは行く気満々なのだ。
「今年も行きましょう!!」
ヒゲ男Uさんは、まん丸な目をさらに大きくしながら笑顔でそう言った。
そうだよな、やっぱ 「呼ばれて」 るよな…。
現実的には、ウルムチ 〜 クチャ 〜 アスク 〜 カシュガル。パキスタンとの国境の手前まで。クンジュラブ峠を越える 「その先」 は次回だ。聞いてみると、やっぱり日本からバイクを持ち込むことはかなりの覚悟がいるらしい。東側 (上海あたり) から入れて315号線 (昔のシルクロードをたどる国道) を陸送するか、パキスタン経由で国境を越えて陸送するか…。やはりけっこうなお金とコネとリスクが伴うらしい。
といえども、あの (去年の) バイクでは物足りない。せめてXR250ぐらいのバイクは手配できないのだろうか? というところまで話して、こちら側の 「行く気」 を確認することと、旅行会社のほうでも大きいバイクの手配が可能かどうかの確認をしてもらう、ということで今回のミーティングは終了。あるのかなぁ…日本車? 中国では、日本車、そして150cc以上のバイクというのは本当に希少なのだそうです。
あー、でもやっぱ 「呼ばれて」 るよな…。
サラリーマンの給料でこの旅行に行くのはかなり厳しい。一回の旅行で 「引越し」 ができる。(←また引越し計画が遠のくのだ) でも仕方がない、シルクロードはボクの 「ライフワーク」 になってしまったのだ。
なんでも、「カシュガル」 という街は、『美人の多い街』 でもあるんだそうですよ…。うひ。
よし! やっぱ今年もいくぞ。
行きたかった…東京駅。
オレの青春も終わるのか…。結局一度も乗れなかったな、ブルートレイン。
か、「解体処分」なんて、そんな残酷な…
最近の機関車はEF66だが、昔EF65だったころのほうがオレは好きだ…。
なんのこっちゃ?

多くの幼い男の子がそうであるように、ボクが初めて意識した 「職業」 というのはパイロットだった。家にあった小学館の図鑑、飛行機のページは 「開きすぎて」 くたびれてしまっていた。富士山を背にしたJALのジャンボや全日空のロッキードL-1011 (汚職の 「トライスター」 機) とかDC-10とかB-727とかが載っていたと思う。それらを何度も何度も模写するように画用紙に描いていた子供だった。ジャンボは2階席のクジラの頭みたいなところの曲線が難しいのだ…。
あっけなく滑走路を離陸したセスナは、オアフ島の山のほうへと向かっていく。
「高度計で1,500フィートを確認しながら、パンチボウル (地名:小高い丘) まで向かってくださいね。その上空まで来たら、H-1 (フリーウェイ) をトレースするように旋回しますよ…。」
普段、東京で一緒に仕事をしている I さんとそっくりな喋り方をするインストラクター氏は、簡単そうに指示をする。管制塔との会話で話す英語も I さんにそっくりだ…。
だが、別に雲があるわけでもないのに、まっすぐ進むのが難しい。下から突き上げられたり、左右に振られたり、自分の意思でない力がどんどん飛行機にかかってくるのだ。
「あ、あの…、まっすぐ進まないですね…」
操縦桿は汗でべっとりである。
ヘッドセットを通して聞こえてくるインストラクター氏の声は漂々としていた。
「キャプテンが下手くそなせいですよ〜 (関西弁イントネーション)。頑張ってくださいね〜。」
後ろに同乗している上司は、ずーっと 「わー!」 とか 「ぎゃー!」 とか絶叫している。
今まで…、乗った飛行機のパイロットはうまいとか、下手くそだとか、ボクはいろんなことを言ってきたけど、もう絶対そんなこと言うのはやめようと誓った。まっすぐ、問題なく、あんなデカい飛行機を飛ばせること自体が 『奇跡』 なのだ、たぶん。
山の上空というのは目には見えないけど、気流の乱れがあるので、まっすぐ進むのが難しのだとインストラクター氏が説明してくれた。パンチボウルを超え、ワイキキのホテル街を右に見ながらダイアモンドヘッドのあたりまで来るとだいぶ安定してきた、海の上は気流が安定しているのだ。
「ダッシュボードの上10センチぐらいのところに地平線が来るように操作してくださいね…」
以前来たことのあるハナウマ・ベイのところまで来て引き返す。ちょっとずつ冷静さも戻ってきた。
「ジェットコースター好きですか?」
インストラクター氏が言う。
「いや、ボクは苦手です」
「ボク大好きなんです…」 後部座席で上司が余計なことを言った。
「好きですか?? ホントですか? んじゃ、やりましょか?」
と関西弁で言ったインストラクター氏は操縦桿を握る。何かを企んでいる…。
次の瞬間、大きく上昇したかと思うといきなり急降下を始めた。視界全部が地面である。
「ぎやーーー!!」×2。
ジェットコースターどころの怖さではない。さすが、サービス精神旺盛な関西人パイロット…。
「じゃ、戻りましょね。」
H-1上空を引き返す。あっという間に空港が見えてきた。
1941年の12月7日、日本の海軍のパイロットが見たのと同じように真珠湾を眺めながら左旋回をして着陸態勢に入った。でっかいサイドブレーキのようなレバーを引いてフラップを出す。さすがに着陸はインストラクターがやるんだけど、普段地上から眺めているような優雅さはなく、かな〜り 『地面に向かって』 降りていくんだね…。
ガガっと、車輪が地面について、アイドル状態にしていたスロットルを少し吹かし気味に戻すと着陸完了。
しかし、半分操縦はしていたものの、空を飛んでることの実感はあんまりなかった。操作をすることで必死だったからだろう。でも、機体の鉄板の外側はもう空だ、という実感もあり…、実に不思議な感覚だった。怖かったといえば怖かったし、でもやっぱり、楽しかったぞ…。そもそもボクは高所恐怖症である。東京タワーや六本木ヒルズの展望台はガラスから50センチ以内のところに近づけない。なのに、それについての恐怖もなかったなあ。やばい、はまったかも…。
そんなことを思ってるうちに、わずか30分のフライトは終了した。ブル、ルン、、とプロペラが止まり、「おつかれさまでしたー。」 とドアを開けられて外に出る。後部座席から憔悴した顔で出てきた上司に感想を聞いてみた。
「…生きた心地がしなかった。もう乗らない。」
この30分のフライトは、ライセンスを取得するときのフライト時間にも加算できるんだそうだ。もらったログブックを見ると、02/02/2005 0.5hとタイプされている。やばい、34歳の誕生日に、いい目標をみつけてしまった…。ライセンスとりたいぞ!
自家用のライセンスの場合、最低40時間の訓練が必要なんだそうだ。でも、40時間で乗れるようになる人はまずいない、と関西人パイロットの山田さんは言っていた。
「そうですねー、だいたい100時間ぐらいかな。あとは、管制塔とのコミュニケーションでの 『英語』 が問題ですよね。」
うーん、ここでも英語か…。まあいい、やってやろうじゃないか!
と、決意を新たにして空港を後にした。

34歳になってしまった。
はて? 34年とはどのくらいの時間なんだろう? と思って計算してみた。
60秒×60分×24時間×365日×34年=1,072,224,000秒
である。うーん、よく分からないな。でも34×2は68歳だ! ぎょえー!
誕生日を海外で迎えるのは当然初めて。時差があるからちょっと変なかんじなんだが…。
去年も書いたかもしれないけど、ボクは11時55分に生まれたらしい。婆ちゃんが誕生日のたびにそう言ってたから間違いないはずだ。2月2日になるたびに婆ちゃんが電話をかけてきてくれたのを思い出す。今年もいろんな人からお祝いのメールをいただいた。誕生日を覚えていてくれる人がいるっていうのは嬉しいもんですね。
で、今日は誕生日だってことで、半日だけフリーな時間をもらった。
何をしよう? と考えたんだけど、以前から気になっていて、でも行けてなかったものに行くことにした。
そう、オアフ島の数あるオプショナルツアーの中で、唯一気になってたのがこれだ。
もうホノルルには7〜8回来ているんだけど、1ヶ月滞在した時以外は、海も見ないで帰るようなタイトな出張ばかりだったので、観光チックなことをするのは、ほとんど初めてに近い。
早起きをし、ドキドキしながら空港の外れにあるオフィスに行くと、すぐに飛行機の説明が始まった。主に操縦装置と計器の説明。約20分。ボクが今回乗ったのはパイパーというメーカーの 「アーチャーII」 という単発機。よく見るセスナ機ですね。
で、その説明が終わると、いきなり飛行機に連れて行かれる。
「じゃ、行きましょう」 という合図でヘッドセットをつけると、もうエンジンがかかりプロペラが回り始める。
「滑走路入りますからラダーで操作してくださいね」
滑走路って、ホノルル国際空港の滑走路ですよ。そう、国内線とかと一緒の滑走路です!!
ラダーというのは足踏みペダルなんだけど、これで垂直尾翼の舵を調節する。地上では操縦桿が効かないから、ラダーだけで進むのだ。
これが難しい。
普段、クルマやバイクで慣れてしまっているからだろう、足だけで方向を決めるなんてことができない。滑走路上に引かれている黄色い線 (タクシーウェイと言ったかな?) の上を進まなきゃいけないんだけど、酔っ払いの千鳥足のような状態だった。…で、滑走路の端に到着。
インストラクターは管制塔を会話をしている…。
「じゃ、いきましょう、キャプテン!」
「キャ、キャプテンっておれのこと?」
ボクは機長席に座らされているのだ。
次の瞬間、インストラクター氏はスロットルを全開にする。「ブーン」 という唸りとともにけっこうな加速度で飛行機が前に進み始める。
「じゃ、操縦桿引いてくださいね」
「え? おれが? まぢですか?」
「当然です。」
20分の説明だけで、そんなことさせちゃっていいのか? と思いつつ、操縦桿を手前に引く。
あっけなく機首が上がってボクらを乗せたセスナは離陸をはじめた。
(続く)

今日も曇り
1つのプレゼンと、2つの打ち合わせを終えて、今回の出張のお仕事完了。宿題も山積みです…しょぼーん。
なんか今回は準備しなきゃならないもんも完璧には仕上がらず、不本意なものを提出してしまったなあと思う。そういった意味では、上司のプレゼン力に頼った部分が大きく、ボクは役立たずだった。
しかし、この人ともう何年も一緒に仕事してきてるんだけど、彼の 「伝える力」 というのはすごいなあと改めて思う。ボクの周りにはそういう人たちが非常に多い。早く盗まねば…。
写真はボクらが間借りしているオフィス (左)。そもそも倉庫業を営んでいる会社に間借りしているので、外観は「倉庫」そのものなのだ。その倉庫があるのは、港と空港に近い地域で、工場なんかも多い (右)。隣はチョコレート工場。

今日のワイキキ:くもり
どうも天気が悪いのはこの時期は仕方ないらしい。一日中曇りがちで、海に入るのは寒いんじゃないかと思う。今回、空港以外で初めて海を見た。ワイキキです。ちょっと波が荒いですねぇ。
今の時期、ノースショアに行くとタイヘンな波が来てるんだろうなあ。『ビルが迫ってくるような』 波なんだそうです…。
プレゼン1個終了。

SOHO (ソーホー) [small office home office]
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小規模な事業者や個人事業者のこと。また,事務所などを離れネットワークを利用して
仕事をする形態もいう。
三省堂提供「デイリー 新語辞典」より
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ホテルは、びっくりするぐらい狭い部屋だった。テーブルもないんだよ…。
ケチケチ出張はこれだからいけない。ガーンと儲けなくては…。

くもり 時々 晴れ:気温25℃ぐらい
前回ひどいめにあったくせに、凝りずに今回もNWAの飛行機で来た。(だってメチャメチャ混んでいた…)
なんだが、今日のDC-10のパイロットは実にうまかった! 今まで乗った飛行機の中で一番だったかもしれない。飛行機の操縦はよく分からんが、なんというか、リムジンの運転のようなんだよね…。スロットルワークが絶妙というか、ショックが少ないというか。着陸もいつ地面に着いたのかが分からなかったぐらい。
自分以外の人間を乗せるときの運転というのは、こうでないといけないな。NWAも捨てたもんでもないよ、と、ほんの少しだけ見直した。
ハワイって元々あんまり興味がある場所でもなかったんだけど、飛行機が着陸態勢に入って、ベルトサインが出る頃になると、窓の外に青い海と鮮やかな緑 (多くは芝生) が目に入ってくる。それを見ると、ムンとしたトロピカルな空気を連想し 「ハワイに来たんだな」 っていう気にってくる。NWAの (オバ) スチュワーデスの機内放送も最後が 「Thank you」 ではなくて 「Mahalo」 になるんだよな。マハロ (ありがとうの意)、響きが優しいね。
で、こっちは日曜日の朝。一日得した気分。(帰りに損するんだが…)
しかし…、着いて早々パソコンに向かってるボクたちって、いったい…。
●座の直営店、あれじゃダメだな。
態度は悪いし、商品知識ないし。値札見ながらお値段言ってちゃだめでしょう…。
せっかく日本法人作って、一等地にお店出してるのに、売上げなんて上がってないでしょうな。
実店舗でモノを買うということがどういう 『体験』 であるべきかが分かってないよ。っていうか、そういう雰囲気が店にも店員自体にもない。あれじゃだめだ。
よっぽどアメ横のおじさんのほうが商品知識が豊かだったし、売るのがうまかったね。ということで、アメ横のおじさんの店で9,000円安く買いました。この店には店員としてもう一人、小柄なおばあちゃんがいるんだけど (おじさんの母親だろう) 、彼女の商品知識もなかなかのもんよ…。だからアメ横は楽しい。

今月いっぱいは会社の駐車場に余裕があるので、クルマで通勤している。クルマがあると、そりゃ便利なので打ち合わせもクルマでばっかり行くことになる。買って一ヶ月で約2,000キロ、乗りすぎだ! タイヤも減っちゃうよ…そして体重は2キロ増えた…。
若い頃はバイク乗りだったし、「スピード狂」 でもあったので、よく捕まったし、よく事故ったりもした。30も過ぎてだいぶ落ちついてきたよな、なんて思っていたのに、このクルマはその 「落ち着き」 をずいぶんとかき乱してくれているようだ。このクルマも自分も、やっぱり 「悦楽主義者」 なんだよなと思う。
そんな 「悦楽主義者」 はシグナル・スタートの時が要注意だ。
赤信号から青信号に変わるとき、隣に並んだクルマにガーンと 「踏まれて」 しまうと、ついつい応戦したくなる。「スピード狂」 の血が騒ぎ出すんだよね…。目がだんだん三角になってくるのが自分でも分かる。だけど、下手クソなマニュアル車乗りは悲しいかな、オートマの 「ベタ踏みフルスロットル」 になかなか勝てないのだ。日本車ってよくできてるし、速いよねぇ…。
過日、家路へ急ぐボクが赤信号を待っていると、白いカローラが隣に並んだ。「カローラ」 ですよ! 「カローラ」 、そう、あの 「カローラ」 です。お隣さん家にもあるやつ。しかも白で、薬メーカーの営業マンとかが乗ってるやつ。シグナルが青に変わるとヤツはものすごい勢いで加速を始めた。「なにを!」 と思って (←なんで?) ボクも思わず応戦する。……が、全然追いつかない。やつら自分のクルマじゃないから、「大事に乗る」 なんてことはしない。毎日毎日酷使され、オイル交換もロクにしないのにブン回され、雑に扱われるのが 「白いカローラ」 なのだ。…そんな使われ方に 「応えて」 しまうカローラもトヨタ自動車もすごいんだが。(トヨタの強さは 『商用車』 が鍛えたんじゃないかと思う。)
普段、すげー 「回して」 乗っているのだろう、白カローラは実にいい加速をしてあっという間に都筑インターのほうに曲がってボクの視界から消え去った。ぎこちないボクは、まだギアを4速に入れるとろだった。いや〜、速かったねえ、あっぱれだ。でも、かなり悔しかったボクはインターに曲がるところで勢いよくハンドルを切りすぎて、助手席の荷物が暴れ、ドリンクホルダの缶コーヒーが1本まるごと転がり落ち、床におもいっきりこぼしてしまった。
おかげでここ数日、クルマの中が 「缶コーヒーアロマ」 で充満している。(これが臭いんだ…)

急いでオフィスに帰らなければならないので新幹線。もちろん、新横浜までですよ、はい。
今日は東京→新横浜 (約17分) での昼飯に挑戦してみる。「食い終わらなかったらどうしよう」 っていうためらいもあり、手軽にロースカツサンド (650円) で手を打つ。駅の弁当高いしな…。
しかし、移動しながら昼飯なんて素敵だ。時間を大事に使ってるかんじがするではないか。うーん、エグゼクティブ!(なのか?)
でも食うのは余裕でしたわよ。新橋を通過する前に食い終わってました。次は 「カニめし」 に挑戦だな、と心に決める。
うぅ…食い終わったら眠い…。でも寝てはいけない。「次の停車駅は名古屋」 だし。シャレにならぬ。

ウィンドウズにフォントが揃っていく。
去年はモリサワのオープンタイプを数書体を買い、HELVETICAとUNIVERSを悩んだ末に購入。今日はFUTURAを買った。だんだんWindowsでの作業環境が整ってくる。嬉しいですなぁ。どうせならデカいモニターのマシンを買っときゃよかったと思う。画面が小さすぎるんだよ<VAIO TR。まあ、どこにでも持ち歩けるのでいいのだけど。
しかし、おれはこのままMACを捨て去るのだろうか…?

普段、歩いてる時にも電車に乗ってる時も音楽を必要としない人なので、あんまり興味がなかったんだが、ひょんなことからiPod miniを買うことになった。なんだかんだ言って 「物欲行進曲」 が鳴り響いてるオレだったりする。
でもいいよ、これ! 流行ってるのもよく分かるわ。
後輩が、「語学学習のためにICレコーダーが必要だから…」 というのでビックカメラに付き合ったのが運のつきであった。1時間近くICレコーダーやらMP3プレーヤーやらの周りをうろつき、結局最後はiPodの前でフリーズ。
付属機器を買えばレコーダーになることもわかり、FMトランスミッタというものがあることも分かった (つうか、何も知らなかったんだよ、オレ)。
早速オフィスに帰って、隣席の友達に使わせてもらったら、これがすごく使い心地いい! ってことで、3日前までなーんも知らんかったくせに、今日はもうiPod miniオーナーです。巷で言うほどFMトランスミッタ悪くないですよ、クルマで使ってみたけど…。ほんとに便利だね、クルマで使うには。赤信号の合間にリアシートの下から、江戸時代の枕みたいなCDケースを取り出してCDを探し出し、イジェクトボタンを押して前のCDを取り出しつつ新しいCDを入れる、なんてことしなくていいんだから…。しかも今度のクルマはマニュアルなので、不意に信号が青になると泡を食うので、クラッチ踏んで1速に入れながら、その一連の操作するのは苦痛以外の何者でもないじゃないっスか、危ないし…。
しかしiPodの操作感ってすごいね。ちゃんと五感を 「気持ちよく」 するように設計されてるなと思った。マニュアル見なくても使えるし…こうじゃないといかんよ、キカイっつうのは。いいキカイは、いい体験を生み出すのだ。…とか言って、やっぱりオレってAppleからは離れられないのね…。遅ればせながら感動にむせび泣いた金曜日でした。
これで英語の勉強しよ。

ドバイ出張の友達から写真が…。ネットに繋げられたってことで一安心。
しかし…、知らない街って、ワクワクする。
「お天気お兄さん」(右下) がいいかんじ。
「イスラムの衣装って、いったいどういうところで売ってるんだ?」っていうボクの質問に彼から返事。
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ダウンタウンみたいなところと超近代的な場所の落差がものすごいけど、
ボロいアパートの駐車場にランクルが停ってたりして、やっぱり全体的に
裕福なんだなこの国は。で、イスラムの衣装だけど、いなかの「テーラー
なんとか」みたいな店がたくさんあって、そこでフツーに売ってた。シャレ
で買っていいものかどうかの判断がつかず、いまだ買えてないけど……。
で、女性はフツーの人もいれば柄のついた布を被ってる人、信心深い人
は顔全部まで黒い布で覆ってる。でも、ショッピングモールにいくと、全身
黒い布の人がプラダで買い物してたりスニーカーはプーマだったりと、
観察すればするほどワケがわからなくなる。どういうライフスタイルなん
だろうか……。
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月末に出張が決まったので、カバンを新調しようと思っている。ブリーフケースよりでかくて、スーツケースよりも小さいやつ。パソコンが入って、電源コードとかもうまくまとまり、パンツとか靴下とかも収まるやつ。1〜2泊でどっかいくとか、実家に帰るとかのときにも使えるやつ。できれば、スーツケースと一体になるやつがいい。
出張においていつもギリギリなボクらは、パソコンとプリンタ (PIXUS 80i) をホテルの部屋に持ち込んで翌日の企画書を作る (HUBまで持っていく) 、なんてオバカなことをするので、スーツケースの他に、わりとデカめのカバンが必要なんだよね。ってことが最近分かってきた。っていうか、TUMIが欲しいんだよ…。
6年前、初めての海外出張の時、オヤジに 「海外出張行くことになったんだ」 と話したら 「金がかかるだろう」 といって餞別をくれた。そのお金でスーツケースを買った。TUMIのえらく高いやつを奮発して買ったんだけど、今になって思うとそんなに高いやつでなくてもよかったじゃないかと思う。でも、頑丈で無骨で、とても気に入っている。
二子玉川のユナイテッドアローズでそいつを買って、電車で家に帰るとき、「これでガンガン海外出張できるようになったらいいなあ」 なんて思ってたら、今、『ガンガン』 とまではいかないけど、年に数回は海外に出るようになった。不思議なもんだ。
「広い事務所に引越しをするとだな、仕事もデカくなるもんなんだよ」 っていうオジサンたちの話をよく聞くけど、そういうのって確かにあるかもしれないなあと思う。「望む」 ことが大事なんだよな。…なんつって。
しかし…、英語でのミーティング、憂鬱ですわ。
もう10年経つのですね…。
1年前の1月17日に書いて、なぜか公開してなかったエントリーがあったので、再掲載してみる。たぶん、うまくまとめられずに公開しなかったんだと思う。
1月17日
もう9年もたったのか…と思う。
年末に、たかいちずさんという人が書いた「ゆうへ〜生きていてくれてありがとう」
という本を読んだ。たまたま駅の本屋で見つけたもの。
彼女は阪神大震災で息子さんを亡くしたお母さんである。『ゆう』 ちゃんは、生き残った娘さん。『ゆう』 ちゃんには 『しょう』 くんという双子の兄弟がいた。 『しょう』 くんは9年前の震災で亡くなった。倒れてきたタンスの下敷きになったそうだ。この本は、あのときから今までのこのお母さんの思いを綴った手記である。悲しいことを乗り越えるということが、どれだけのエネルギーと時間を要するのか、ということを読みながらずっと考えていた。彼女たちの中では、震災はいまだに続いているのだ。「あのとき〜だったら」 というフレーズがこの本の中にはたくさん出てくるんだけど、それがいっそうこの人の心の傷の深さを感じさせる。
ボクも神戸の震災は他人事ではなかった。
1995年のその日、ボクは広島にいた。
当時、職人をやっていたボクは前日の16日に広島に入った。ウィンドウディスプレイの施工をやっていたその会社はバブル直後の不景気で百貨店関係の仕事が激減、困った社長はパチンコ関係の仕事をとってくるようになっていた。ボクはといえば、学校を卒業しても建築の道に進む気にはなれず、その会社のバイトで生計を立てていた。わりと手先が器用だったボクは、学生時代から出入りしていたその会社にけっこう重宝がられ仕事も絶えなかったので、大工のような仕事をしていたというわけだ。
その日も広島にオープンする新規店舗の現場だった。納品物を運ぶために会社のバンに乗り込み、社長以下3人で陸路広島に向かった。前日の16日のことだ。よく晴れた寒い日だったことを覚えている。東名から名神を走り、大阪〜神戸は海側を通らずに北側を通った。大阪近辺で立ち寄ったサービスエリアでは、普通の日曜日の夕方の風景が広がっていた(注・3連休明けが1月17日(火)だったらしく、本当はこの日は祝日の月曜日だったらしい)。スキー帰りのカップル、親戚の家に行った帰りの家族連れ、みんな平和な日曜日の夜を迎えようとしていた。途中、夕暮れ時の関が原あたりだったろうか、まどろみながら見た窓の外に一本の長いスジのような雲が見えた。飛行機雲が変形したものかもしれないけど、北から南へ伸びていたその雲を見て 「地震雲じゃないよな?」 って思ってあわてて打ち消した。そんなことを震災の後に思い出してゾっとしたのを覚えてる。
広島に着いたのが夜の8時。とりあえず荷物を降ろして、晩飯に。現地の人が案内してくれた広島焼きのお店に行って、広島焼きの講習。さんざん食って帰ったのが1時。そして地震が起きた5時46分…。ボクは起きなかった。酔っ払ってたせいもあっただろう。広島は震度4。
翌朝朝食でみんなと顔を合わせると、「でかかったなあ」 と口々に言っている。酔っ払っていたみんなもさすがに飛び起きたらしい。ホテルのレストランで流れているテレビからは神戸からの一報が届いたところだった。。
あまり状況も飲み込めず、「けっこう大きかったんだ」 という軽い認識のまま仕事場に行く。昼前、大通りで配られていた号外を社長が持ってきた。それを見て目を疑った。『死者3000人か?』 。信じられなかった。そんなに簡単に、そんなにたくさんの人が死んでしまうのか?
あわてた社長は、帰りのことを心配している。近くの旅行代理店で羽田行きのチケットを買いに行くが、広島空港からはもう一人分しかとれない。翌日、銀座の現場がある上司だけ広島空港から帰ることになった。「悪いんだけど、ハシモトくんは高松に行ってくれ」。大阪周辺の空港は飛行機が飛ばない状態だから、広島発の飛行機もすぐ満席になった。仕方なくボクは翌朝フェリーで高松に行き、そこから飛行機で羽田に戻った。残る社長はクルマを戻すために (向こうで売ってこようかとも考えたらしいが) 北陸回りでマル2日かけて帰ってきた。
いまだに他人事とは思えない。実際、ボランティアにも行けなかった自分が何か言う資格はないと思うけど、天災の悲しみを忘れちゃいけない、そして天災というものの影に隠れた人災はなかったのか? 手抜きや慢心が被害を大きくしてはいなかったか? ということを反省しないといけないと思う。災害や事件はすぐに 『消費』 され、人々の記憶からは消えてしまうけど…ともすれば 『明日はわが身』 かもしれないのだから。。
小雪のちらつく土曜日、久しぶりの友達と会うために吉祥寺へ。
井の頭公園近くのお店を予約した。
クルマだし雪降ってるし、お酒は飲みませんよ、もちろん。
帰り道、公園の駐車場に停めたクルマへ向かうため井の頭公園の中を抜ける。
「わー!、池だ!」
いや、池があるのは知ってたけど、初めて見た。
恋人とここのボートに乗ってはいけない、というハナシは有名だけど…
別に避けてたわけではないのに、ここに来たことは今まで一度もなかったよ。さんざんこの辺はうろついてたはずなのに…。東京に出てきて15年目の新発見だ。
しかし…、こういう池があるんなら、林とかで隠さないでもっと景色が見えるように区画すればいいのに…。(公園だから無理なのか?)
「ゴミや排気ガスで汚れるから」 というのが役所の言い分なんだろうけど、それは逆だ。
いい景色だとキレイにしようと思うものなのだ、人間ってのは本来。そういう計画を 「しないから」 汚れるのだ。分かってないね…。
「ここが桜の名所なのか…」
武蔵野らしい景色にちょっと感動。またこの辺りが好きになった。
冷たそうな 「池」 では、夜なのにニシキゴイが元気に泳いでいた。
バイク雑誌の編集長をしている友達から電話。
「明日からさ、ドバイに出張なんだけどさ…」
「あー、例のUAE (アラブ首長国連邦) 出張ってやつ?」
「そう、UAEなんだけどさ、現地のホテルで原稿のチェックすんのにネットが繋がらないと困るわけ。
んでさ、AT&Tのダイヤルアップのリスト見てもUAEのアクセスポイントがないんだけど、
どうしたもんかねぇ?」
ドバイで原稿チェックするのもどうかと思うが、編集長ってのはそういうもんなんだろう。
タイヘンだよな…。でも、学生の頃からボクらは、そういう 「非日常」 が大好きだったりする。
そういう人種なのだ。(←いっしょにするな?)
確かにAT&TのアクセスポイントにUAEはない。ついでに自分のいつも使ってる
so-netのローミングを調べてみる。
…でもない。
AOLはどうだ?
…AOLもない。
かろうじて探せたのはIIJだけ。
結局、彼の泊まるホテルのWebサイトを見てみると、ホテルにLANがついてるようだ、という結論に達する。
そりゃあるだろうな。高級リゾート地なんでしょ? ドバイって?
しかし、外国のISPのアクセスポイントがあまりない、というのに何か理由があるのだろうか?
王様たちが何かを牛耳っているのだろうか?
よく分からない。
もちろん、彼にそのへんの事情も探ってくるよう、お願いしておいた。
楽しみだ。
鼻の奥が乾いて痛いなーと思うと風邪を拾った証拠。粘膜がセロテープになったようなかんじ。ときどき粘膜と粘膜がペタっとくっつく感じが気持ちワルイ。たぶん明日は鼻水が止まりませんな…。
風邪をひくと、ロクなことが起きない。
朝:
今日は給料日。2004年の源泉徴収票を見て唖然 (もちろん低くて)。 オレの年収ってこんなもんなのか…。そりゃ苦しいはずだよ。ガンバレ、今年のオレ。
昼:
印刷屋に呼ばれて色校を見にいく。データのせいではなくて、色校正機の色が狂ってることが判明。2時間無駄にする。いいから早く印刷してくれ…。
夕方:
歯医者に行って 「ここが痛いんです」 と打ち明けたら…、思いっきり削られて神経も抜かれた。「ハシモトさん、歯なくなっちゃいますよ〜」 ←もうないって。
夜:
麻酔がなかなか切れず、口元が閉まらない。「いかりや長介」 状態だ。やっと引いたかと思うと今度は激痛。メシも食えません。
高いユンケル飲んで寝ちゃお。
正月のテレビはくだらない、っていうのがCMのネタになってたけど、今年の正月は 「新・シルクロード」 にハマった。
年賀状に去年のツーリングのことを書いたばっかりだったし、ハイビジョン向けの放送ってことで、映像がすごくきれいだったんでずっと見てしまった。また行きたいな〜、ホントに行けるかな〜、ぜも絶対行きたいなあと思いながら。でもそれって不思議です、なんでシルクロードに対してそんなに強い憧れを抱くんだろう? 親と一緒に見ていて、「こんな砂漠しかない田舎の何がいいんだ?」 と質問されても答えに困ってしまう。何がいいのかをうまく言葉にできないのだ。南国のリゾートのようなキレイな海もないし、ヨーロッパのような美しい景色もないのに…。
ゲストの石坂浩二も言ってたけど、 「懐かしい」 かんじがいいんだよな。ああいう貧しい生活を経験したことはないんだけど、現地に行くと、なぜか 「懐かしい」 と感じてしまう不思議さ。それは彼が言ってたように、我々のDNAに刻まれた、祖先の記憶を呼び起こされるからなんじゃないかと思う。あと 「匂い」 もあるな。砂漠の匂い、オアシスの匂い、バザールの匂い。決していい匂いばかりではないんだけど、これはすごく印象に残ります。
自分達では気づいてないけど、素朴なものとか、人間の営みのリアリティってもんに今のボクらは飢えてるんじゃないかと思う。だから惹かれるんじゃないかなあ。西洋的な思想や考え方に行き詰った今、注目されたり解決のヒントになるのは東洋的な思想だとも思うし。そういうところに人々はロマンを感じるんじゃないかとも思う。うまいね、NHK。でも金かけすぎんなよ、税金使ってんだから…。
今回の 「新・シルクロード」 は、25年前の放送と同じポイントを辿りながら、比較しつつ放送するのが目玉なんだけど、中国の近代化の度合いには本当にびっくりします。昨日の放送では、25年前に取材したのと同じ人を訪ねる、っていうのがあったんだが、年収が25年前の数百倍になった、とかいうレベル。すごいですな。あと、映像技術の進化っていうのもすごいですね。80年放送の 「シルクロード」 は16mmのフィルム撮影だったそうです。それはそれで味があるなーと思ったけど。
1/1放送の第2部、ヨーヨー・マの特集も思わず引き込まれて見てしまった。今まで知らなかったんだけどこのチェロ奏者、面白いですね。彼を中心としたシルクロード・アンサンブルという集団があって、彼らは西洋の楽器の奏者、東洋の楽器 (イランの楽器とか、インドの打楽器とか、中国の笙とか、日本の尺八とか) の奏者、ありとあらゆる楽器の奏者が集まって新しい音楽の形を研究している。彼らが 「新・シルクロード」 のBGMを担当するのだそうだ。西洋の音楽と東洋の音楽は、楽器の音階も全く違うし曲の作り方もまるで違う。それぞれのプロが、それぞれの音楽のバックグラウンドまでを教えあい、トラディショナルで且つ新しい音楽を作っていく姿は実に興味深い。まさに東洋と西洋の融合だ。ヨーヨー・マ曰く、
「昔の旅人がシルクロードで繰り広げた交流を、音楽で再現することが私達の目的なのです。」
自分の世界でもこういうことができたらいいなあと思う。
この番組では、彼らが 「新・シルクロード」 のための音楽を作る風景がドキュメンタリーとして綴られている。その中で、ヨーヨー・マのリーダーシップのとり方がとても印象に残った。チームの雰囲気づくりとか、自分もプロフェッショナルなアーティストでありながら、他のスタッフから謙虚に学ぼうとする姿とか…、とにかく、「いいものを作ろう」 という方向性を作るのが上手なんだよね。一応、『ディレクター』 という肩書きを名乗ってるボクとしては、勉強になることがとても多かったです。
音楽の世界の人たちというのは、『コラボレーション』 が上手だ。それはたぶん、音楽にかかわる人たちは少なくとも 「音楽が好きだ」 というところで繋がっていることと、あと高いプロ意識との関係が深いんじゃないかと思う。これからの働き方、というか仕事の仕方のヒントって 「音楽」 の世界にあるような気がする。

↑ボクの故郷の風景:このアングルから見る筑波山が一番キレイだと思う。(歳をとるにつれ故郷がよく思えてくるもんだ)
結局、仮眠を挟んで元旦の昼過ぎまで仕事して実家へ向かう。たまには親にも顔見せとかないとね。ありがたいことに最近は親戚付き合いが少ないので、「お年玉地獄」 に陥る心配もなく、正月でも気楽に帰ることができる。
閑散とした都心を抜け、東京駅から東北新幹線に。前日の雪で帰省を遅らせた人が多かったのか、新幹線はけっこう混んでいた。べつに新幹線で帰るような距離でもないのだが、帰省の時ぐらい座って帰りたい。あと東京駅の 「旅立ち感」 もいい。2,000円も余計にかかるのは高いけどね。
実家のある北関東は案の定、都心よりも5度は低く、底冷えがした。前日の雪もかなり残っていて、凍結しているところもかなりある。
まー、帰っても別にやることもないので、飲んで、食って、テレビ見て、寝るの繰り返し。あとは年賀状書きと、お決まりの 「いつになったら孫の顔が見れるんだ?」 対応ぐらい。 退屈になったころ三ヶ日が終わるってかんじよね。
ところで今回帰ってびっくりしたのは、実家にDVDのビデオがあったこと。しかも、母ちゃんがやけに詳しくなってる。 「ファイナライズしないと他ので見れない…」 とか 「うちのはDVD-Rだから…」 とか、この人の口から出てくるとは思えないキーワードが飛び交っていて、まずビックリ。しかもボクが見たい番組を予約録画してくれるという。…マジか?
オーディオも満足に操作できなかった母ちゃんが、DVDで予約録画? ボクが目をまん丸にしていると 「アタシも勉強したんだよ」 といって自慢のビデオライブラリーを見せてくれた。すると中身はすべて韓流ドラマ。…そういうことか。
「ビデオなんていらない」「衛星放送なんてもったいない」って言ってた母ちゃんが、この変わりようだ…。団塊世代のパワー恐るべし。
ヨン様の経済効果ってこんなところにまで影響してたんだ…とリアルに実感した2005年の元旦でありました。
あ、明けましておめでとうございました!
その1:シルクロードツーリング
これ、今年一番の目標だったので、達成できてよかった。かなり無理やりだったけど。でも無理したなりに収穫も多かったです。百聞は一件にしかず。来年も是非行きたい。
その2:いろんな出会い
今年は本当にいろんな出会いがありました。人付き合いが得意ではないボクですが、出会いというのはこんなに 「転がって」 いるもんなんだなあと思います。来年も積極的にいきたいもんです。
…ダメだ、キレイにまとめすぎ。ひねりがないのがボクの悪いところだと自分でも分かっている。来年は 「いいかげん」 で行こう。いや、「いいかげん」=「でたらめ」ではなくて、「いいかげん」=「良いあんばい」ってことね。
よいお年を! 明日の朝は凍結注意です。
今年もあと90分だ! いちおうボクも今年のはじめに目標を立てたので、反省をする。
その1:欧州旅行
欧州車を買ったのでよしとする。
その2:大型二輪免許
欧州車を買ってしまったので、来年に持ち越し。
その3:英語習得
今年も玉砕。
その4:歯の完治
歯の治療継続が11年目に入る。この11年、虫歯がなかったことがない。「ずっと」 治療中なのだ。ゴメン、池田先生。
その5:禁煙
長い課題になりそうだ…。こんなに止められないなら覚えるんじゃなかった…と親の忠告通りではないか! やはり親の言うことはいつも正しい。

で、最近逃避ぎみ。
ゆうべから「EYE」というサイトにはまっている。
素敵だ! 45カ国なんて…。
年末というのは、旅に出たい時期でもある。
この時期はヨーロッパがいいなあ。
出発の5時間前まで仕事して、1時間で荷造りして16時間ワープして降り立った、初めてのヨーロッパ、ローマのテルミニ駅のインパクトは今でも忘れない。
小学校4年生のときの担任の先生が美術の先生だった。彼女が新婚旅行で行ったバチカンのスライドを見せてもらった記憶が、大人になったボクには鮮明に残っていて、いつかは自分の目で見たいと思っていた。そのスライドの記憶をたどりながら行った冬のイタリアはとても素敵でした。ローマで体を慣らした後、ユーロスターでナポリへ。青の洞窟には入れず猫と戯れただけでカプリ島を離れ、夜行列車に乗って一路ベネチアへ。クリスマスの鐘の音をヴァポレットの上で聞き、その後はフィレンツェ。思い立ってレンタカーして回った城郭都市(シエナ、アッシジ、サンジミニャーノ)。塔の街、サンジミニャーノがいちばんよかったかな。フィレンツェから往復1000キロをホンダのLogoで飛ばし、わざわざ行ったミラノは、意外と普通な街でした。その帰りにモデナのフェラーリ博物館もちゃんとチェックしましたよ (隣の工場の中にテストコースがある)。
モデナからフィレンツェに抜ける道は高速道路で峠を越えなくちゃいけないんだけど (中央道の八王子〜大月に似ている)、そこで競争した大型バスの運ちゃんはすごかった! 雨が降ってえらくウェットな路面の上を、絶対ワインで酔っ払ってるとしか思えない大胆なラインどりでボクをあおる。道を譲ってボクも必死で追いかけるんだけど、彼は全くブレーキを踏まない。それも 「大型バス」 でですぜ!? えらい速くて、全然追いつけなくて悔しかったなあ。
でもやっぱイタリアいいなー、朝からビザ食ってね、砂糖のいっぱい入ったエスプレッソをすすってさ…また行きたいなあ。
とか言ってたら友達がフィレンツェに留学するんだと。遊びに行けるかな…?
イタリアのクルマに乗り始めたということもあって、イタリアに想いを馳せる年の瀬です。