高校の2年から3年にかけての2年間、チャリで高校まで通っていた。元はといえば、親からもらった定期代をちょろまかし、小遣いに充てたのが始まりだった。
高校は隣町の下館市 (現在は筑西市)。片道13キロの道のりだったが、試しに2~3日、チャリをこいで通ってみると、電車&徒歩と時間は変わらない。多少辛いが、使い込んでしまった定期代は戻らない。無い袖は振れないわけで、それから毎日チャリで通学することになった。
スポーツタイプのチャリではなく、ギアもないただのママチャリ。往復26キロ、毎日が筋肉痛である。夏なんて、学校に到着しても1時間は汗が止まらないし、冬は冬で、赤城おろしの西風の日の帰り道はは完全に向かい風。普通45分しかかからないのに、西風の強い日は1時間半もかかったものだ。

最初は面倒臭いなぁという気持ちが強かったが、だんだん 「チャリのスピード」 にハマっていく自分がいた。高校時代のボクは、退屈な田舎が大キライだった。はやく都会に出たいという気持ちが強かった。こんな田舎はゴメンだよ、と毎日思っていた (その気持ちは今もあまり変わっていない)。だけど、チャリ通学のおかげで田舎の自然が大好きになってしまった。
チャリのスピード。歩くより早く、クルマより遅い。そのスピードで移動すると、見えないものが見えてくる。ボクの脳のクロック数にも合っていたのかもしれない。クルマや電車のスピードでは見落とす景色が、チャリのスピードでは見えてくる。梅の花が咲いたとか、稲の穂が出たとか、そういう自然の移ろいを、ビジュアルとしてだけではなく、空気の温度や匂いでも感じることができる。しかも田舎だから、季節感は満載である。
新緑の緑は強烈なくらいキレイだし、冬の夕焼けの美しさも、見たことのある人間にしか分からない感動だったりする。刻々と変わる筑波山の色、新緑の匂い、秋の風。田植え時期の田んぼの景色は壮観である。見慣れた道路が、まるで湖の中の一本道のようになる。そこに筑波山の峰が映りこむ。なんともいえない美しさだった。今になって思い起こせば、高校時代の記憶は、すべて美しい茨城の風景に包まれている。街の中央に川が流れる街。そこでボクは10代後半の数年間を過ごしたのだった。
今、チャリが流行っているけど、彼らがチャリにハマる理由に、今まで気づかなかった身近なことへの 「気づき」 もあるんだろうなあなんて思う。

そんな高校時代も、もはや20年前。
実家に帰るたび、オヤジのクルマを運転して高校の周りや当時の通学路をたどってみたりする。当時、チャリで500往復ぐらいはしたわけだから、国道の縁石やアスファルトの継ぎ目さえ覚えてる。そんなのをただ確認して戻ってくる。国道の景色もさほど変わっていない。高校の校舎も昔と同じように佇んでる。でも当時いた先生も生徒も今は1人もここにはいない。あたりまえなんだけど、不思議な気持ちになる。大好きだった2年生の時の髙橋先生は、昨年定年退職したそうだ。
時間というのは、ある意味冷酷だなぁと思う。
高校までの通学路から少し入ったところに、2歳半まで住んでいた社宅があった。現在の家に引っ越してくるまでわが家族が住んでいた、オヤジの会社が所有するアパート。鉄筋コンクリート4階建てのおんぼろアパート。高校時代、近くを毎日通っていたのに、一度も覗いてみたことはなかった。
正月のある日、近くを通る機会があって、その社宅を見に行ってみた。自分のルーツを確認したい、という想いが最近、時々押し寄せてくる。見たいような、見たくないような……。「怖いもの見たさ」 な感じもあったけど、思い切ってその社宅へと続く道へハンドルを切ってみた。
すでに取り壊された、という噂をオヤジの元同僚から聞いていたものの、何と!わが家族の住んでいた建物はまだ存在していたのだ!

昭和48年。2歳半まで住んでいた社宅。39年前の最新鋭住宅は、すっかり廃墟になっていた。もう誰も住んでいない。取り壊されるのをただ待つだけの建物には哀愁が漂っている。無機質な、コンクリートの塊に 「哀愁」 があるっていうのものも不思議なもんだが、自分のルーツの場所である、ということを取り去っても、確かに哀愁が漂っている。「人が生活した痕跡」 には魂を揺さぶられる何かが存在するのだ。
ちょっとだけ廃墟マニアの気持ちが分かった気がした。
両親に確認してみないと分からないが、おそらくボクらは3階に住んでいた。2歳半までしか住んでいなかったはずなのに、不思議とけっこう記憶が残っている。
玄関と台所の位置関係。子供用の椅子にボクが座って食事をしようとしている光景。父親が 「ただいま」 と帰ってくる姿。北側の窓とその前に置いてあった4本足の白黒テレビ。ある時、ピンポンパンを見ているときにテレビが壊れて、表示エリアがブラウン管の中心5mm×3mmぐらいに縮んでしまったこと。べランダから見える、前の工場の煙突と、洗濯物を干している母親の姿。雨の日、ライナスの毛布と同じぐらい大切にしていたピンクの熊のぬいぐるみを北側の窓から落としてしまったこと。そして、駅の向こうの工場から時々漂ってくるコンクリート臭。
1階の窓から内部を覗いてみると、スケール感こそ違っていたが、間取りはボクの記憶と間違いなく合っていた。

29歳の父親と25歳の母親と、生まれたばかりのボクが確かにここで生活していた。他の、若い家族たちも高度成長の真っ只中、将来の幸せを夢見て日々の生活を営んでいたはずである。たくさんの 「生活」 がここにあったはずなのに、今は何もない。父親の世代はとっくに定年退職してるし、もう他界した人もいるだろう。
役目を終えた社員住宅。残っているのは、人の痕跡だけ……。
意外と人生って短いんだなあという感慨を、幼い頃の住処から受け取って、クルマのエンジンをかけた。
さて、38歳になる。

コメント (5)
2歳半まででも結構覚えてるもんだね。
廃墟とはいえ今まで残ってただけでもラッキー。
投稿者: キム・スンヨン | 2009年02月02日 21:03
日時: 2009年02月02日 21:03
よくぞ今まで残ってくれました!
廃墟の哀愁、おれも感じたいよ。
投稿者: キム・スンヨン | 2009年02月02日 21:07
日時: 2009年02月02日 21:07
この筑波山の角度、懐かしい・・
それに、高橋先生も懐かしい・・定年したのね。。
自分の学生時代なんて、つい最近のような気がするけど、よく考えればはるか昔のことだよね。
誕生日おめでとう♪あ、微妙に過ぎちゃったかな!?
投稿者: ちょこりん | 2009年02月03日 00:01
日時: 2009年02月03日 00:01
>キムさん
そうそう、廃墟マニアになるかも(笑)。
正確には3歳ぐらいまでここにいたみたいなんですよね。よくまあ覚えてるもんです。
>ちょこりん
ありがとう! 38歳です。
いや、みんな38歳なんだな、同級生は。あたりまえだけど。
今は逆のほうから筑波山見てるんだっけ?
筑波山はやっぱ、この角度がイチバン!
投稿者: hassy | 2009年02月03日 13:55
日時: 2009年02月03日 13:55
学生の頃、読まされた(笑)
タキコウジだかの「生きられた家」とかいう本を思いだしましたわ。
投稿者: some | 2009年02月11日 13:05
日時: 2009年02月11日 13:05