タケのこと・1
日記 2011ボクはコトバを仕事にしているわけでもないんだけど、コトバでしか自分の気持ちを整理できない。
つまり、自分でコトバを紡ぐことでしか自分の想いに 「ケリ」 をつけられない。
だから、とにかく書いてみる……、
そういう文章です、念のため。
四十九日が過ぎた。
だけど、いまだに全く、僕はヤツの死を受け入れられていない。
「まいど。どうよ最近?」
って今にも携帯が鳴りそうな気がしている。
タケと初めて出会ったのはいつだったんだろう?
同じ建築科に入ったわけだし、学籍番号も10番も違わなかったわけだから (ボクが51番で彼が確か43番)、
1990年4月初旬のどこかで顔を合わせているはずなんだけど、入学式前後の記憶にタケは出てこない。
最初の記憶は、入ったサークルの最初の部会だと思う。
今はもうなくなっちゃったかもしれない、図書館の横のH-12というプレハブの教室が
我々の部会の部屋だった。
4月の下旬の金曜日、4限が終わった後にそのサークルの説明会があった。
そのとき、雛壇の一番後ろ、向かって右側の隅っこに一人でぽつんと座ってた
茶髪・ロン毛の兄ちゃんがタケだった。
後で同じ建築科だっていうことを聞いてびっくりしたのを覚えてる。
彼は現役で入学してるし、九州から一人出てきたばっかりだったわけだから、すぐには友達が
できなかったはず。だから一人でいたのかもしれない。
今まで友達にいなかったタイプだなとは思ったけど、同じ、地方出身者のニオイがしたのか、
なんとなく気が合ったし、家も同じ方向だったから、部会の後とかはよく一緒に帰った。
最初から彼はボクのことをなぜか 「はしもっちゃん」 と親しげな呼びかたで呼んだ。
八王子の駅か ら 「放射線通り」 を抜けて秋川街道の交差点の近くまで、
シャッターが閉まった商店街の深夜のアーケードを二人で歩く。
いつもベージュの柄シャツを着て、猫背で歩くタケとは、「最初にどんなバイクを買うか?」 という話で
もちきりだった。
バイクとかクルマでツーリングに行ったりレースをやったりするサークルだったから、
まずは 「マシン」 がないと始まらない。免許も金もないのに、マシンの品定めに夢中だったわけだ。
受験が終わり田舎から出てきて、うるさい親、退屈な田舎から離れて一人暮らしが始まったばかり。
19歳の春から夏にかけての思い出は、八王子郊外の眩い若葉の色とにおいの記憶とともに、
今でも輝き続けている記憶である。
そんなときに出会った友達の一人がタケだった。
・ ・ ・ ・ ・
彼はその時点でバイクのことをよく知っていたし、知識は豊富だった。
そのころのタケはカワサキ好き。
「オフ車もイイんだよね」
といって、後にカワサキのKDXを買うことになる。
そういえば、大分から出てきたばかりのはずだったのに、妙に訛りがなかったのが不思議だな (笑)。
九州人らしく、しこたま酒が飲める。仲間を作るのが得意で、同級生でも先輩でも、誰とでもすぐに仲良くなる。豪快な笑い声と、人懐っこい笑顔で、建築科内や体連の中でもあっという間に有名人になった。
若かったし、いつも (飲み会で) はっちゃけてたシーンしか思い出せないんだけど、新歓コンパで割れたビール瓶を踏み抜いて、救急車で運ばれ一ヶ月の入院になったのは有名な話 (笑)。
・ ・ ・ ・ ・
でも、一緒の科 (建築科) だったので一緒に課題もやった。
というか、一緒に苦しんだ (笑)。
遊んでばかりのサークルだったし、いつも校庭の外れの汚い部室に 「たまって」 いるだけなので、
本業の毎週~毎月の課題提出はギリギリまで何もやらない。
月曜日提出だというのに、前週の木曜夜ぐらいになって、泡食っての 「徹夜」 がはじまる。
(そう、19歳からボクらは 「締切」 に追われる身なのだ)
だから、お互い寝てしまわないように数時間おきに電話をかける。
「どうよ?」
「おれまだ3階の平面図、だけどあと3時間で立面図に入れるかも」
「まぢで?」
「○山はどうした?」
「さっき電話したら出ないから、寝てんじゃねぇの?」
「終わったな、あいつw」
みたいな稚拙なやりとりの連続。折れたロットリングやらトレーシングペーパーの切れ端の束やらが散乱した、
文字通り 「修羅場」 の中での会話。でも、
「梁は何センチぐらいにしとけばいいわけ?」
とか
「資料集の○○ページに載ってたぞ」
みたいな会話を延々してたりして、
その電話での会話が、研究室で先生に聞く助言よりも勉強になったなあとも思う。
残り2日を切ると 「留年」 の2文字が常に脳裏にぼんやり浮かんでる状態。
我々の学科はありがたいことに、一回未提出・未完成があれば留年確定という厳しい学科だったわけで……。
だから、提出図面を自宅から研究室に運ぶバイクは相当に (笑) 速かった。
最高記録は10キロを10分、アベレージ60キロ (←これはボクの記録)。
でも楽しかったな。「最後の追い込みパワー」 は、あそこで身についたのかもしれない。
結局2人とも卒業後、建築とは全く違ったことを仕事に選ぶわけなんだけど。
・ ・ ・ ・ ・
このサークルでは、2年の秋に幹部になるのが習わし。
ボクらの代は10人近くもいた代だったが、ボクが部長で彼が副部長になった。
今となっては逆だろ? ってかんじではあるんだが……。
当時はボクが実務担当で、彼が飲み会担当、みたいなもんだった。
まあ何度も書くけど、飲み会では常に 「最強」 の何人かのうちに入っていたことは確かだ。
(って、何が最強?笑)
ボクはといえば、ビールを2杯飲むと寝てしまって、飲み会では常に 「おいしいところ」 が
とんじゃってるような男だったので、なかなか同じ場にいることは少なかった。
とにかく、「飲み」 に関しては彼に任せっきりだった。
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6月に彼が亡くなってから、いろんな場面がフラッシュバックする。
今まで忘れてたくせに、タケの言ってた言葉とか、表情とか、
鮮明に覚えてる場面とかがいくつも新たに思い出されて不思議なんだけど、
そういう記憶を総括すると、
タケっていう人間は、「キワまで行く」 っていうことを常に実践してたんだなって思う。
彼はそもそも相当ビビリだった。
こんなことをボクが言ってしまっていいのか分からないんだけど、
根は相当ビビリなんだよ。それはよく分かった。
でも、本当にビビリな人間はキワまでいかない。
いったフリはするけど、なかなか立ち入らずにキワを避ける。
あいつは、ビビリだからこそ、「キワまで行く」 ことを信条としていた。
行くところまで行かないと見えないことを、ちゃんと見なくちゃいけない、と思っていたんだと思う。
人懐っこくて、人に好かれるって書いたけど、
いつも自分を鼓舞して 「そういうふるまい」 をして人に接してたんじゃないかなとも思う。
けっこうな努力が必要だったはずだ。
でも、だからこそ逆に人に好かれたんだろうなと思う。
おれも、ヤツのそういうところが好きだったし、カッコいいなと思ってた。
まあとにかく、
人を魅了する男だった。
とても羨ましかった。
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結局、留年した彼よりボクは先に卒業することになるんだけど、
ボクが卒業する頃だったか、彼が卒業する頃だったか、
先輩を通じて、ライダースクラブの編集部に行くことになったという話を聞いた。
いつも、彼のコトバは鋭かったし、言語能力はすごいなと思ってたから、
何かしら「メディア」に関わる仕事に行くだろうなとは思っていた。
その話を聞いて、なるほどと納得した。





















